おひとり様推奨!まずは一人でじっくりと想像に耽ることをオススメしたい『HAPPYEND』の見どころ
今作がおひとり様映画におすすめな理由
登場人物のその後をじっくり想像したくなる映画。語り合う余白はたっぷりあるけど、最初は一人でじっくり想像を膨らませて、物語が意味するものやエンドロールの向こう側までじっくり噛み締めたくなること確実。
以前とあるデモに行った時、知人から「そんなことしても意味ないよ、やめた方がいい」と冷笑めいた“助言”を浴びせられたことがある。不条理と感じたことに声をあげることに対し、そのような反応をわざわざ寄せてくる知人のその行為に当時は行き場のない憤りを覚えたものだ。
その後自然と疎遠になっていったその人物のことを、最近ある映画を観ていた時にふと思い出した。それが10月4日公開の『HAPPYEND』。ある事件がきっかけで考え方の違いが露呈し、関係性が揺らぐ子どもたちの姿を捉えた青春映画である。
メガホンを取るのは東京とニューヨークを拠点に活動する空音央(そら ねお)監督。坂本龍一の最後のピアノソロ演奏を記録したコンサート・フィルム『Ryuichi Sakamoto | Opus』が、世界中の映画祭で絶賛されたことが記憶に新しい気鋭の新星だ。
空監督は初長編劇映画となる本作も『ヴェネチア国際映画祭』で上映されたのだが、その際にパレスチナ国旗のバッジとクーフィーヤを身につけて出席したことも話題となった。その姿に象徴される、世界で起こる不条理や不平等に対する監督の憤りや鋭い眼差しは、この映画の中にも克明に刻み込まれている。
舞台は近い未来のある都市。高校生のユウタ(栗原颯人)とコウ(日高由起刀)は、幼い頃から何をするにも一緒の大親友。卒業が近付いてきたある日、彼らを含む男女5人組が真夜中の高校に忍び込む。粋なDJからもらった音源データを音楽機材が揃った部室で堪能するためだ。そして踊り疲れた皆が寝静まった明け方、屋上にいるユウタとコウは中庭に停められた校長(佐野史郎)のスポーツカーとフォークリフトを見て大掛かりなイタズラを思いつく。
その日の朝、学校では登校してきた生徒たちが騒然としているがそれもそのはず。校長ご自慢のスポーツカーが地面に突き刺さるように直立していたのだ。それを見た校長は激昂し、犯人を見つけ出そうと生徒たちを尋問していく。適当と嘘をつくユウタに対し、人種差別的な発言をする校長に対し毅然と言い返すコウ。そんなコウに唯一味方をしてくれたのがクラスメイトのフミ(祷キララ)だった。
政治や社会に危機意識を持つフミに触発され、コウは今まで見過ごしてきた不条理や理不尽に目を向けるようになっていく。一方、学校ではイタズラを発端としてAI監視システムを導入する事態にまで発展。どんどん自由が奪われていくなか、それでも飄々と毎日を過ごすユウタと、権力に抗おうとするコウはいつしかすれ違い始め……。
「ありえるかもしれない未来」と銘打たれている本作だが、どちらかといえば「すでにある現在の延長線」という方が正しい気がする。確かに未来的な要素はあれど、提示される社会の出来事や空気感は、その多くが現在進行形で体感・目撃しているものであるからだ。たとえば百年に一度の大地震の懸念、緊急事態条項の新設、雲や建物へ投影されるプロジェクションマッピング(っぽい映像)、忍び寄る軍国主義など。とりわけ強く覚えがあるのが社会全体にうっすらと蔓延る排外主義と、諦め・冷笑のムードである。
冒頭、怪しげなクラブで遊んでいたユウタとコウは警察から事情聴取を受ける。この世界では顔認証で身元が分かるようで、すぐさま二人が高校生ということがバレてしまう。だが軽く叱られるだけのユウタに対し、人種的なルーツが異なるコウは携帯義務のない特別永住者証明の提示を求められる。
このような人種などを理由とした不均衡な職務質問(レイシャル・プロファイリング)の問題は、現実でもここ数年で明らかになりつつある。だがそういったコウが受ける差別に対してもユウタは非常に無頓着。彼はデモ活動にも冷笑的で、不良でありながらも校長の理不尽な抑圧に対しても「仕方がない」と無気力で諦めたような態度を取る。不条理について真面目に会話できないユウタに、コウは次第に距離を感じ始めてしまう。
ユウタとコウの関係を眺めながら想起したのが『ブラインドスポッティング』(2018)だった。カリフォルニア州・オークランドを舞台に、幼馴染として共に育ってきた黒人と白人の青年2人が直面する致命的な相違を露わにする友情ドラマだ。そこで描かれていたのは兄弟のように育ってきても、人種的なルーツで見る景色、感じる恐怖、体験する出来事は違うということ。
そこでブラインドスポッティングとは“盲点”と訳され、同じ対象でも人によって見え方がまったく異なることを意味する言葉として用いられた。その映画を観たときは当時は心のどこかでアメリカ的な作品だと感じていたが、本作を観てまったくそんなことはないのだと今になって思う。ブラインドスポッティングは日本にも無数にあって、知らぬうちに自分の無頓着さに呆れられ、距離を置かれていることもままあるのかもしれない。
分断や差別を語る際、よく聞く言葉に「想像力の欠如」がある。劇中でもフミがクラスメイトを憂いてその言葉を使うし、確かにユウタはコウの境遇に想像力を働かせることはしない。だが本当に彼の想像力は欠如しているのだろうか?
ユウタやコウたちが仲間内でよくやる遊びがある。それは会話している人物を遠くから見て、アテレコをすること。彼らはその人物たちが何を考え、どんなやり取りをしているのかを空想して言葉を乗せていく。つまり最初から彼らは想像力豊かな子どもたちとして描かれているのだ。その備わっている想像力を、ユウタは物語の中でどう活かしていくのか。そこに空監督がこの物語、ひいてはこの世界や未来に込めた祈りを見ることができる。
この映画を観終わると、つい思わず彼らのその後について想像したくなる。卑近かつ奥行きのある題材なので多分に語り甲斐のある作品ではあるが、より深く語るためにもまずは一人でじっくりと想像に耽ることをオススメしたい。
1988年、奈良県生まれのライター。主に映画の批評記事やインタビューを執筆しており、劇場プログラムやCINRA、月刊MOEなど様々な媒体に寄稿。旅行や音楽コラムも執筆するほか、トークイベントやJ-WAVE「PEOPLE’S ROASTERY」に出演するなど活動は多岐にわたる。
公開情報
10月4日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
キャスト:栗原颯人 日高由起刀 林裕太 シナ・ペン ARAZI 祷キララ/佐野史郎
監督・脚本:空 音央
© 2024 Music Research Club LLC
Instagram:https://www.instagram.com/bitters_end/
text_ISO edit_Kei Kawaura