代理出産をテーマに、貧困や欲望など、なかったことにされてきた女性の問題に焦点を当てたドラマ『燕は戻ってこない』
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『燕は戻ってこない』について。
生活苦に、卵子提供するだけでなく代理母になることを決意
現在NHKのドラマ10枠で放送中の『燕は戻ってこない』は、刺激的な作品だ。よく「攻めた企画」などと言われる作品があるが、それは単に「昔はこんなに際どいことがまかり通っていて、よかったなあ…」と過去を懐かしむものであることが多いように感じる。そのときの「際どい」とは、男性側の目線ではなかったか。
原作は桐野夏生の同名小説で、脚本を朝ドラ『らんまん』の長田育恵が担当している。意外にもこの組み合わせが良く、今後もこの二人のタッグでのドラマを見てみたいと思った。
主人公のリキ(石橋静河)は、病院で派遣社員として働いているが、一日9時間以上働いても月の手取りは14万円という厳しい暮らしをしていた。同僚のテル(伊藤万理華)も同様で、派遣社員の賃金だけでは足らず、奨学金を風俗で働いて返していた。二人はランチで外食に行こうと外に出ても、行先はコンビニのイートイン。しかも、サンドイッチやサラダを手に取れず、「炭水化物は正義だよ!」と自虐とも本気ともわからないことを言いながらカップラーメンをすするのだった。
そんな中、テルはリキに卵子提供をしてお金を稼ごうと持ち掛ける。最初は戸惑うリキだったが……。
テルとリキのやりとりもリアルだが、酒向芳演じるリキの住むアパートの隣人からの執拗な嫌がらせも真に迫っていて、リキでなくともどこかに逃げたくもなるだろう…と思わせるものがある。それくらいにリキは追い詰められている。
リキは意を決してアメリカの生殖医療エージェント「プランテ」日本支社に向かい、元バレエダンサーの草桶基(稲垣吾郎)とその妻、悠子(内田有紀)に卵子提供するだけでなく、代理母になることを決意するのだった。
「人工授精で上書きしないとと思ったんです」
代理出産、卵子提供がテーマにありながら、このドラマには、さまざまな問題提起がある。
そして、とにかく毎週、見逃せないと思うくらい面白い。その人物像はリアルなのに、ギリギリありえないくらい、話の展開がデフォルメされているからかもしれない。
リキは代理出産を引き受けると、テルに薦められて女性用風俗の男性セラピストのもとにいき、セックスをする。リキはその後も、叔母のお墓参りもあって、地元の北海道に帰り、元の職場の同僚たちと集まった帰り、かつて関係のあった妻子持ちの上司ともセックスをしてしまうし、男性セラピストともまたセックスをする。何度も何度も……。
次の排卵日までに時間があると高をくくっていたリキだったが、ネットで検索をして、精子が一週間生きている可能性があると知って愕然とする。人工授精も行うが、その結果、誰の子かわからない双子をリキは授かっていた。経緯を悠子に伝えるときにリキは「人工授精で上書きしないとと思ったんです」と言っている。見ていて、そんなバカなことがあるかとは思うが、追い詰められているときに、そのような判断をする人がいないとは限らない。
リキは、流産したと嘘をつき、もう一度、人工授精をやりなおしたほうがいいのではないかと悠子に提案するが、こうしたリキに対する反応が、それぞれ違って興味深い。
代理出産を依頼する側の悠子は、かつて自分も堕胎手術をしたことがあり、そのことで夫との間に子どもが生まれなかったのではないかと後悔している。その上、不妊治療でのつらい経験もあるから、リキの体やメンタルに対しての理解があり、リキの子どもが誰の子どもかわからなくても、堕胎をすることを絶対に望まない。
一方、草桶基の母親の千味子は、元有名なバレエダンサーで、自分と息子の遺伝子を継いだ子どもが生まれ、将来、有能なダンサーに育つことを夢見ている。血筋や才能を重んじ、リキの生活を管理しようとしたり、人工授精を家畜を扱うかのような発言をしたりする千味子を見て、悠子は嫌悪感を持っているのだった。
