ハナコラボパートナー・島村優子さん 「ポールダンスは、自分だけの“色”をつけてくれた」 | 私が、私を好きであるためにしていることVol.1 Chance 2024.06.28

人生を歩んでいくなかでちょっとずつ感じる、環境や心の変化。その壁が立ちはだかったとき、“自分はこれでいいんだ”と胸を張って生きていくには、どうすればいいのだろうか。他者との比較ではなく、自分を愛するため、肯定するためにしている趣味、仕事、考え方を見い出し、輝き続けている人たちを温かく追っていきます。第一回は、会社員としてアパレルのPRをする傍ら、ポールダンスパフォーマー&講師としても活躍する島村優子さんにインタビュー。

My Identity

自分に“色”をつけるために見つけた、ポールダンスの世界

静かに据えた一本のポールを使って、しなやかに、そして可憐に回る様子は、華やかな衣装で妖艶に見せるポールダンスのショーとはまた違う、強すぎず、シリアスにもならない凛とした美しい姿

「元々、ヒールを履いてギラギラとした衣装をまとって踊るようなタイプではなくて(笑)これが他にはない、私らしさ。自分の表現を見てほしい! と静かに燃えるような気持ちは、いつ、どこで踊っていても変わらないですね」と私たちに笑顔で話してくれたのは島村優子さん。

ポールダンスを始めて、もうすぐ15年を迎えるという。

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普段は会社員としてアパレルのPRをしている島村さんが、ポールダンスに出合ったのは30代の頃だった。

「漠然と自分の趣味の欄を埋めたいと考え始めたんです。カフェ巡り、読書、映画観賞だとなんだかピンとこないし、そもそも自分の趣味ってなんだろう?もっと自分に色をつけたいちょっと人と違うことをしてみたい、と探し始めました。

私のまわりには、好きなものをちゃんと持っている人、それを仕事に繋げている人が多かったので、いま振り返ってみると20代後半あたりから自分の趣味と言えるものがなかったのが、無意識にコンプレックスだったんだと思います。

アパレルの仕事をしているから、「服が好きなんじゃないの?」とよく言われたのですが、そうでもなくて(笑)私服で働ける場所がいい!と勢い半ばファッションの世界に飛び込んだので、当時はおしゃれに興味がなく、まわりの人から『普通の人ですね』と言われた時はショックでした。

販売員時代は知識がないなりに勉強をして、お客さんとのコミュニケーションを大切にしていたのですが…やっぱり自分には特段光るものがなかったんだ、と現実を突きつけられたような。30歳を間近にして、当時は彼氏もできず約6年。この先私は一人かも…と先行きが不安になっていたのかもしれないですね」

ヨガ、ピラティス、日舞、バレエ、ベリーダンスと体を動かす習い事に通い始めたが、30代という心身の変化からか、体のメンテナンスが難しくどれも長くは続かなかったという。

「途方に暮れていたとき、自宅の近くにポールダンスのスタジオを見つけて参加してみました。思っていたよりもできるポーズが多くて『これなら続けられるかも!』と自信がついたんです。

今できなくても、もう少し練習してみればできそうな型もあったし、できないものをできるようにする楽しさを最初のレッスンで感じました」

自由と不自由のアンバランス感がいい

こうして、平日の仕事終わりの夜や土日の隙間時間を使って本格的にスタート。ダンスやバレエに比べ、比較的、達成水準が分かりやすいポールダンス。段々と上達のスピードもスキルも上がり、2年目からはイベントやライブなど人前でも踊るようになった

「そのときに見えてきたのが、ポールダンスの自由さと不自由な部分。そもそも、ポールという道具を使うので制約があるのは当然で。例えばダンサーは細かく音を取ることができるけど、私たちはポールを持っているので細かく刻めないので、ぶつ切りに見えやすいところを工夫して踊るんですよね。そのコツを掴むのが当初は大変でした。

そのうち、技術だけでなくパフォーマンスの目的によっても違いが見えてきました。ポールダンスのイベントで踊ります、だと同じ趣味の人が見に来るので、自分の好きな衣装を着て、ポールのテクニックとか自分のやりたい踊りで構成するんですが、それがビジネスだと自分のポールを見て!というよりは、お客さんが盛り上がってくれる踊り、衣装のリクエストに答えてその場を楽しませることに注力する

でもそのアンバランス感が、今では魅力的だなと感じています。限られた(=不自由な)なかで、どう自分を表現するか考えることが何よりも楽しい。やっぱりここでも、自分の色を付けられるんです」

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表現したいことは取捨選択をして、ストレートに

“自分を好きであるため”にポールダンスを始めて7年経った頃、もう一つ大きな分岐点となったのはインストラクターとしての受講レッスンをスタートさせたことだった。

「最初は、もっと練習できる場所が欲しくて下心から始めました(笑)まだ誰かの上達を見守るより、自分が上手くなるのを実感していた方が楽しいと思っていたので。

でも、半年ほどで資格を取得して実際に教えていくうちに、自分が色をつけたかった頃の悩みや決意を持って受けに来た人たちがいて、当時のことを思い出しながら親身に向き合えるようになったんです。

教える手順は決まっているけど、骨格や筋力、握力など体のつくりから、始めた目的などメンタルの部分まで人によって違うので、希望に添えるようヒアリングをしながら、アプローチする手段を一人一人考えて教えられるようになったと思います。

年齢もバラバラ、普段一緒にならないようなタイプの人と関わることも多いので、殻にこもることなく自分の成長につながっている気がします」

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表現者として舞台に立ちながら、講師としての道も一緒に歩み始めた島村さん。その糧は、普段の仕事にも大きく直結していったという。

「イベントで踊るときは“私の全部を見てほしい!”と思って作るんですが、4分間で全部詰め込むと何を表現したいのか分からなくなってしまうので、取捨選択を大事にしています。

この足し引きや、どう見せるか、みたいな部分はPRの仕事にも役立っていて。例えばインスタライブで商品を説明するとき、相手に集中してもらうために極力余計なワードを減らして簡潔に、でも見ている人を置いて行かない距離感興味を持ってもらえるような見せ方が自然と分かるようになってきました」

ちょっと人にすごいと思われたい、人と少し違うことがしたいという気持ちから人生を見つめ直し、自分を好きになる趣味を見つけた島村さん。「人生時間がないので、仕事も趣味もできることをもっと増やしていきたいですね」と明るく語った彼女は、最後まで好きなことへの絶えぬ熱意自信に満ち溢れていた。

photo_Hikari Koki text_Ami Hanashima

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