東京でもなく、埼玉でもなく、神奈川(!!)の魅力、再発見。 児玉雨子のKANAGAWA探訪#2 「酩酊と燃料」―山下公園・氷川丸とビアガーデンデビュー
神奈川県出身の作家・児玉雨子さんによる地元探訪記。第2回目は、神奈川県でもっとも有名な観光スポット・山下公園を訪れ、園内に係留されている氷川丸を見学しました。
横浜市中区にある山下公園は、横浜港沿いにある全長750メートルの海岸公園。関東大震災の復興事業としてつくられ、1930年、昭和5年に開園。氷川丸は昭和初期から1960年まで運航されていた貨客船で、戦前に国内で建造された唯一の現存貨客船として2016年に国の重要文化財に指定されています。
山下公園
横浜市中区山下町279
*JR京浜東北・根岸線/横浜市営地下鉄ブルーライン「関内」駅から徒歩20分
*みなとみらい線「元町・中華街」駅から徒歩3分
https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=190
学生時代はどこで遊んでいましたか? 横浜の方だから、山下公園とか? 先日、とある取材でそう訊かれた。私にとって一般的な「横浜」のイメージで連想されるみなとみらい地区は、決して遠い場所ではないが、遊ぶ場所というより観光地という印象だったのだ。しかも元町や中華街ならまだしも、山下公園はなかなか行く機会がなかったのだ。ちょうどその取材と並行してこの連載の話を進めており、どこかで担当編集のお二人も一緒に行く回をもうけようと連絡をしていて、せっかくなら山下公園に行きたいと申し出た。ちなみに、この連載の担当編集の方々に初めて撮影でお会いしたときのロケ地もそこだ。遊びに行かないわりに、仕事では縁深い。
当日は電車の遅延で到着が三十分も遅れてしまい、冷や汗と暑さで顔が溶けそうになりながら十五時すぎに到着。まずは山下公園の海に浮かぶ氷川丸に向かった。正式名称は日本郵船氷川丸。1930(昭和5)年に造られたシアトルと日本を結ぶ貨客船だ。1000円で家が建った時代、一等客室の料金は500円もし、当時最先端の技術で造られたものだそうだ。
タラップを上がり、船内のチケット売り場で受付を済ませると、ます二等客室の階から始まる。瓶底眼鏡みたいに分厚い船の窓を覗き込むと、みなとみらいの景色が見える。これが、古い映画のように美しい。昭和一桁代に生きていた日本人客や船員は、この窓から高層ビルの立ち並ぶ異国を見たとき、どんな思いだったのだろう。瓶底眼鏡の窓は、当時の人たちの見た世界を追体験させてくれるようだった。写真を見返すと、けっこう窓が汚れていたけど……。
順路をまっすぐ進むと、児童室や当時の食事を再現した食品サンプルを飾ってある食堂があり、アール・デコ調の中央階段をのぼると読書室、社交室、喫煙室など娯楽部屋が続く。これらにはすべて頭に「一等」がついており、中でも「一等特別室」という部屋は、窓がステンドグラスで、当時にしては豪華な個室バスルームまであった。
いずれも豪奢な作りだったが、どこかもの悲しさやむなしさも感じる。氷川丸はみなとみらいの象徴でありながら、同時に地元では心霊スポット的な評判もなくはない。氷川丸が戦時中は病院船として、戦後は引き揚げ船としても運用された背景があるが、ちょうど氷川丸が竣工された1930年は世界恐慌が始まって間もない。ここから酩酊状態とも呼べる当時の経済が一気に転落し、私たちの知る末路まで迷走を続ける、その不穏な予感が床の木目にまで染みついているようだ。
そんな後ろ暗い感じを抱きながらデッキに出ると、ちょうどフワッと足元が揺れた。船だ! と実感する。氷川丸は底を固定されているわけではなく、錨を下ろされているだけでちゃんと海に浮いているのだ。その錨鎖(びょうさ)には鵜(う)がたくさん止まっていて、ジブリ作品に出てきそうだと編集者と盛り上がった。
残念ながら船長室と三等客室が改修中だったが、船の底にある機関室のディーゼルエンジンや制御盤に圧倒された。展示の最後には、氷川丸が病院船や戦後引き揚げ船だった頃の写真や、船内断面図もある。はじめに華やかな装飾を見せ、おわりに船の最奥、仄暗い歴史を説く構成は興味深かった。
船を出てから近くのホテルニューグランドで少し涼み、予約の時間が近づいたら山下公園内にあるザ・ワーフハウスに向かった。ここでは夏の間、テラス席でビアガーデンやBBQができる。私はあまりアルコールが得意じゃなく、こういったものに今まで縁がなかったのだが、せっかく編集のお二人と行くなら、と29にしてビアガーデンデビュー。初めて酒を飲んだ時のような興奮と、アルコール耐性のなさの自覚がせめぎあい、横浜ビール「ハマクロ」とコーラのビアカクテルであるハマコークを注文。ちなみに、ビールをコーラで割ったものは正しくはディーゼルと呼ばれ、ハマコークというのはこのお店オリジナルだ。酷暑日に冷えたビールとコーラ、これが「くぅ~」というやつか! まさに魂の燃料、疲れた心身に軽やかに染み渡る。
そんなこんなでピクルスやグリルを食べながら三人でいろんな世間話をしていれば、あっというまにギラギラした太陽は西へと落ち、いくらか過ごしやすい気温に落ち着いてきた。同じテラス席のBBQ客のところから漂ってくる肉の匂いが港風に混ざって、ゆったりとおいしそうな風が吹く。普段は飲んでも一杯までだが、今日は更にシャンディガフを追加。とはいってもやはり強くないので、きりのいいところで酒は止め、ソフトドリンクに切り替えた。
このまま万葉倶楽部に泊まれれば最高だったけれど、編集のお二人ともお忙しく、そして私もめずらしく翌日の早い時間から用事があった。後ろ髪を風にやわらかく引かれながら、会計をすませて元町・中華街四番出口へと歩いた。