「ひょんなことから同居」ドラマから見える新たな問題提起。ドラマ『西園寺さんは家事をしない』 

「ひょんなことから同居」ドラマから見える新たな問題提起。ドラマ『西園寺さんは家事をしない』 
「ひょんなことから同居」ドラマから見える新たな問題提起。ドラマ『西園寺さんは家事をしない』 
CULTURE 2024.08.15
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『西園寺さんは家事をしない』について。 

‟ひょんなことから同居するドラマ”の人気 

ひょんなことから同居が始まるドラマというものがある。『逃げるは恥だが役に立つ』は、家事代行サービスの仕事で知り合ったふたりが契約結婚をする物語であるし、『イタズラなKissは、地震によって家を失ったヒロインが、父親の親友の家族と共に暮らす話である。 

『きみはペット』は、キャリアウーマンのヒロインの家の前に、年下男子が段ボールに入って横たわっていて、共に暮らす提案をする話であるし、『ホタルノヒカリ』は、外ではパリっとして働いているが家ではゴロゴロしているヒロインの家に、手違いから会社の上司が引っ越してくる物語だ。 

これらは全て漫画が原作だが、木村拓哉と山口智子が主演の『ロングバケーション』は、結婚寸前で相手に失踪されたヒロインが、その婚約相手のルームメイトと暮らすことから始まるオリジナルドラマであった。 

こうした、‟ひょんなことから同居するドラマ”は、アジアでもリメイクされたり、オリジナル作品が作られたりしていている人気のジャンルである。 

漫画原作やドラマは、そのときどきの「女性はこうであるべき」というイメージを更新したり、肯定したりしてきた歴史 

そして2024年の夏、新たな‟同居ドラマ”『西園寺さんは家事をしない』がスタートした。原作は、先述の『ホタルノヒカリ』のひうらさとる。 

主人公は、アプリ制作会社で働く38歳の独身女性・西園寺一妃(松本若菜)で、彼女が、アメリカ帰りのエンジニア・楠見俊直(松村北斗)とひょんなことから同居をする物語だ。 

これまでの物語と違うところは、西園寺さんは、外ではバリバリ働いているが、家では一切、家事をしたくないという女性であること、相手の楠見は妻に先立たれ、4歳の娘・ルカと暮らすシングルファーザーであったとうところではないだろうか。 

そんなふたりが、共に暮らすきっかけは、アメリカから日本に帰ってきたばかりの楠見親子の住む家が火事で焼失したことにある。見かねた西園寺さんは、ふたりに自分の家で暮らすよう声をかける。 

この西園寺さんの住む一軒家は、彼女が購入したもので、その家には賃貸として貸すことのできる玄関の違う部屋があったのだった。ローンで頭金を払って貯金は666円になってしまったという描写はあるものの、ラブコメのヒロインのキャリアと稼ぎが、「ここまで(家をさらっと買ってしまうところまで)来たか!」と思わせるものがある。 

また、「家事」というものがテーマのひとつになるというのも、TBSドラマの‟十八番”だろう。『逃げ恥』はもちろんのこと、『私の家政婦ナギサさん』も、外ではバリバリと働いているキャリアウーマンのヒロインが、妹からの誕生日のプレゼントとして、‟おじさん”の家政婦が自宅に送り込まれたことから始まるストーリーであった。 

女性が外でバリバリと働くことが多くなった今、家に帰って炊事や洗濯をする時間を作って、「暮らし」を維持することは難しい。それは、読者や視聴者にとっても、身近な話題となっているということかもしれない。 

確かに『ホタルノヒカリ』で、外ではバリバリ、家ではゴロゴロする‟干物女”という概念を知ったとき、自分も「こんなヒロインみたいな生活をしていたのは、私だけではなかったのか!」と思えた。この漫画の連載が始まったのが2004年、ドラマが始まったのが2007年であるから、当時はまだ、女性が家ではゴロゴロしているということは、隠すべきこととされていたのだろう。 

こうした漫画原作やドラマは、そのときどきの「女性はこうであるべき」というイメージを覆して更新したり、肯定したりしてきた歴史なのである。 

「普通の家族」という幻想にふりまわされている

今回の『西園寺さん』は、家事をしないということを、周囲にも宣言しているというのが、新しいところだろうか。そして、共に暮す楠見くんは、シングルファーザーで、家事をすることと切っても切れない生活をしている。 

以前のドラマであったら、こうした2人が出会ったら、女性も以前はやらなかった家事をして協力して解決……となりそうなものだが、それだけでは「問題提起」にならない。 

楠見くんは、家に安く住まわせてもらっていることから、西園寺さんの家事を手伝い、また西園寺さんは、ルカちゃんの保育園のお迎えに行ったりと、‟偽家族”として、試行錯誤の生活が始まる。 

しかし、‟偽家族”が協力しあうことを、楠見くんは「家族でもない人にそこまで甘えるのは変です、異常です、普通じゃないです」と、ことあるごとに言う。 

この「家族や恋人ではない男女が助け合うことはできるのか」ということは、楠見を案じる松村北斗が主演の映画『夜明けのすべて』でも掲げられていたもので、この連載コラムでも書いたが、『西園寺さん』でも、同様のことがテーマのひとつとなっていた。 

『夜明けのすべて』では、「家族や恋人でなくても、男女は助け合うことができる」という可能性を示すためにも、ふたりは恋愛感情で助け合ったのではなかったと解釈できたことが、個人的には、この映画に惹かれる最も大きな要因のひとつであった。 

しかし、ドラマ『西園寺さん』を見進めると、西園寺さんは、楠見に恋愛感情を持ち始めるのだ。それはそれで、ラブコメとしては、徐々にお互いのことを理解し、好きになっていく過程がじっくり描かれているという意味で、楽しめるものではあるのだが、一話や二話で掲げられた「アラフォー女性と、年下シングルファーザーと娘がひょんなことから偽家族になるが、それはどのように持続するのか」という「問題提起」のほうが、後の恋愛に発展する展開よりも興味深かった……という感覚も、現時点の私にはある。 

漫画原作は5巻で完結していて、ふたりは自分たちだけの関係性を見つけるというところにたどり着くということはわかっている。そこには多分、どのような形で始まったとしても、人は「家族」になれるというメッセージが込められているのだろう。 

楠見は、「家族」でもないものに「甘える」のは「普通じゃない」と言っていたが、世の中の「家族」の「普通」を、更新したいという思いがこの作品にはあるのだろう。西園寺さんが、ルカちゃんのために、彼女の通う保育園の保護者たちに声をかけ、誕生会を開くシーンがあるが、そこに集まった家族も、ステップマザーの人がいたり、妻が単身赴任中で祖父母が子どもの面倒を見ている家族がいたり、同性のパートナーと暮す女性がいたりと、多様な家族のあり方が見えていた。 

そこで、楠見は「普通の家族ってなんでしょうね?」「ほんとうは、普通の家族なんて存在しないんじゃないかと思って。なのに僕らは、その存在さえしないものに振り回されている」と語るのである。 

そのテーマには、常に関心はある。「家族のあり方を問う」ドラマは、いくつあってもいいと思うが、ふたりが「愛情」でつながるという展開だとしたら、それは今までにも見られたステップファミリーの物語である。さらに何か別の視点があることを期待してしまう自分もいるのである。 

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura 

 

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