予測できない反応の中で、映画の力を信じる。宣伝・大橋咲歩|エンドロールはきらめいて 〜えいがをつくるひと〜 #17

CULTURE 2025.02.28

毎回1人ずつ、映画と生きるプロフェッショナルにインタビューしていくこのコーナー。

今回のゲストは『SUPER HAPPY FOREVER』や3月公開の『BAUS 映画から船出した映画館』など、話題作の宣伝を手掛ける大橋咲歩さん。映画の現場スタッフを志望していた学生時代のお話や、現在の働き方を見つけるまでの試行錯誤の日々について、この仕事を続ける上で心がけていることなどを伺いました。

話題のピークを見極める宣伝の仕事

――まず、大橋さんのお仕事内容について教えてください。

映画の宣伝プロデューサーとして、作品をどういうふうに売り出していくかを考えています。その中で、チラシや予告編などの宣材物をディレクションすることもありますね。

ほかにも「パブリシティ」と言って、とにかく色々なメディアに作品の存在や魅力をお伝えして、雑誌やウェブ媒体などで紹介いただく機会を増やす仕事もしています。

――映画の宣伝を担当される際は、自ら「やりたい」とアプローチするより、作品サイドからオファーされることが多いですか?

そうですね。作品ごとに声をかけていただく場合もあれば、同じ配給・宣伝会社さんから、複数作品の依頼をまとめていただくこともあります。まずスケジュールを聞かれて、その日程に合う作品をいくつか打診されるパターンもありますね。

大橋さんが宣伝を手掛ける映画『BAUS 映画から船出した映画館』ビジュアル。2025年3月21日公開
大橋さんが宣伝を手掛ける映画『BAUS 映画から船出した映画館』ビジュアル。2025年3月21日公開

――依頼を引き受けてからは、どんな流れで仕事が進行していくのでしょうか。

作品ごとに立ち上げの時期は全然違って、1年前に告知を始める作品もあれば、3か月前からの作品とかもあるんですけど。まずは、宣伝の方針とスケジュールを提案します。ビジュアルや予告編をいつ出すかとか、いつどんなイベントをやるか、とか。

作品ごとに強みが違うので、情報を出すタイミングはそれぞれ違って。極端な話をすると、アニメ作品なら「AnimeJapan」や「ジャンプフェスタ」など、大きなイベントの開催に合わせて公開2年前などに情報を出すのに対して、古典映画のリバイバル上映などのように新情報が少なかったり、権利の都合で告知に使える画像があまりなかったりすると、宣伝としても出来ることに制約があるので公開間近に情報を出す、といった違いがありますね。

どこを話題のピークにしたいかを考えて、逆算してスケジュールを組んでいくイメージです。1番の山場は、記事が出たり、公開記念イベントがあったりする公開直前の1、2週間でしょうか。

――作品ごとにさまざまなバリエーションがあるんですね。実際に映画が公開されてからは、どんなお仕事をされているのでしょうか?

作品の予算次第ですが、作品をご覧になった方や鑑賞するか悩んでいる方の反応を見て、やることを決める場合もあります。「ここでトークイベントをやった方がもうひと盛り上がりするかも」とか、「こういう広告を2週間出して欲しい」とか。洋画と邦画でも全然違いますが、基本的な作業は公開後1、2ヶ月まで続くイメージです。

1台のワゴンで全国の劇場を回った原体験

――大橋さんがこの仕事を始めたきっかけは何だったのでしょう。

私はもともと制作をやりたくて、大学で映画を作っていたのですが、ロケなどで住環境が変わることに身体が慣れず、現場に入るといつも具合が悪くなってしまって。先輩たちの現場に行っても途中で熱を出してしまうこともあり、全然使い物にならない日々が続きました。

それで「自分には制作は無理かもしれない」と悩んでいた時に、先輩の甫木元空さん(編注:映画『はだかのゆめ』などを手掛けた監督、Bialystocksのボーカルとしても活動中)が『はるねこ』という映画を自主配給しようとしていて。その配給や宣伝を手探りでお手伝いしたのが始まりでした。


映画『はるねこ』予告編

――『はるねこ』では、どんなふうに宣伝を進めていったのですか?

