フィギュアスケートから考える「生理」のこと|松田青子エッセイ

フィギュアスケートから考える「生理」のこと|松田青子エッセイ
自分の目で、世界を見たい Vol.17
フィギュアスケートから考える「生理」のこと|松田青子エッセイ
LEARN 2026.04.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第17回は、オリンピックでのフィギュアスケート選手の発信から考えたこと。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

冬ごとに更新し続ける、がんばろうの気持ち

私が唯一、継続して追い続けているスポーツはフィギュアスケートだ。

まったく詳しくはなく、自分の出産の前後の数年や仕事が忙しい時には、ちゃんと見ることができなかったりもしたのだが、ゆるく、長く、見続けてきた。

前にも少し書いたけれど、私は小説を書くことへの気持ちだけはアスリートのような情熱とストイックさを維持するべく努めているのだが、アスリートとしてお手本にしているのは、もちろんフィギュアスケートの選手である。

中でも坂本花織選手には、彼女の演技をはじめて見て以来ずっと支えられてきた。彼女の個性が活かされた演目には毎シーズンごとに感銘を受けたし、気さくでまっすぐなキャラクターが好きだ。この数年は、坂本選手と鍵山優真選手のアスリートの鏡のようなあり方や演技を見るたびに寿命が伸びる思いで、シンプルに私もがんばろうという気持ちを毎冬に更新してきた。

とはいえ、フィギュアスケートという競技自体のファンなので、その時代時代の選手たちに魅了されてきた。フィギュアスケートといえばジャンプの要素は外せないけれど、この人は終盤のステップシークエンスが神がかっているから、永遠に、何度も見ていたいと思わせる選手だっている。それぞれの選手の強みや個性が違い、点数だけでは測れないところが、フィギュアスケートの面白さの一つである。

まず、氷上では何が起こるかわからない、という事実がすごい。

どれだけ苦しい練習を積み重ねても、本番の氷上では、いつもならばできたことが急にできなくなったりする。選手本人にもその理由がわからず、演技の後に呆然としている姿には胸が痛くなる。

松田青子エッセイのイラスト フィギュアスケートから考える「生理」のこと

氷上で生じる“魔の瞬間”

特に、オリンピックのような場所は、その「氷上では何が起こるかわからない」が鮮明に炙り出される場である。選手たちのプレッシャーとストレスも通常では考えられないくらいのレベルだろうし、こちらの心も冷や冷やである。

二月に開催された「ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック」のフィギュアスケートの試合でも、見ていた方々はみなご存知の通り、そういった魔の瞬間がいくつもあり、日本で見ているだけのこっちも、もう心臓がいくつあっても持たないよ、の気持ちになった。

特に坂本選手は今季で引退を表明していたので、魔の瞬間につかまらず、実力を出し切って本人の望む結果を得てほしいと願うあまり、女子フリーの試合前夜にすでに私が緊張しており、寝る前の六歳の人に、「今の段階でものすごく緊張しているから、明日の朝の女子フリー、(見るの)無理かも」と不安を打ち明けたところ、「ママはスケート靴はいてないよ」と淡々と返され、冷静になった。

結果、坂本選手には、ジャンプにコンビネーションをつけられない、という魔の瞬間が訪れたけれど、彼女はそれでも、後のジャンプにコンビネーションをつけたりせずに、培ってきた今の自分の実力を信じて、最善策としてそのまま滑りきり、銀メダルを取った。その姿はあまりにも格好良かった。

松田青子エッセイのイラスト フィギュアスケートから考える「生理」のこと

ゲームチェンジャーとしてのアンバー・グレン選手

そして、今回、女子フリーの競技後に泣いている坂本選手をカメラで撮影しないように止めてくれたり、常に周囲を気づかったりと、あまりにもできた人柄で人気を集めたアメリカのアンバー・グレン選手のことで、私が最も感銘を受けたことがある。

クィアであることを公表していて、トランプ政権の政策を批判し、オンラインで脅迫を受けたことでも知られているグレン選手も女子ショートでミスをしてしまい、魔の瞬間に泣いた選手なのだが、試合後に彼女のインスタグラムのストーリーがアップされていたので、このタイミングでSNSを見てるのすごくないかと驚きながら開いてみたら、今、生理中であることを公表していて、さらに驚いた。

まず、こういった極度のストレス下に置かれていたり、SNSに大きな反響が押し寄せてきたりしていそうな時は、メンタルを守るために、SNSから離れるのはもはや周知のライフハックだろう。なのにストーリーをアップしているのも強いし、面白いし、内容的にも本当にゲームチェンジャーだと感動した。

大事な試合の際に自分は生理中だと公表する女性アスリートはまずいないだろう。なぜなら、試合などでミスをした際に、「女性は生理があるから」と固定観念から決めつけられたり、誤解されたりすることが目に見えているからだ。試合じゃなくても、働く場ならどこも同様だろう。何にしろ生理を理由にすることは、今の社会ではいまだリスキーだ。女性同士で、今、生理でダルいんだよね、と言い合うノリはあるけれど。

それをグレン選手は、堂々と、SNSでそのノリを出した。そして、生理についてメディアに話した。生理中に競技することは本当に大変だし、世界中に見られているなかで、あの衣装を着てパフォーマンスをすることは怖いし、でも女性アスリートはそのことについて話すことができていないと。

オリンピックは、フィギュアスケートを追っていると、ただの試合の一つでしかない。オリンピックでミスをして結果が振るわなくても、他の試合で最高の演技を見せている選手たちの姿を知っているからだ。けれど、オリンピックでは、選手は国を背負わされる。選手本人にとっても特別な場だ。だから選手たちがうまく行きますように、楽しい場になりますように、とこちらも願う。 国と自分を同一化して、成果を出せなかった選手を叩くただの視聴者がわらわらと湧いてしまうような、ある意味ものものしいオリンピックの場で、生理だからミスをした、そういうこともあるのだと、正々堂々と言うことのできる、グレン選手のような人から学ぶことは多い。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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