東日本大震災から10年。東北の「現在地」。 【あれから10年】東日本大震災を経て、街のために思うこと。「最大のテーマは、継続すること」
東日本大震災以前から東北に住んでいた人、震災後に移住した人。復興に対する思いやアプローチのしかたはいろいろ。東北で活躍し、そして東北を愛する人たちに会いに行きました。今回は宮城県・石巻市の阿部勝太さんと女川町の合田七海さんにお話を聞きました。
【石巻市(宮城県)・阿部勝太さん】三陸に漁師を増やしたい。震災が、立ち上がるきっかけに。
石巻のわかめ漁師・阿部勝太さんは震災後、多くの漁師が廃業するなか、仲間たちと〈フィッシャーマン・ジャパン〉を設立。漁師の担い手を増やす活動を続けている。
北上川河口付近のリアス式海岸に広がる十三浜は、肉厚でぷりっとした食感がおいしい「三陸わかめ」の産地。震災以前から阿部勝太さんは、家業を継いでわかめ漁師をしていたが、先細りする一方の漁業のあり方に疑問を感じてもいた。そんな状況に追い打ちをかけるように、地震が発生。個々の再建でさえ大変な苦労を強いられるなか、地元・三陸だけでなく、日本の水産業全般が抱えているような、根本的な問題に立ち向かうことを決意する。「個人で頑張らなければいけないこともたくさんあるものの、みんなでやらなければ実現できないこともある。力を合わせて水産業の課題を解決するために立ち上げたのが、フィッシャーマン・ジャパンでした」
キリングループと日本財団による「復興応援 キリン絆プロジェクト」の支援を受けて、2014年に結成されたフィッシャーマン・ジャパンは、三陸の若い漁師を中心にしたチーム。水産業のイメージアップを図り、漁師や鮮魚店、水産加工業など広い意味でのフィッシャーマンを、多くの人が憧れるような職業にしていくことを目指している。「自分たちが直面している問題のなかでも、優先的に解決しなければいけないのが担い手不足でした」フィッシャーマン・ジャパンは漁師に興味のある人の相談を受け付ける窓口を設置し、漁業の技術を身につけられる研修プログラムを実施。積極的に外から人を受け入れ、空き家をリノベーションして、見習い漁師が滞在できるシェアハウスを三陸の各地で運営している。「被災地域は自分たちの住まいもなくなったくらいだから、移住者が家を確保するのは大変です。漁師は朝が早いので浜の近くに住まないと難しいし、浜や地域の人となじまないと漁師にはなれない。僕らもプロジェクトを進めながら新たな課題を発見して、学ぶことの繰り返しです」
6年で40人ほどの新人漁師を育てた実績は全国的に注目されているが「10年で1000人」という壮大な目標を掲げているうえ、達成することがゴールだとは思っていない。海を取り巻く環境や消費者の意識改革などフィッシャーマンとして見過ごせない課題が山積しているのだ。「いつか誰かがやらなければいけないことでしたが、震災がそのきっかけになりました。そしてキリン絆プロジェクトがあったからこそ、みんなで立ち上がることができたと思っています。僕らの最大のテーマは、継続すること。僕らの代だけで解決できるような問題ではないからこそ、子どもたち、孫たちのためにも続ける必要があるんです」
1.着てみたくなる漁師ウェア。中身だけでなく見た目も重視!
漁業の新3K「かっこいい・稼げる・革新的」を掲げるフィッシャーマン・ジャパンは、〈URBAN RESEARCH〉とコラボして漁師ウェアの開発もしている。わかめは、労働の証!