夫の草桶基も、表向きは優しくて穏やかな人間だが、言葉や行動の端々に、母の千味子の影響が見え隠れしている。代理出産の契約が結ばれると、はしゃいで自分の精子がどれだけ元気かがわかるアプリをインストールして悠子に見せたりもするデリカシーのなさも。リキが北海道に帰省したときには、彼女の行動を非難する長文のメールを送ってリキを困惑させる(そのことでむしゃくしゃしたリキは元カレとホテルに行って何度もセックスしてしまうのだ)。リキや悠子とは、人工授精への温度がまったく違い、彼は単なる人工授精の依頼者なのである。
そんな中、リキに対する反応として一番面白いのが、悠子の友人のりりこ(中村優子)である。彼女は春画画家としてペニスを絵に描いたり、あけすけに欲望の話をする人で、同時に彼女自身は、純粋なまぐわいには興味があるけれど、自分には恋愛感情がなく、誰かと寝たいとは思っていない人であった。
りりこは、リキに対して無邪気に好奇心を向けるが、リキが人工授精がつらく「男と好きに寝るでもしないと、自分じゃなくなっちゃいそうで」という理由から、二人の男性と寝たことを聞き、「女はそうやって自分に忠実に生きるべきだよ」「性行為と生殖は別のもの、あなたは純粋に性行為を楽しみたかっただけ、最高!」と興奮。リキを気に入り、もしも今回の人工授精のことで違約金を払うようなことになったら、その違約金を自分が肩代わりすると宣言。自分のアシスタントにスカウトする。
また、「何の才能もない」と自分を卑下するリキに対し、りりこは、「才能なんてどうだっていい。何より、あなたの精神が気に入ったからね」と言う。これは、「才能、血筋」にこだわる草桶千味子とは対称的なのであった。
これまでのドラマでは、いるのにいないことにされてきた「女性たち」の存在
私は冒頭で、「攻めている」と言われるドラマの多くが、男性側の目線での「際どさ」が描かれていると書いた。本作に登場する女性たちも、そのような目線で見れば「際どい」人間に映るかもしれない。彼女たちは、これまでのドラマなどでは、隠されてきた人たちだ。隠されてきたことのひとつは女性もさまざまな欲望を持つということ。そしてもうひとつは、女性の困窮であり、その困窮から誰かを頼ろうとしても裏切られ、堕胎をしたりしている女性の姿である(もちろん、隠さないドラマも昨今は増えてきているし、そんなドラマを本コラムでは紹介しているつもりだ)。
女性は結婚して幸せな暮らしをするもの、という思い込みで作られたドラマでは、こうした女性はいないものとされてきた。それはなにも、リキだけではない。不倫の末に有名バレエダンサーと結婚し、過去に堕胎の経験があるために、人工授精で彼の子どもをほしいと願いながらも、人工授精自体になんともいえない違和感を持つ悠子のことも、自身は恋愛感情も、他者への性的欲望も持たないが、女性の欲望は解放されるべきと考えるりりこもまた、‟一義的な意味での幸せな”ドラマではなかなか描かれてこなかったと言っていいだろう。
孫の顔が見たいと切望する草桶千味子や、リキに「楽になれる方法を教えてやろうか」と意味深な言葉を残して死んでしまった叔母などは、ドラマにはよく出てくる存在で、ふたりとも、結婚や出産こそが女性の幸せであると信じている人たちである。しかし、彼女たちのグロテスクさを、ここまで書いたドラマもなかなか少なかっただろう(あるにはあるが、そんなドラマもないことにされてきた)。
こうした女性たちは、実は際どいわけではない。「際どい」女性だと決めつけられ、存在しているのに望ましい存在ではないから見て見ぬふりをされてきただけなのだ。
『燕は帰ってこない』が、ドラマとしてときに下衆なまでの好奇心をくすぐられる作品ではあるのに、それだけに見えないのは、いるのにいないことにされている女性たちに焦点を当てているからかもしれない。