これぞ「手つかず」の大自然。太古の息吹に満ちた離島へ今こそ! 神社の数は100社以上!神々に護られた隠岐4島で自分をリセット。
島根半島を離れること約50km、見渡す限りの海原にこつ然と緑の島影が姿を現す。日本海に浮かぶ隠岐(おき)には、大地の成り立ちを伝える絶景と、離島ならではの独自の生態系、古くから受け継がれる固有の文化が損なわれることなく息づいている。「開発」の2文字から縁遠いところにあり続けるこの場所が、今やどれほど貴重なことか。2013年、世界ジオパークに認定されたことを機に国際的な評価が高まり、旅の上級者の間で注目の的になりつつある。約180あまりの島のうち、有人の島4つが「隠岐4島」と呼ばれる。実は移住者が急増中のこの島々、今だからこそ体験できる手つかずの島の体験しました。
縄文の昔から海流を通じた交易で栄え、古代には国境の島として朝廷に重んじられた隠岐は、歴史的にも特別な場所だ。『古事記』冒頭の国生み神話では3番目に生まれた島として登場。平安時代の神社格付けリスト「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」には、隠岐国(おきのくに)の4社が格式の高い名神大社(みょうじんたいしゃ)として記されている。はるかに広い面積をもつ出雲国(いずものくに)が2社なのに対して破格の厚遇。神社の数もかつては300を超えていたという言い伝えも。
多くの神々が住まう島は貴人が流される地でもあった。対馬暖流の影響で冬も寒すぎず、湧水があり稲作もできる。しかも古くから文化度が高い。都からはるか遠くに位置しているものの、実は豊かで快適な隠岐には、政争に破れて泣く泣く流れてきた天皇や公家を慰め癒すおおらかさや温かさがあった。後鳥羽上皇や後醍醐天皇を癒した島の力は今も変わりなく、明日へ一歩踏み出す力をくれるはず。そこで私たちも「開運」「絶景」「地産の食」「昔ながらの暮らしの温もり」と魅力がてんこ盛りな隠岐4島を訪れることに。
●What’s隠岐四島?
180を超える島々からなる隠岐。その中でも大きく、古くから人が暮らしているのが隠岐4島だ。本土から見て手前に位置する3島が「島前(どうぜん)」、その奥に位置する島が「島後(どうご)」と呼ばれる。いずれも火山活動により生まれたもので、特に島前3島は外輪山(カルデラで凹んだ部分を取り囲む外側の火山体のこと)に当たる島と陥没部分に当たる内海の様子から、約500万年前までに形作られたカルデラ地形が今もはっきり見てとれる。島前も島後も周囲の多くが切り立った崖で、海岸近くまで深い森に覆われ、長らく陸路で往来するのが難しかったため、集落ごとに独自の文化が育まれ、守られてきた。
1.隠岐の島町
人口約13,700人
面積、人口ともに隠岐最大。深い森と山に育まれた豊かな湧水、質の高い黒曜石に恵まれて古代から隠岐国の中心地として栄えた。
2.西ノ島町(西ノ島)
人口約2,700人
外洋に面した北西側の断崖絶壁と南東側の穏やかな内海、ふたつの表情を楽しめる。内海に突き出た焼火山(たくひさん)は島前カルデラの中央火口丘に当たる。
3.海士町(中ノ島)
人口約2,300人
鎌倉時代、幕府に敗れた後鳥羽上皇が約19年の歳月を過ごした。歌人として和歌を詠み続け趣味の刀剣づくりを楽しんだ上皇を、島の人は今も「ごとばんさん」と呼び習わす。
4.知夫村(知夫里島)
人口約600人
ハワイ島を彷彿とさせる手つかずの自然景観が最大の魅力。人と牛がほぼ同数、タヌキは人の3倍以上だが、島留学や就労型お試し移住により令和元年度の人口増加率が全国トップに!
アクセス
航路/島根県松江市の七類港または鳥取県境港市の境港から隠岐の島町の西郷港までフェリーで約2時間30分、高速船で約1時間10分。隠岐4島間の移動はフェリーまたは内航船。空路/島根県の出雲縁結び
空港から隠岐空港まで約30分、大阪府の大阪国際空港から隠岐空港まで約50分。