現在の「結婚」が、なにもかもを担わせすぎていることを突きつける『1122 いいふうふ』

現在の「結婚」が、なにもかもを担わせすぎていることを突きつける『1122 いいふうふ』
現在の「結婚」が、なにもかもを担わせすぎていることを突きつける『1122 いいふうふ』
CULTURE 2024.07.10

配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『1122 いいふうふ』について。

公認不倫をしながらも仲の良かった夫婦が、違和感を持ち変わっていくまで

渡辺ペコによる漫画原作の『1122』が、監督:今泉力哉、脚本:今泉かおりという実際の夫婦の手によってドラマ化され、Prime Videoで配信されている。

主人公の相原一子(高畑充希)と相原二也(岡田将生)は、傍から見ると仲睦まじい夫婦で、実際にも仲良くおだやかに暮らしていたが、実は毎月、第三木曜日に、二也が通うお花教室の生徒の柏木美月(西野七瀬)と不倫していた。一子はそれを公認していたのだが、次第に違和感を持ち始める……。

当初の一子は、恋している二也の表情を見て、「うちに、恋をしている人がいます」「恋をしている人は、キラキラルンルンしています」「生きてるって感じ、輝くってこういうこと?」と夫のことを俯瞰してみていられるくらいであった。

そのことで一子は「余裕と楽しみが生まれて、家庭生活もうまくいくか」と考えており、実際に二人でいろんなところに出かけたり仲の良い夫婦であることに変わりはなかった。一子自身も、自分の性欲が「凪」のようなおだやかな状態で、そのこともありそれなりにいいバランスを保っていたのだった。

一子が変わるきっかけは、毎年一緒に過ごしている結婚記念日に、不倫相手の美月の家族の事情で、二也が美月と会う予定を優先しようとしたことだった。一子は、「あっち」の家族の事情が、自分たちの家族の事情より優先されたことに腹をたてる。そのときもまた一子は「嫉妬じゃないから」「感情じゃなくてルールの話だから」と冷静を装うが、日本酒のおちょこを持つその指からは、苛立ちが滲み出ていた(演技が細かくていい)。

結局、温泉旅行には行くことになり、夜に一子のほうから二也とSEXしようと甘えるが、二也に拒否されてしまう。このとき冗談めかして「減るもんじゃあるまいし」と言う一子と、「減るよ」という真剣なトーンの二也の差が印象的だ。一子はすっかり忘れていたが、過去に二也に対して「私達、十分仲良しだし、言葉でコミュニケーションとれてるし、なくてよくない?SEXとか」「風俗とかは?家意外でなんとかできないかな、そういうの」と言って傷つけていた過去があったのだった。

夫婦公認でルールを設けて不倫をしている相原夫婦に比べて、柏木美月の夫婦の方は深刻だ。息子の発達は一般の同じ年齢の子に比べて遅れていて、いつも「ママ、ママ」と頼っているし、公園に行けば、同じ年頃の女の子たちが遊んでいたボールを取ろうとしてしまう。美月がひとりで子育てをするにはいっぱいいっぱいであった。

おまけに専業主婦だからこそ夫の志朗(高良健吾)は家のことを妻にまかせきりで、相談にものってくれない(それどころか、疲れた美月を、「生理が終わったばかりだろう」と無理やり寝室に誘おうとしたりしている。つまり求めるだけは求めているのだ)。

美月は、そんなギリギリの中で不倫をしているわけだから、二也とは「不倫相手」に期待する重みが違う。二也にとっては、なんでもないLINEでも、美月にはその文面が輝いて見えただろう。公園で二也と息子と三人でお弁当を食べていたときに、どれほど美月は癒されていただろうか。

このお弁当を食べていた姿を美月は夫に見られてしまうのだが、美月は二也との関係性を「終わらせたくないから、気をつけようね」と二也に語り掛ける。しかし、二也の方は妻がこの不倫を公認していると知って「私はあなたたち夫婦のバランスをとる緩衝材ってこと?」と愕然とするのだった。

『別れる決心』『失恋ショコラティエ』ら「不倫もの」の作品と比べて

不倫ものの映画やドラマでは、双方の「余裕」のありなしの「落差」が悲劇を生む。

韓国のパク・チャヌク監督による映画『別れる決心』(2022年)では、中国からの過酷な密航船でやってきた移民であるソン・ソレ(タン・ウェイ)が夫殺しの被疑者として刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)の前に現われると、その神秘的な美しさにヘジュンはどんどん惹かれていく。ソン・ソレにとっては、ヘジュンは自分を夫殺しの罪から救い出してくれる存在であり、そして祖先の誇りをかけたある行動に伴走してくれる人として必要であった。終盤になるにつれ、父親ほども年齢の離れた出入国・外国人庁の元職員の夫から暴力を受けてギリギリであったソレと、純粋に恋心(下心と言ってもいいだろうか)に浮かれるヘジュンのコントラストが残酷に描かれる。

