「水はやべえ」ことだってある。|松田青子エッセイ

「水はやべえ」ことだってある。|松田青子エッセイ
自分の目で、世界を見たい Vol.15
「水はやべえ」ことだってある。|松田青子エッセイ
LEARN 2026.02.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第15回は、早くも伝説化した「水はやべえだろ」です。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

ヤンキーによる恋愛リアリティショーから生まれた“伝説”。

リアリティーショーが好きでついつい見てしまう。

昨年の十二月に配信が開始されるがいなや、あっという間に世の話題をさらったネットフリックスの恋愛リアリティショー『ラブ上等』も勢いよく見た。「ヤンキー」の男女が二週間学校に寝泊まりして、最終日に男性が女性に告白をする告白式を行うという、わかりやすい形式なのだけど、たった二週間であっても、出演者がヤンキーであるため、あっという間に退学になる者がいたり、予想外の揉め事が発生してセキュリティが間に入って止めたりと、気が抜けない展開になっている。

私は昭和の時代に兵庫県の姫路市で、ヤンキーやそれ以上に「こわい大人」と街を共有して育っており、当時『警察二十四時』的な番組をなんとなく見ていたら、自分が日常的に利用しているバス停がクスリの受け渡し場所としてテレビに映し出されたりする十代だったので、『ラブ上等』のヤンキー文化や人となり自体にはカルチャーショックはあまりなかった。

ただ、いくら「直球」なヤンキーといえども、二週間で誰かと恋に落ちるのはなかなか難しそうで(二週間でめちゃくちゃ重めな片思いをしている人もいたが)、ようやく自分に合う人はどの人なのかが見えてきたところで時間切れになって中途半端な結果になっている姿なども見るにつけ、出演者のヤンキーな言動がなかったら地味すぎて成立しない「恋リア」だったかもしれないし、出演者がヤンキーだったから試験的に二週間だったんだろうし、これしかなかった『ラブ上等』シーズン1だったなとしみじみした。

私は、恋愛ではとにかく重くなってしまうが、自分が普段専攻している分野では才能を発揮したり、こども食堂の店主に感謝の手紙を書いたりする出演者が推しだった。これから彼女の感情を振り回さない、素敵な人に出会ってほしいよ。

あと、毎年成人式でヤンキーの着物の着方や振る舞いがニュースで放送されて、嘲笑の対象になったり、眉をひそめられたりしているけど、それを真正面からかっこよく撮影した告白式の登場シーンには感涙してしまった。

そして、伝説の「水はやべえだろ」である。おそらくこの場面がなかったら、ここまで『ラブ上等』は話題にならなかったと、見た人なら皆うなずくはずだ。

松田青子 エッセイ イラスト

「水はやべえ」をどう思うか。

すぐにいきり立つ男性の出演者に比べてソフトな印象をそれまで与えていた女性の出演者によるあの言動は、ギャップもでかく、過剰反応からくる暴力的行動が問題であるのは明らかである一方、番組を見る側からすれば、「水」という普遍的なものを「やべえ」と評してキレる姿は新鮮で面白かっただろう。

最終話を見終わったあと、普段は文字ベースのSNSをあまり見ないようにしているのに、さすがに私も混ぜてほしくなり、SNSで感想をいろいろ読んだのだけれど、多くがこの「水はやべえだろ」についてだった。

自分が思いもしなかったのは、水を何度もかけた側がわざとやったと確信している人たちが結構いることだった。ショーの最中に客席がどれだけ見えたかはわからないし、ショーのルーティーンで決まっていることを普段通りやったんじゃないかなと私は単純に思っていたし、むしろこれから一緒に生活する人たちの前であのパフォーマンスをするのは緊張したんじゃないだろうか。まだ誰かもわかっていない女性メンバーに嫌がらせをするのもよくわからない。ダンサーの女性はヤンキーではないとけれど、「ケンカを見てる側」だったと自己紹介していたし、少しでもヤンキーと一緒に過ごしたことのある人ならば、はじめに相手があの表情を見せた瞬間に水をかけるのを止めるだろう。私は中学の教室や部室でヤンキーと一緒に過ごしていたため、もう相手があの目つきと目の色になったら、その時の自分の言動は直ちに停止させよと肝に刻まれている。なので、客席が見えていて、嫌がっているからわざとやったんだとするSNSの一説は、想像するだに怖すぎて、泣いちゃいそうになる。とはいえ、本当のところは本人たちにしかわからないし、我々視聴者は見えている部分を楽しむしかない。

スタジオ側の全員が、「水はやべえだろ」の場面のあと、そう発した彼女の言動に否定的だったし、謝罪の仕方ももよくないと言われていた。私ももちろん暴力的な言動は駄目だし、めちゃくちゃこわいよと引いたし、あの対応をできたダンサーの人はえらいなと思った。ただ、私もそもそもショーなどで舞台上から客席に何かをしたり、何かをさせたりといった趣向が苦手で、私に当たらないで、私を当てないで、とその間はずっと心で念じているタイプなので、パフォーマンスだから受け入れるものだという前提を共有せずに、殺気をみなぎらせた彼女を見て、これでええんやと清々しい気持ちにも、怖さが薄れてきてからなった。

松田青子 エッセイ イラスト

トリガーを誘発する原因は、本人以外わからない?

それに、過去にこういうことをされたから苦手だと彼女自身も少し話していたけれど、何か過去の出来事を理由に、ある物事に対して苦手意識を持っている人は無数にいる。トリガーウォーニングと呼ばれる、トリガーになり得る事柄がフィクションなどで登場する際に事前に警告する注意書きも知られてきたけれど、トリガーウォーニングに通常含まれない、日常的な物事でトリガーを誘発する人だっている。私もトラウマとまでは言えないかもしれないけれど、過去の出来事が理由で苦手に感じている言葉や話題がある。本当に日常的な言葉や話題なので、それを私の前で気にする人はもちろんいないし、私も気にしてほしいと言ったことがない。でも、その場から離れられる時には離れるようにしていたりはするので、何か変だなと感じた人はいるかもしれない。

アメリカの犯罪捜査ドラマ『THE SINNER −隠された理由−』のシーズン1では、普通の主婦だと思われていた女性が突然知らないはずの他人を殺害し、何がトリガーになったのか女性自身もわからない。そこからビル・プルマンが演じる刑事が、ただただしつこく何がトリガーになったのか、なぜそうなったのかを解き明かしていく。これくらいしなければ、他者のトリガーは見えてこないこともあるのだと感銘を受けるほどよくできた作品だし、見ている側が先入観で思い込むのとはまったく違う「理由」が待っている。

リアリティショーは出演者の過去や性格が細かく掘り下げられない前提で見るものだ。番組を面白がりながらも、「水はやべえ」人にとっては「水はやべえ」ことを、先入観や社会のマナーやルール、そしてその人の立場や職種に照らし合わせずに、素直に受け取ることが必要な時もあるよなと、改めて考えさせてくれた「水はやべえ」だった。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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