エクスタシーと欲望のせめぎあい。こんな日本のクライム・サスペンスを待っていた。Netflix『地面師たち』 

エクスタシーと欲望のせめぎあい。こんな日本のクライム・サスペンスを待っていた。Netflix『地面師たち』 
エクスタシーと欲望のせめぎあい。こんな日本のクライム・サスペンスを待っていた。Netflix『地面師たち』 
CULTURE 2024.09.03

配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回はNetflixドラマ『地面師たち』について。 

5週連続日本の1位を記録。凶悪犯罪を元にした作品 

Netflixで配信中の『地面師たち』は、5週連続日本の1位を記録、グローバルチャートでも5週連続トップ10入りしている。

日本でこのようなコンゲームやクライム・サスペンスものは、過去にもあったが、ここまで話題になった作品はあっただろうか。

『地面師たち』を見たことで、凶悪事件を元にした他の作品を見てみたいという人も増えているのではないだろうか。個人的には日本なら、映画『日本で一番悪い奴ら』や『最後まで行く』などがあるし、韓国ならば、今年公開された『密輸 1970』や『10人の泥棒たち』、『MASTER/マスター』が思い浮かぶ。

紹介した韓国の2作品には、キム・ヘスが出ているが、どこかセクシーな雰囲気を漂わせながらも、転んでもただでは起きない力強さ(ふてぶてしさ?)がある。コンゲームものは仲間の間でも食うか食われるかの緊張感があるから、ある種のふてぶてしさや強さがないと見ていてこちらが不安になる。だからこそ、キム・ヘスや小池栄子がハマるのだと納得した。

これまで、キム・ヘスの役は篠原涼子が演じてきたし(『ハイエナ』)、篠原涼子の役はキム・ヘスが演じてきて(『ハケンの品格』の韓国版『オフィスの女王』)、2人に近いイメージを持っていたのだが、むしろ小池栄子のほうがしっくりくる。もしも『地面師たち』が韓国でリメイクされるなんてことがあったら、小池栄子の役はキム・ヘスがぴったりくるのではないかと思ってしまったし、逆もありなのではないか。

勝手にキャスティングを妄想するなら、ハリソン中山はイ・ビョンホンがぴったりくるし、辻本はカン・ドンウォンが思い浮かぶが、このように人によって様々にキャスティングに想像を巡らせることも楽しみのひとつだろう。

『地面師たち』は、2017年に実際に起こった「積水ハウス地面師詐欺事件」をモデルにした新庄耕の同名小説を原作としている。他人の土地の所有者になりすまして売買契約を行い、お金を脅し取る詐欺集団と、デベロッパー、そしてその事件を追う警察を追っている。

地面師集団の顔ぶれは、リーダーのハリソン山中(豊川悦司)に、彼が信頼する交渉役の辻本拓海(綾野剛)、図面師の竹下(北村一輝)、法律屋の後藤(ピエール瀧)、手配師の麗子(小池栄子)の5人。それぞれ納得のキャスティングで、彼ら5人が建設中のビルにたたずむビジュアルもスタイリッシュで、その写真を見て「こんな日本のクライム・サスペンスを待っていたのだ」と思った(建設中、もしくは建設半ばで頓挫したのか、廃墟なのかわからないが、韓国映画『新しき世界』のビルのシーンを彷彿させるものがある)。

しかし、何度見ても私が興味を覚えるのは、彼らに騙されるデベロッパーたちの人間臭さや愚かしさである。

序盤で地面師たちに騙されるのは、不動産企業の社長・真木悠輔(駿河太郎)だ。彼は騙されているとも知らず交渉をしていたときは、堂々としていて不敵な笑みを浮かべ、自信満々の面持ちである。

大きな交渉が成立すると、その達成感と安堵もあって、途端に調子に乗り始めるのである。真木の場合は、グラビアアイドルとの密会現場を週刊誌に押さえられるのだが、大きな仕事を終えて脂が出ている状態では、それも本望なのではないだろうかと思えるのだった。

ただ、このドラマは残酷で、そうやって調子に乗りまくっているそのときに、不動産売買の交渉は詐欺であったことが発覚し、彼を地獄に突き落とすのである。

後半で地面師たちのターゲットになるのは、業界最大手の石洋ハウスの開発事業部部長である青柳隆史(山本耕史)だ。彼は、もともと関わっていたプロジェクトが頓挫し、代替の土地を探していた。ライバルでもある商業事業部部長の須永(松尾諭)から、ネチネチとそのことをつつかれ、起死回生の機会を伺っていたのだった。

日本の会社におけるホモソーシャルが無関係ではないと思えるのが、このドラマのいいところ

そんなところに、高輪にある寺の土地を取得できるかもしれないと持ち掛けられて、渡りに舟と乗ってしまう。しかし、なぜ一流企業でバリバリ仕事をしているサラリーマンが、こんなにたやすく本人確認もせずに重要な契約をすすめようとしてしまうのかと思ってしまうが、その背景には、日本の会社におけるホモソーシャルが無関係ではないと思えるのが、このドラマのいいところだと思う。