水城せとなの原作で、安達奈緒子らが脚本を担当したドラマ『失恋ショコラティエ』(2014年)は、高校時代からモテモテで、現在も編集者の夫と結婚して何不自由ない暮らしをしている(と思われている)サエコ(石原さとみ)が、高校時代の後輩で現在は新進気鋭のパティシエであるソウタ(松本潤)の前に現われるところからスタートする。ソウタは、高校時代にサエコに何度も告白してふられており、現在のサエコのことを以前のままの最強のモテモテのサエコと思っているが、実は新進気鋭のパティシエとなったソウタとの立ち位置は逆転している。実はサエコは夫からDVに耐えながら家を支える毎日に疲弊しており、余裕を見せながらも実際にはソウタにこの状態をどうにかしてほしいという気持ちを持っていた。

家庭内で問題を抱え、不倫相手との関係性にひとすじの光を求めて、そこから連れ出してくれるのではないかと全身全霊でぶつかる女性と、家庭内でのほころびや、日常生活のむなしさを、ひとときの愛で癒したいだけで、自らの家庭や生活を壊したいわけではないという男性との間に悲劇が生まれる不倫ものは多い。

しかし『1122』の場合の悲劇は、コミカルでもある。美月の夫の転勤が決まり、二也が「これが最後だから」と美月とホテルで会うシーンがある。このとき、二也は「これからは、俺も美月さんも自分の家族を一番に大切にしていこう」「友達になろう」とSEXをこばむと、「夫婦の再構築を宣誓できて、今、いい気分?」と憤りを感じた美月は、お花教室で使うためにと二也にプレゼントした「剣山」で二也に危害を与える……。時を同じくして、一子は女性用風俗のセラピストの礼(吉野北人)とSEXをしていたのだった……。

文字にして書いていると、美月の行動は「阿部定事件」や、それを元にした映画『愛のコリーダ』(1976年)を思い起こすような部分があり、到底笑えないことように思えるのに、1122』からは、どこか笑えてしまう雰囲気が漂っているのが不思議である。それは、二也の自分では気付いていない「無自覚の優しき残酷さ」が、極めて客観的に描かれているからだろう。そういう意味では、『別れる決心』の刑事・ヘジュンにある「無自覚な優しい残酷さ」が作るコミカルさに通じるものがある。ふたつの作品のテイストはまったく違うのにも関わらず、である。

現在の「結婚」が、なにもかもを担わせすぎである現実をつきつける

しかし、これらの作品に描かれる「余裕」のありなしの「落差」はどこから生まれるのだろうか。

『別れる決心』のソレの夫は、それなりの立場の公務員で、しかも密航船で入境した人たちから賄賂をもらっていた疑いもあるほどだから、経済的に困っていたというわけではないだろう。『失恋ショコラティエ』のサエコの夫も編集者であり、サエコはソウタの作る高級なチョコレートをいつも購入したりと、金銭的に余裕があるように見えた。『1122』の場合も、美月の夫はそれなりの会社に勤めていて、海外赴任もあるような立場であるから、経済的に相原夫婦と格差があるわけではないだろう。

しかし、彼女たちは、それぞれに「家制度」や「夫の旧態依然とした考え方」に縛られていた。ソレは生きるために結婚した夫から暴力を受けていたし、サエコもまた夫から暴力を受けてた。美月の夫は、暴力こそないが、家庭内は性別役割分業が当たり前と思っていたのだった。

対して『別れる決心』のヘジュンの家庭は妻のほうが原子力発電所の最年少所長という所謂バリキャリで、週末だけ夫婦一緒に過ごすような、よくある結婚の形に縛られない夫婦である。『1122』の相原夫婦はいわずもがなで、男女の性別役割分業などはほとんど見られないし、ふたりの立場は同等の友達夫婦であった。

相原夫婦は、双方ともに「家父長制」を意識していない、いまどきの、もっと言えば「意識の高い」夫婦だろう。だからこそ、彼らの行き詰まった状態は、現在の「結婚」が、なにもかもを担わせすぎである現実をつきつける。恋愛もして、友情のような気持ちを育み、それでいてSEXを絶やさず、子どもを産み一緒に育て、お互いの両親のケアもする……これらのすべてを一対一の関係性で担うことは、実はとても難しいことなのではないかと思わせるものがあるし、それは原作のテーマとしても当初から存在していたのではないだろうか。

旧態依然とした家制度を信じた美月の夫婦は、離婚することなく関係性を再構築する(夫の志朗が、妻に愛情があり、子育ての大変さを実感し、変わろうと出来る人でよかった)のに対し、相原夫妻は、一時は旧態依然とした家制度に沿った夫婦になろうと不妊治療をはじめるも、それは何かが違うと婚姻関係を解消して、新たな関係性を構築しようと歩み始める姿が象徴的だ。

相原夫妻は、「余裕」があるからこそ現行の結婚制度にも疑問が持てるし、自分たちなりの夫婦のあり方を模索しているところで物語は終わりを迎える。

こう書くと、「落差」で分断を煽っているように見えるかもしれないが、そうではない。従来の制度を見直す時期が来ているということが、このドラマから見えたのだ。それは(ドラマに書かれているわけではないが)選択的夫婦別姓や、同棲カップルの結婚などをどうすすめていくかということにもつながっていることだろう。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura

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