カジュアル化する「反日」という言葉から思う、超えてはならない一線 |松田青子エッセイ

カジュアル化する「反日」という言葉から思う、超えてはならない一線 |松田青子エッセイ
自分の目で、世界を見たい Vol.10
カジュアル化する「反日」という言葉から思う、超えてはならない一線 |松田青子エッセイ
LEARN 2025.09.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第10回は、カジュアルに使われる「反日」という言葉から考えたこと、です。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

あなたは「反日」ですか?

言葉というものは、変化していくものだ。

私は仕事柄辞書や類語辞典などによく目を通すのだけれど、昔と今では真逆の意味で使われている言葉も少なくない。そういう時を経ていくなかでの変化や、新しい表現や言葉遊びの誕生は面白い。

けれど、超えてはいけない一線というものもある。

その一つが「反日」である。

 

韓国カルチャーが世界的なブームになり出してしばらく経っていた頃に、ある有名な週刊誌が韓国特集をするので、韓国文学にまつわるエッセイを書いた。

数年以上前のことで細かいところは忘れてしまっているけれど、発売されてから送られてきた掲載紙を開き、特集全体に目を通していたら、K-POPの有識者が、大人気のK-POPのグループについてQ & A形式で質問に答えていた。

私も好きなグループだったのでいそいそと読んでいたら、最後の質問に、

「Q: ◯◯(グループ名)は反日ですか?」

と書かれていて、本当に驚いた。

さらに驚いたのは、

「 A: 反日ではありません。」

と真面目に解答があり、その後には、なぜ「反日」ではないのかが短く説明されていた。

この「反日」は、「日本のことをよく思っていない」「日本を嫌い」といったぐらいの意味合いで、すでにSNSなどでもよく目にする表現になっていた。    

SNSを見ていると、

「◯◯(アーティスト名)は反日だから残念」

などの投稿が、他の投稿とともにふとした瞬間に、目に入ることがある。

「今日は仕事が忙しかった」

「コンビニの新作のお菓子が好き」

そんな日常の書き込みと同じカジュアルさで「反日」がある。

最近、その「反日」の使い方を大量に目にしたのは、人気の俳優たちが出てくることでも話題になっていた、ある韓国ドラマについての感想だ。そのドラマは、日本による植民地支配下を舞台にしていたのだ。配信後には、

「反日だから見ていられなかった」

「◯◯(出演している俳優)も反日だからな」

といった感想がずらずら出てきたし、「反日」という言葉を使わなくても、自分の国である日本が「悪者」として描かれることを受け入れられず、嫌な気持ちになっている人たちが多く見られた。

でも、残念ながら、日本が「悪者」だった時期があるのは、歴史的事実である。

松田青子さん連載のイラスト

その言葉、軽い気持ちで使っていい?

もし、このエッセイを読んでくださっている方で、「反日」を上記にような意味合いで使っていたら、まずは「日本 植民地支配」で検索してみてほしい。「AIによる概要」を読むだけでも、「反日」という言葉をカジュアルに使っていいかどうかがわかるはずだ。

(日本による植民地支配が、韓国人男性の人格形成にどう影響してきたか、それによって女性たちや子どもたちの生活にどういった苦しみが生まれたか、を知りたい方には、チェ・テソプ『韓国、男子 その困難さの感情史』(みすず書房/すんみ、小山内園子訳)がおすすめ)

戦争や支配は、一面的なものではない。ある国にとっては被害者である国が、ある国にとっては加害者になる。さらにそれぞれの国の中でも、複雑な加害と被害の構図がある。だから、単純には語ることができない。そのうえで、迫害され、傷つけられ、失われた命の歴史は消えるものではない。

自分が生まれていなかった過去のことを言われて、理不尽に思う人もいるかもしれない。でも、歴史は歴史なので、受け入れるしかない。

これはちょっと話がずれるけれど、私がエッセイや小説のなかで、他の国のいいところについて書いたり、日本について批判的に書いたりすると、

「他の国を美化している」

と書く人がいる。

「そんなに日本が大変なら、◯◯(その人が今住んでいる国)に来たらどうですか。こっちはそんなことないですよ」

と私の関係者にメールをしてくる海外在住の人がいる。

「◯◯(私がエッセイや小説のなかで特に言及していない国)についてはどう考えているんだろう」

とSNSで思いを馳せる人がいる。

文章を書いた本人である私からすると、そういったすべてが本質から外れている。

その言葉、向き合いたくない何かをマスクしていない?

ある国のある部分について書くと、その国全体をそう思っている、みたいに受け取る人がなぜか多い印象がある(そして書かれていない国のことは、眼中に入っていないとなぜか拡大解釈する人も)。どの国にもいいところと悪いところがある、そしてその価値観はそれぞれ違う、という前提をもうちょと持ったほうがいいように思う。

そして、この傾向は、国についてだけではなく、あらゆる事柄に言える。

日本の「悪者」の部分を受け入れても、日本のいいところが消えるわけではない。だから、「反日」だと決めつけることで事実から目を逸らしたり、怯えたりしなくていい。歴史を知り、受け止めることからはじめよう。

冒頭の週刊誌を読んだ時、この特集の担当編集者さんはこんな質問を掲載するべきではないし、世の中での使われ方が変わってきているからといって、それに合わせて「反日」の言葉を使ってはいけないし、解答されていた有識者の方も編集者さんと話し合うべきだったんじゃないかと思った。

出版に関係する人たちは特に疑問視しないといけないことだし、一線を超えてはいけない物事を食い止めるのも、今生きている私たちのルーティーンだからだ。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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