基本的には監督と私で動き、撮影現場でも一緒だった大学の先輩や同期も加わって、チラシ配りなど色々な作業をしました。名古屋シネマテーク(現ナゴヤキネマ・ノイ)の平野勇治さんに劇場目線での配給宣伝の流れを教えてもらったり、渋谷ユーロスペースの北條誠人さんに全国の劇場を教えてもらって、挨拶をしに行ったりもしましたね。

――各地まで出向いて直接「映画を上映してほしい」と?

はい、上映が決まる前に名古屋、大阪、京都、広島、大分などに車で行きました。当時、多摩美術大学の先生だった『はるねこ』プロデューサーの青山真治さん(編注:『EUREKA ユリイカ』などで知られる映画監督)が「そうした方がいいんじゃないか」と言って費用を出してくれて。そうやって直接オファーした劇場さんは、実際に映画をかけてくれました。車で来たことにびっくりされたこともありましたね(笑)。

――そのエピソード自体がまるで青春映画のような。

そうなんです!今思い返すと何でそんなに時間があったんだという感じですが(笑)。何人かでワイワイ行って、各地の劇場で映画も観て。楽しかったです。

宣伝会社の人ほど映画を観に行けなくなる?

――その後は自然と映画宣伝の道へ?

そうですね。もともと『はるねこ』の撮影後、青山さんに「もう(大学を)やめて、まずは『はるねこ』の宣伝配給をやってみれば」と言われていて。単位が足りなかったこともあったし(笑)、そのまま大学を中退していたんです。

そこからboidとマーメイドフィルムという配給会社でアルバイトを始め、まずはポスターを各所に郵送するような単純作業から、宣伝という仕事がどんなふうに組み立てられているのかを学びました。

ただ、当時はお金もないので飲食業のバイトも掛け持ちしていて。思うように動けず、双方に迷惑をかけてしまったので、結局丸2年ぐらいそういう生活を続けた後、就活をして配給会社に入りました。

――実際に働き始めてみて、いかがでしたか。

やっぱり会社になると、宣伝の人数が増えるので、単純にできることの幅が広がりました。特にその会社は、毎週ミーティングで自分が担当する作品以外の進捗も共有する文化があったので、劇場営業の状況が知れたり、自分が担当していない作品の宣伝についても学べたりして。意見交換ができる人数がすごく増えて楽しかったです。

ただ、その後「違うタイプの作品の宣伝を勉強してみたい」と、より規模の大きな作品を手掛ける宣伝会社に転職してみたら、そちらは1年くらいで疲れ果ててしまって。

――どんな部分に苦労を感じたのでしょう。

その会社では邦画やアニメ作品のパブリシティを担当していたのですが、イベントは人が集まりやすい土日に開催されるので、土日休みがずっとなくて。来年公開、再来年公開のものも含めて、たくさんの作品を同時に担当しなければならないのも大変でした。配給会社のときは2本くらいだった担当本数が、この会社では7~8本くらいを受け持つことになってしまって。次から次へと作品を担当する感じが「作業をこなす」ようで、自分にとってはもどかしかったですね。

「宣伝会社の人ほど映画を観に行けなくなるよ」とよく言われたのですが、プライベートの時間が削られてしまうし、観に行く体力もなくなるから、その時期は本当に映画館に行けなくなってしまいましたね。もちろんたくさんご覧になっている方もいるとは思うのですが。もともとは映画を楽しく観たいだけなのにこれはまずいなと思い、いちどは宣伝の仕事自体を辞めようかと考えていました。

――その後結果的に復帰したのにはどのような理由が?

