美しい男性の暴力と魅力に支配された女性たちが、そこから逃れるために連帯し、再出発するまでを描いたドラマ『魔物』

美しい男性の暴力と魅力に支配された女性たちが、そこから逃れるために連帯し、再出発するまでを描いたドラマ『魔物』
美しい男性の暴力と魅力に支配された女性たちが、そこから逃れるために連帯し、再出発するまでを描いたドラマ『魔物』
CULTURE 2025.07.23
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『魔物』について。

刺激的で行き過ぎた展開の日韓合作ドラマ。

「マクチャンドラマ」という言葉をご存じだろうか。韓国で放送されているドラマのジャンルのひとつで、語源は「これ以上掘り進められない場所」という言葉から来ており、これ以上ないくらい刺激的で行き過ぎた展開のドラマのことを指す。

日本で言うならば、一昔前の昼ドラなどをイメージしてもらえばいいだろう。『真珠夫人』や『牡丹と薔薇』のように、ドロドロの展開のものが韓国でも人気なのだ。

この春から日本で放送されていた『魔物』もマクチャンドラマをイメージして作っているのではないだろうか。

このドラマ自体が日韓の合作だ。制作をテレビ朝日と、韓国のスタジオSLLという会社が担当している。このスタジオSLLは『梨泰院クラス』や『SKYキャッスル』を制作している会社である。

今回の『魔物』はオリジナル作品で、脚本を『星から来たあなた』(Prime Video)でリメイクを手がけている関えり香が、監督を『主君の太陽』などで知られるチン・ヒョクが担当している。昨今、日韓がコラボする作品は多いが、今回の座組は、ほかとは違った取り組みでもあり、かなり良い相乗効果があったのではないだろうか。

というのも、日韓のコラボは、日本側で放送されるドラマの場合、ラブコメドラマに韓国の俳優が呼ばれるというパターンが多く、しかも、キャラクター的に、ヒロインを慕う当て馬的なキャラクターで参加するというものが多い。それ以外では、韓国ドラマのリメイクということもよく見かけるものである。

しかし『魔物』は、ラブコメ作品でもなく、また俳優を呼ぶのでもなく、脚本は日本側であるなど、これまでに見ないイレギュラーな挑戦であったことがほかとは違うところである。

蓋をあけるまで、ただただ刺激的でありえない展開であるということ以外には、どのような作品か見えなかったが、見終わった今、個人的には、とても上品で女性たちの連帯の見えるマクチャンドラマであったと思う。

女性を暴力で支配する男の、抗えない魔力。

ヒロインは麻生久美子演じる華陣あやめだ。彼女は弁護士として女性団体が主催するDV被害セミナーのパネラーとして登壇していた。そのイベントの主催は最上陽子(神野三鈴)であったが、そのときあやめは陽子の家に住んでいるネイリストの源夏音(北香那)と出会う。

夏音には源凍也(塩野瑛久)という夫がいたが、凍也は夏音に暴力をふるっていて、ある日、弁護士のあやめに助けを求める。凍也は暴力を夏音の酔っぱらった上での間違い電話だと言い、またそのとき、ふいに暴走してきた自転車とぶつかりそうになったあやめを凍也が助けたことで、あやめは彼に惹かれるようになっていくのだった。

しかし、この凍也はあやめの前でも豹変する。最初はやさしくて柔らかい雰囲気の凍也であったが、三話の終盤で恐ろしい表情を見せる。あやめは仕事での接待が終わらず、予定の時刻よりも遅く彼の元に到着すると、凍也は突然あやめの髪を引っ張り、殴打を繰り返すのだ。

このシーンの、殴る音の演出と塩野瑛久の演技が怖すぎて、逆にこのドラマを見るのをやめられなくなってしまった。タイトルの通り、『魔物』にとりつかれたようだった。しかしこのドラマ、恐怖で女性たちを支配した男の、抗えない魔物のような魅力を描いたものではあるけれども、それだけでは決してないのだ。

