きゃりーぱみゅぱみゅの大人なLADYになるわよコラム~第70回 「ありがとう」の嵐を巻き起こしてるわよ~
第70回 「ありがとう😭」の嵐を巻き起こしてるわよ
皆さま、ごきげんよう。先日、3日間にわたってワンオペ育児をしていた、きゃりーぱみゅぱみゅです。

俳優業をやっている夫のしょーのさんが、地方ロケでいなくなってしまったのでそうなったんですけど、いや~大変でした💦
今はとにかく目が離せないんですよね。
ハイハイとかつかまり立ちをするようになって、もう危なっかしすぎて一瞬も油断できません。
そしてその状況でずーっといると、たとえ我が子がどんなにかわいくて愛おしくても、やはり疲労が溜まってしまいます。
ロケ先から帰宅して育児を再開したしょーのさんも「疲れた」とは言わないものの、早速、顔が死んでました。
台本を読み込まないといけないのに、赤ちゃんが危ないところに行きまくるせいで、それがぜんぜんできないんだそうです。
オムツを替えるときも「わ~、もう大変すぎる💦」とヒイヒイ言ってる姿を見て、
「いやいやそんなんで大変って…私これ3日間やってたけどね」
そんな言葉が喉元まで出かかったけど、言ったら喧嘩になるのでグッと堪えました。
育児をしていると、こういう一言言いたくなっちゃうシチュエーションってよくあるんですよね~。
だから育児って、どんなに理想的な形でできていたとしても、絶対に夫婦喧嘩は避けられない。
負担を均等に半分半分で分担していても、ほんのちょっとでもどちらかの負荷が大きくなった瞬間に喧嘩は起きてしまいます。
やっぱり人は、フェアじゃないと感じたときにモヤモヤしますからね。
人はおろか、わんこですらフェアじゃないと怒りますし…。

というわけで、私たち夫婦はある運動を展開することにしました。
「ありがとう」をちゃんと言うようにしよう!運動です。
例えば我が家では、私はごはん担当で、毎日赤ちゃんにごはんを3食あげています。
一方のしょーのさんは日頃から抱っこしてくれることが多くて、それがなんとなくお互いの役割みたいになっています。
ごはんになったら私が赤ちゃんをもらって、それが終わったら赤ちゃんをしょーのさんに渡して抱っこしてもらって…と、流れ作業のようにバトンリレー。
それが“当たり前のこと”として毎日が回っていました。
ところがある日、母乳をあげながら寝かしつけた私が「は~、やっと寝てくれた…」と思ってリビングに行くと、しょーのさんは部屋でくつろいでいます。
授乳と寝かしつけは担当の私がやるのが当たり前ですし、しょーのさんはその間はフリーになるので部屋でくつろいでいて当たり前です。
だけど、汚れた食器がシンクの中で山積みのままになっているのを見ると、「…なんでこれやってないの?」。
思わず、ツッコミたくなってしまった私。
う~ん、なんかお互いに当たり前だと思いすぎてないか?
私たち夫婦はもともと感謝の言葉を口にするほうだと思っていたんですけど、子育てに関しては忙殺されすぎてなのか、やるのが当たり前みたいになっちゃってます。
だから、お互いにやってくれたこと、ひとつひとつに対してちゃんと「ありがとう」を言うようにしようよと。
最近「ありがとう」が欠けてたと思うし、それをちゃんと言うほうがモヤモヤとかピリピリした気持ちが和らいで優しくなれるはずだよね、という話をしょーのさんとしました。