こんなに辛い中頑張ってきたのに、重ねた経験がもったいないな、と思ったんです。それで学生時代から関わりのあるboidの樋口泰人さん(編注:「爆音映画祭」のプロデューサーで映画評論家)に、「会社に所属できませんか」と相談したら「いいよ!」と言ってくれて。それで今は、boidに所属してイベントなどの手伝いをしながら、フリーランス的に他の配給会社の作品の宣伝に関わっています。boidも配給会社なので一応競合他社にあたりますし、よく考えるとこの仕組みはおかしくて「変だね」と言われるんですけど(笑)。最近は、一緒に仕事をする方たちも慣れてきてくれました。


故・青山真治監督の企画を、甫木元空監督が引き継ぎ完成させた映画『BAUS 映画から船出した映画館』には、boidも製作・配給で参加している

映画が広まるのには、作品の力が必須

――日本各地まで作品の情報を届けるのは簡単なことではないと思うのですが、特に東京以外の場所への宣伝について、工夫されている点はありますか。

それが、私も全然正解がわからなくて、何がベストなのかと考え続けている状態です。都内でたくさん人が入っても、東京以外がそれに比例して盛り上がるわけではなく。ただ、自分は若い人がミニシアターに来てくれるといいな、と思いながら宣伝をしている部分はあります。

ミニシアターに宣伝するとなると、長く劇場に通っているご年配の方のことを考えがちなのですが、同時に若い人たちがミニシアターに行くきっかけを作れるのが本当は1番いいのかな、と。

――これからの常連になる人たちを探すような。作品のビジュアルひとつとっても、響く層が変わりそうです。

私もティザービジュアルとメインビジュアルのどちらかは、写真を撮ってSNSにアップしたくなるような、若い人に刺さるようなものがいいのかな、と思いつつ。ただ、毎回「これで絶対にヒットする!」と確約された施策はないので、変な話、作品がヒットしても「何でここまで広がったんだろう」と思うこともあります。

考えてみると、ミニシアターで公開される規模の映画は特に、作品に力があって、良い口コミが広がることが大きいのかもしれません。例えば『SUPER HAPPY FOREVER』(五十嵐耕平監督)は、初めて観た時から「めちゃくちゃいい作品だな」と思ったのですが、様々な解釈が生まれる作品でもあるので、どういう人たちが、どういうふうに観に来てくれるんだろう、という未知数な部分がありました。ただ、実際に公開されてみると想像以上の口コミが広がり、ミニシアターでやる映画の理想的な拡大の仕方をしていきました。知り合いからも、ナゴヤキネマ・ノイに初めて行ったけど、若い人がいっぱいいたよと連絡が来て。


『SUPER HAPPY FOREVER』予告

――すごく長い間上映されていましたよね。

そうなんです! 昨年9月から上映していたのが年を跨ぐくらい上映が続き、美容室でスパハピを勧められました、という人も周りに何人かいました(笑)。感想も含めて意外な場所まで反響が届いているのが嬉しかったです。

――自分の予期しなかったところから報われる感じが素敵ですね。映画が好きな方の中には、宣伝に興味を持つ方も少なくないと思いますが、大橋さんから見て、どんな方がこのお仕事に向いていると思いますか?

色々な物事に、広範囲に興味が持てる人ですかね。この仕事をしていると、ある作品をきっかけに、映画の舞台になった国のことに詳しくなったり、ある時代に詳しくなったりすることがあるのですが、そのあたりの作業が楽しめる方がいいのかな、と思います。決められたことだけやっていると、やっぱり疲れてしまいますし、作品のいいところや、自分が興味を持てる部分を探せる人が向いてるのかな、と。

――大橋さん自身が、今後こういう作品を宣伝していきたいという想いはありますか。

原点を振り返ると、大学時代に映画宣伝をやろうと思えたのは、すごく面白い映画を作る先輩たちが周りにいたからだと思っていて。自分が宣伝や配給をひと通りできるようになることで、予算はなくても自分が本当にいいと思う作品を定期的に届けられるようになればいいな、ということは昔から考えていました。もちろんそれだけで生活はできませんが、そんな活動もやっていけたらいいなと思います。

text_Kimi Idonuma edit_Wakaba Nakazato

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