家族を描く新春ドラマ。でも「寂しさ」と、人生を「畳む」ことを描く『スロウトレイン』

家族を描く新春ドラマ。でも「寂しさ」と、人生を「畳む」ことを描く『スロウトレイン』
家族を描く新春ドラマ。でも「寂しさ」と、人生を「畳む」ことを描く『スロウトレイン』
CULTURE 2025.01.09
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『スロウトレイン』について。

新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』。脚本は野木亜紀子、演出を土井裕泰

TBSで1月2日、新春スペシャルドラマ『スロウトレイン』が放送された。脚本は野木亜紀子、演出を土井裕泰が務めているのだから、見ないわけがない。

物語の主人公はフリーの編集者の渋谷葉子(松たか子)。鎌倉にある実家で、弟の渋谷潮(松坂桃李)と暮らしている。両親と祖母を交通事故で亡くしていて、その23回忌の帰り道、妹の都子(多部未華子)から、釜山に引っ越すと突然、告げられる。

葉子の編集者としての日々のシーンも面白い。元は出版社の社員で、人気作家の百目鬼見(星野源)と二階堂克己(リリー・フランキー)を担当していたが、フリーとなった今では頼まれればミステリー小説以外の盆石の本の編集もしているようだ。

しかし、なぜか百目鬼は出版社を辞めても葉子に担当を続けてもらいたいと懇願し執着している様子だ。今もなにかと葉子を呼び出し食事をしたりする関係性が続いていたが、ある日、葉子は百目鬼から、生活に潤いをもたらすために、マッチングアプリで恋人を見つけてはどうかと勧められるのだった。

作家の言うことに逆らえず、いやいやマッチングアプリを始める葉子。そんなとき、弟の潮の恋人が家にやってくる。その相手とは、葉子の担当作家である、あの百目鬼であった。

「あなた孤独じゃないんですよ、だから簡単に言えるんです。ひとりでも生きていけるって」

編集者という職業は、私にとっては身近な存在ではあるが、こと作家を担当する編集者の日常はよく知らない。そのことで、作家と編集者の関係性にリアリティを感じさせながらも、好奇心を感じさせるような部分もあって個人的にも面白かった。何も起こらないようでいて、何かが確実に始まっているような感覚をもたらしてくれるストーリーも良い。

そんな中に、登場人物たちの様々な価値観が見え隠れする。

葉子は、百目鬼にパートナーを見つけるよう勧められたことによって、「ひとりってだけでそうじゃない(今の生活に満足していない)人にされちゃうこと」に戸惑っている。

妹の都子は、釜山で交際相手オ・ユンス(チュ・ジョンヒョク)の友人から、「日本人の彼女、うらやましいです。やさしいです」と言われるが(本当は韓国語がわからないだけで、日本の女性は、「はい」「はい」と聞いてくれるとも言われていた)、都子は、自分は日本人女性であっても、そんなステレオタイプな女性ではないと自覚している。

葉子が、「愛する女が死んだ系」の話が許せず元彼の目黒時生(井浦新)に詰め寄って小説家への夢をあきらめさせるほどだったというのも面白い。その後の目黒との別れに至った展開も含め、今まで誰にも話せなかったことを、百目鬼にだけは話す。百目鬼も自分だけが知る潮の良さを自分の中だけに留めたいという深い愛情を初めて葉子に語る。そのときのなんともいえない表情が記憶に残った。

余韻を残したのは、なんといっても葉子がマッチングアプリで出会った男性(野木亜紀子作品には何度も登場する宇野正平が演じている)だろう。彼は日々、しゃべらないですむ仕事をしていて、宅配の人が来ても「ごくろうさま」がうまく言えないほどである。その彼が葉子に「あなた孤独じゃないんですよ、だから簡単に言えるんです。ひとりでも生きていけるって。ひとりじゃないから言えるんです」というセリフは、葉子だけでなく、視聴者にも刺さったのではないだろうか。

その後、葉子は盆石教室の生徒のひとりと話す中で、(『ユンヒへ』や『燕は戻ってこない』の演技も記憶に残る中村優子が演じている)「自然と一対一だと寂しくない」と言っているのを聞いたこともあり、仕事で出会う人たちに、「寂しさ」とは何かを問い始めるのである。

正直、周囲の人に「寂しさ」を問う行為も、本当に寂しくないからこそできることだと思った。それは葉子自身も、亡き両親への手紙(のような一人語り)の中で「これまで、寂しさをろくに感じることもなく、どこか遠い手触りのまま、生きてこられました」と言っていることからもわかる。しかし、これからは葉子も「寂しさ」と共に生きることは避けて通れないのだろう。

人生の後半戦に差し掛かった葉子が、それをどう畳んでいくのか

お正月のホームドラマだけに、このドラマの最後には、ユンスや百目鬼など、新たなメンバーも含めた「家族」で集まり、鎌倉の家で食事をするシーンで終わる。しかし、その前日の葉子は大晦日をひとりで過ごし、年越しそばをひとりで食べているのだ。

妹はユンス、弟は百目鬼というパートナーを得たが、葉子は先述の通り、ひとりで生きることで生活に満足していないと思われることに疑問のある人だから、現時点ではひとりの生活を自分で選択している。両親へのメッセージの中でも、「私は子どもを残しません」とも、「ただ生きて、小さな時間を過ごしています。そして、ひとつの命として消えていくのです」言っている。それを肯定していたとしても、「寂しさ」については考えずにはいられない。そのことは、なんら矛盾していないと思う。

葉子はこの鎌倉の大きな家の中で、そのほとんどの時間を一人で暮らすのだろう。葉子の「寂しさ」はこれから始まり、人生がもし100年ならば、その半分を過ごすことになる。

ドラマの前半部分で、彼女が担当する作家の二階堂は、作家の遺作の話題をきっかけに、「大事なのは畳み方」だと話している。「風呂敷のごとく、一辺一辺を丁寧に降りたたむ、ズバっと握りこんでぐしゃっと畳むこともできるんだが……」と「畳み方」についての例を語る。ドラマを最初に見たときは、単なるたとえ話の一つかと思ったが、このドラマ自体のテーマも、人生の後半戦に差し掛かった葉子が、それをどう畳んでいくのかということではなかったか。だからこそ、この続きを毎年、新春に観られたらいいのにと思う。

私が言わないでも誰かが言っているかもしれないが、このドラマが、向田邦子の新春シリーズのようなものになっていく未来が見えるし(このシリーズは実際には、向田邦子の没後にスタートした企画で、さまざまな短編をドラマ化したもので性質は違うが)、毎年、シリーズ化してほしいと思う自分がいる。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura

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