青柳の場合は、上からはプレッシャーをかけられ、横を見ればライバルに先を越されそうになり、後輩には昔のやり方でパワハラまがいのやり方を強要している。女性社員はこの会社の描写では、いまだ出世する男性社員のサポートというか士気を盛り立てるような役割を担っており、青柳にとってはそんな女性社員に癒しを求めているように見える。そんな中で(実際には単に会社の中での出来事に過ぎないのに)生き残りをかけて必死なのだが、日本のある時期までの(いまも続いているだろうが)組織の縮図のようにも思え、滑稽に見えてしまう(そしてそんな中でもがく山本耕史の演技がいい!)。

(このドラマ、警察組織では、すでに女性の刑事が活躍する世界を描いているのだが、デベロッパーの中は旧態依然としたままなのである。それが現実を映し出しているのかは、わからないが……)。

序盤の不動産会社社長・青木は、大きな取引を終えると、調子に乗ってグラビアアイドルと密会していたが、青柳とて例外ではない。

取引を目前に自分の成功を確信すると、興奮して机の下で密かに自分の股間を手でぎゅっと掴んでいるし、取引が終わると会社でつきあっていると思しき美女の同僚を高層階のホテルで抱くのである。階下に見える摩天楼をまるで自分のものでもあるかのように勘違いしながら……。これはデベロッパーの彼の傲慢さ見えるシーンだからこそ面白いのである。

もちろん、青木と同様、青柳も調子に乗った絶頂点で、地獄に突き落とされる。つらい場面ではあるが、そこに至るまでの欲望をこれでもかとデフォルメしてコミカルに描いているから、「人間、こんな簡単に欲望に振り回されたらいけないな」という、戒めのようなものを感じることができる。

地面師たち

「欲望」と「エクスタシー」のせめぎあいを描く

騙されるデベロッパーたちが「欲望」にふりまわされた人だとしたら、地面師のリーダーのハリソンは、エクスタシーを得たくてこの仕事(ではなく本当は犯罪だ)をしているのである。彼にとってのエクスタシーとは何かというと、得難い経験をすること、より崇高な山に登ることだ。

ドラマの冒頭、ハリソンは熊と出くわすが、ギリギリのところに迫ってくるまで待って銃で攻撃する。スリリングなことは彼にとってはご褒美のようなもので、地面師の仕事も、すんなり成功することはつまらないと思っているのだろう。

そんな彼が見染めたのが、綾野剛演じる辻本だ。その理由は、辻本が人を殺したことがあるのではないかと思えるような空気があり、それを察知したからである。深淵を覗いたことがあるものにだけある空気にシンパシーを覚えているのである。彼なら、自分と同じようにエクスタシーを感じるのだろうと。反対に、小池栄子演じる麗子が怒ると簡単に「殺すぞ」と言いまくることにハリソンは軽蔑を覚えているのである。人を殺すこと、それによって得られるエクスタシーを愉しむことはエレガントで高尚な趣味であるとでも思っているのがうかがえる。

ハリソンはときおり、真理を突くような発言をする。例えば、「最たる愚行は土地を所有したがること」「それによって戦争や殺戮を繰り返してきた」「土地が人を狂わせる」と語る。この言葉は、見ている自分にもずしっと重みがあるが、「欲望」にふりまわされているデベロッパーたちの愚かしさを指摘しているのだと思われる。

デベロッパーの青柳とてそのことには気付いていて、「戦争は突き詰めれば土地と土地との奪い合い」と部下に言っているのである。ハリソンと青柳は同じことに気付いているが、奪い合いに実際に首を突っ込むか、奪い合いを高みから見ているかの違いがある。

ハリソンは、「エクスタシー」を「欲望」よりも崇高なものと捉えている節がある。しかし、結局は、どちらも自身に性的興奮をもたらしているだけなのではないかと思うと、ハリソンも青柳にも変わりはないのではないかと私には思える。

しかし、ドラマとして「欲望」と「エクスタシー」のせめぎあいを描くというテーマは面白い。

誰よりも特殊なエクスタシーを追及する他者と、その他者にどうにも心惹かれてしまう主人公の物語を、私は村上春樹の小説でいくつか読んだことがある。

韓国映画『バーニング』の原作になった短編の『納屋を焼く』では、主人公は謎の男に出会い、彼が理由もなく納屋を焼いているという事実に無性に惹かれていた(『バーニング』では主人公は男のビニールハウスを焼くというエクスタシーを欺瞞と捉え、主人公が怒りで燃え上がっていたが)。『騎士団長殺し』では、鈴の音の鳴る石室に閉じ込められようとする隣人を主人公は不可思議に思いつつも手助けするのである。

この二つのシーンには、他の意味合いも込められているのだろうが、ハリソンを見ていると、なぜかこの二つの村上春樹作品を思い出したのだった。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura

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