2.稼げる漁師を増やすことが漁師の数を増やす近道に。
事務所にはさまざまなグッズが。フィッシャーマン・ジャパンが担い手の育成とともに力を入れているのが、水産物の販売。いいものを適正な値段で買ってもらう仕組みを創出。
【女川町(宮城県)・合田七海さん】前向きにまちづくりをする 女川町の一員になりたかった。
学生時代、ボランティアで繰り返し訪れていた宮城県女川町に、念願の移住をした合田七海さん。さまざまな仕事や地域活動に関わりながら、町民としての暮らしを満喫中。
東日本大震災が起こったのは、大阪で暮らす合田七海さんの中学校で、卒業式が行われた日だった。「被災地で活躍している自衛隊の方々をテレビで見て、私も人を支援する仕事をしたいと思ったんです」そして高校卒業後に進学したのが、神戸学院大学の社会防災学科。在学中の2014年に、復興ボランティアとして初めて東北の地へ。「名取や石巻などの仮設住宅でボランティアをして、女川も案内してもらいました。当時は新しい建物がほとんどない状態でしたが、毎年訪れるたびに駅や商店街などができていて、前向きに復興している町の姿がとても魅力的に映りました」
防災について専門的に学んだことで、自衛隊のような直接的な支援だけでなく、間接的な支援方法も数多くあることを知り、卒業後は非常食のメーカーに就職。しかし就活時に一度は考えた、女川で暮らしたい思いが日に日に膨らんでいく。そんななか東京の日本財団ビルで、女川のまちづくりに取り組むNPO法人〈アスヘノキボウ〉が主催するイベントに参加し、翌週には再び女川を訪れ、移住を決断。「すべてのタイミングがバッチリ合ったんです」と笑うが、アスヘノキボウが提供している「お試し移住プログラム」を利用できたのも大きかった。
移住当初は、同じ関西出身の移住者がやっているラーメン店を手伝っていたが、アスヘノキボウのスタッフとしてお試し移住を希望する人たちをサポートする側に。残念ながらコロナ禍により、このプログラムは休止中だが、それでも日々忙しそうだ。「『なっちゃん、手伝ってほしいんだけど』といろんな方が声をかけてくれるので、一時は4つも仕事を掛け持ちしていました(笑)。今はシーパルピア女川にある紅茶専門店と居酒屋のスタッフとして、とりあえずは落ち着いています」仕事以外でも学生消防団をしていた経歴を買われ、地元の消防団に加入。その一方でこんな思いも。「防災を勉強してきましたが、そのことを公言していいものなのかという葛藤がずっとあるんです。私の知識よりも、被災した方の意見のほうが絶対に切実なので。町の人たちと話していると、震災のことが今でも日常的に出てくるので、そのたびに学ばせてもらっています」
女川の人はオープンマインド。気さくなところが関西と似ていて暮らしやすいと合田さんは感じている。「みんなで町をよくしようっていう熱い気持ちを持った人が多いんです。自分が求められる場所や役割を通して町になじみ、本当の女川町民になっていきたいです」
1.地元の人や移住希望者の拠点となる交流&情報スポット。
アスヘノキボウの事務局がある「女川フューチャーセンターCamass」は、日本財団が立ち上げたNewDay基金で建設された施設。町内外の人がつながることのできる場所だ。
2.コワーキングスペースや多目的に使えるトレーラーも。
女川フューチャーセンターCamassのコワーキングスペース。会議室やさまざまな用途に対応するトレーラーもあり、サークル活動や起業を考えるお試し移住者にも活用される。
ほかにもある!人材育成の取り組み。
東日本大震災の復興支援として、被災地を元の姿に戻すだけでなく未来を見据えて次世代の人材育成を重視してきた日本財団。上記のような支援以外にも、さまざまな後押しをしてきました。
「双葉みらいラボ」
福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校において、中高生と地域の住民が協働してまちづくりなどに取り組む地域協働スペース「双葉みらいラボ」の整備を支援。生徒のみならず、地域住民、NPO、企業等の多様な人々が集い、地域復興や持続可能な地域の実現を目指したプロジェクトを生み出す場として新設。
■https://futabamiraigakuen-h.fcs.ed.jp/
「ハタチ基金」
被災地の子どもの心のケアに合わせ、学び・自立の機会を継続的に提供するために設立した基金。「東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで」をコンセプトに、教育・子育て分野に実績のある団体が協力。被災地の復興状況やニーズに沿って、子どもたちをサポート。
■http://www.hatachikikin.com/
「イノベーティブリーダー基金」
実践的なMBAプログラムを提供しているグロービス経営大学院。日本財団はダイムラー社からの寄付金を活用し、2012年に開校した仙台校との提携により、志ある若者を対象に、復興・社会起業を学ぶための奨学金や、被災地域の社会問題解決に特化した寄付講座等を2016年まで展開。
■https://mba.globis.ac.jp/