そんなわけで、我が家では現在、
「今日もたくさん抱っこしてくれてありがとう😭」
「大変なのに赤ちゃんにごはんあげてくれてありがとう😭」
ありがとうの嵐が巻き起こっています(笑)。
昨日も、洗濯機から洗濯終わりましたの音がピーピー鳴ってきたので、私が洗濯物を干そうと立ち上がったら、うたた寝していたしょーのさんが突然ガバっと起きてきました。
「あ、俺やるよ」
普段は洗濯物はしょーのさんの担当です。
でもその日は、うたた寝するくらいお疲れモードだったので、私がやるよと言いました。
「いやいや、いつもやってもらってるから、今日は寝てて」
「いやいいよ、俺やるよ」
半分寝ながら立ち上がったしょーのさん。
いつも当たり前にやってくれてるけど、これってすごい感謝しないといけないことなんだな~と思いながら、心の底から「ありがとう😭」が言えました。
こんな感じで忘れていた感謝を取り戻してみることって、すごく大切なことだと思うんですよね。
相手のことをリスペクトできるし、愛おしさを改めて感じることができます。
それに「ありがとう」と言われた側も「あ、ぜんぜん大丈夫」って言いながらもどこかうれしそうだったりするし、2人の関係が断然よくなった気がします。
やっぱり言霊というか、ありがとうの魔法ってあるんでしょうね。
そもそも「ありがとう」って漢字で書くと「有難う」で、“有るのが難しい”ということ。
有るのが難しいから尊いのであって、そんな貴重なものを私に…😭って湧いてきた気持ちを言葉にしたものです。
“当たり前ではない”ということを言葉にしたら、感謝の意味になるってなんか素敵ですよね~。
そういえば前回も、人は「忙」しいと「心」を「亡」くすという話をしましたが、今回も金八先生みたいになってしまいました(笑)。

何はともあれ「ありがとう」。
それと「ごめんなさい」。
私は常々、この2つの言葉を言えることが人間関係においてめっちゃ重要だと思っているんですけど、「ごめんなさい」は言ったほうが悪くなっちゃうから多少の言いにくさがあるのに対して、「ありがとう」にはそれがまったくありません。
だから「ありがとう」を言わないのは、むしろ損。
どんどん言って嵐を巻き起こしたほうが、自分にとっても相手にとっても絶対に得!
そう思って運動を始めた矢先に、またもや私のお母さんとの間に不穏な空気が流れ始めてしまいました😩
私がワンオペでやばくなるといつも助けに来てくれるし、お風呂に入れるのも寝かしつけるのもほんとプロという感じで、めちゃくちゃ尊敬してるし助かってるんですけど、ちょいちょい衝突もしちゃうんですよね。
例えば、ずっと気になってた映画の『国宝』を「ちょっと観に行ってきていい?」と私がお母さんに聞いたとします。
すると「え? まだこんなに小さい子を置いて一人で映画に行くの? お母さんはそんなことしたことないよ!」と問答無用で却下してくるタイプなんですよね。
「息抜きで行っておいで~」にはなりません。
まあ、いかんせん、めっちゃ厳しい人で古風な考えの持ち主なので…(そのへんの詳細については、この回とかこの回をご参照ください)。
だから昭和の主婦基準で考えるとそうなるのかもと、お母さんの言ってることがわからなくもないんですけどね。
あと、お母さんはよく「私はその経験がないからわからない」っていうのも言うんですけど、そうなんですよね。
いつも自分の経験との比較になっちゃうんです。
私はこうだったから、アンタもこうすべきみたいな。
もちろん中にはありがたい教えもありますし、口うるさいけど本当に人生で大切なことも説いてたりするんですけどね。
なので子育て中の私としては、どっちを取るかです。
ワンオペの大変さを取るか、そういう母との間の謎のストレスを取るか…。

思えば最近、しょーのさんに対して謙虚さの大事さとか、傲慢になってはいけないという戒めみたいな話をけっこうしている自分がいます。
ボイストレーナーのりょんりょん先生が言ってた、伸びる人の三原則「素直・謙虚・ストイック」もマジで禿同(※編注:激しく同意)で首がもげそうなくらい頷いたんですけど、ふとした瞬間に思うんですよね。
…これって、私がお母さん化してるのかも?と。
あれ? 今のちょっとお母さんっぽかったかも?って思うことが実はちょいちょいあって、最近DNAが怖いです。
ひょっとしたら「ありがとう」運動も、それなのかもしれません😱



