男の魔力に対する三者三様の拒絶。

やがて凍也に苦しめられた三人の女性たちが、その洗脳のような状態から放たれる様子が後半では重点的に描かれている。

あやめは、ドラマの冒頭から女性団体のイベントで、女性への暴力に対して毅然とNOと言っていた弁護士であるから、凍也の見せかけの愛に揺さぶられながらも、頭では冷静に考えることができる。

しかし、夏音の場合は、頼る人もおらず、暴力に悩みながらも、凍也の見せかけの愛に何度も何度も揺さぶられてしまう。

凍也とは親子ほどの年齢差のある陽子は、実の息子の同級生である凍也を家に置き、面倒を見てきた。凍也は、その陽子の中に、自分に対する欲望の眼差しがあると考えていた。ドラマを見ていると、陽子にそのような欲望があるのかと見てしまう部分もあったのだが、陽子は毅然と、そのような気持ちはないとつっぱねる。

中年女性が若くて美しい男性に惹かれつつも、その気持ちを隠しているというフィクションは多い。バラエティ番組などでも、女性芸人がイケメンと言われる俳優と共演すると、必要以上に喜んでいるふりを求められたりしているのを見るが、実はそれはテレビのためにやっているだけで、女性芸人たちには、そのような気持ちはないという告白を昨今はよく聞くようになった。

陽子が毅然と凍也を拒絶することは、こうした中年女性の若い男性に対するスティグマを払拭しているように見えて、これまでのドラマには少なかったいい脚本だと思った。

一方、妻である夏音は、最後まで凍也を拒絶できないのだが、彼の暴力が怖くて逃げているし、逃げるときに頼れるのは、陽子だけである。陽子も行く当てがないことをわかって夏音をかくまっている。

女性たちがそれぞれの方向に歩み行く清々しさ。

かつてのドロドロドラマであれば、一人の魔力を持った男性、つまり凍也のような男性を前にして、女性同士で醜い争いをして、最後に一人だけが彼のゆがんだ愛情を受け入れ、また彼から選ばれるという展開になりがちであっただろう。

しかし、このドラマでは、最後に凍也のどうにも鎮めることのできない暴力性を、三人で協力して封印、つまり殺めるのである。

このとき、実際に自分の手で彼にとどめを刺したのは、意外にも夏音であった。夏音は、三人の女性の中では、最も弱い立場であり、凍也から離れられない人物だと思われていた。しかし、彼女が自分の手で彼を殺めたときに、彼女は確かに目が覚めて、自分の足で歩けるようになるのだ。

凍也は、死を目前にして、夏音に対して、ゆるしを請い、助けてくれと懇願する。もし凍也が、自分は罪深い人間であり、もう夏音の手で自分を殺してほしいなどと言っていたら、私はドラマに興ざめしていたであろう。しかし、最後まで凍也が卑怯で暴力的で利己的な人間であると描いてくれたことにほっとした。そうでなければ、夏音は彼に殺されていただろうから……。

このドラマで凍也は、女性たちの心を惑わし、支配するオム・ファタルであった。彼がオム・ファタルであるのは、その生い立ちにも関係がある。身寄りがなく、何も持たない凍也は、誰かに頼って生きることしかできないし、自分のことを愛するのであれば、どんな酷いことをしても、揺らがない心を求めていた。それ自体は、弱いもののとる行動として見れば、可愛そうなところはある。しかし、暴力で支配しようとすることでは決して幸せにはなれないのである。

惑わされた女性たちは、三者がそれぞれ、彼の支配から卒業する。三人の女性たちがラストシーン、広場のような場所で、それぞれが交差し、別の方向にまっすぐ歩んでいく姿がこのドラマを象徴しているようであった。「魔物」の魔力から解放されるために連帯した三人であったが、最終的には、それぞれが自分の足で歩いていくという結末が清々しかった。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi

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