「ママは王子様だね」恋愛も性愛もない“アセクシャル”の私が3人の子どもを持つまで
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世に出ているコンテンツは「恋愛」をテーマにするものが多く「恋愛することが当たり前」という価値観を抱いてしまう方も多い。しかし、最近は他人に対して恋愛も性的欲求も抱くことのないセクシャリティ、アセクシャルの存在も少しずつ広まってきた。
今回は、自身で性別違和(※)やアセクシャルを公表し、精子バンクを使っての選択的シングルマザーとして3人のお子さんを育てる華京院レイさんに、セクシャリティによる苦悩や子どもを持つことを決意した話を聞いた。
(※)出生時に割り当てられた性別と、自分が感じている性別(性自認)が一致しない状態
漫画家。FTX(女性→中性)。無性愛者(アセクシャル)。精子バンクを使って3人を出産した実体験を描いた漫画『精子バンクで出産しました!』の作者であり、現在8歳、1歳、0歳の3人の子どもを育てる選択的シングルマザー。
“子どもが欲しい”よりも、“家族が欲しい”だった
──例えばご友人との会話の中でも、何気なく恋愛の話をする機会がこれまであったと思います。その中で生きづらさを感じたりすることはあったのでしょうか。
「“人間は恋愛をするもの”という価値観がある一方で、私にとってはその考え方がすごく生きづらかったです。10年前は“アセクシャル”という言葉もあまり知られてなかったので、当時はひたすら周りに嘘をつく毎日。『どんな人がタイプ?』とか聞かれても、本当はタイプなんてないのに、取ってつけたようなことを答えてました。
でも、アセクシャルとまでいかなくても、“恋愛こそが素晴らしい”という価値観に疑問を持つ人はいると思います。最近は少しずつ変わってきていると思いますが、もう少し自分らしい選択の範囲が広くなったら、生きやすくなる人も増える気がします」

──恋愛、結婚、出産…というライフステージを歩む方もいますが、華京院さんはお子さんが欲しいと思ったことはありますか?
「生まれてから一度も子どもが欲しいと思ったことはありませんでした。
子どもを持つためには、男性と交際して結婚して、性交渉をして…という自分にとっては山場を乗り越えないといけないし、私にはそれができないと思っていたんです。
ただ、24歳の時に父が脳出血で倒れ、その時にぼんやり“家族が欲しい”と思いました。
仲が良い兄弟や従兄弟がいたら違ったのかもしれませんが、私は一人っ子で、親戚とも疎遠。家族と呼べる人がほぼいなかったので、家族を作りたくなったんだと思います。
それで、フィリピン人の友達が特殊な方法で子どもを授かったという話を聞いて、精子提供という方法であれば私にも子どもが持てるかもしれないと思い、28歳の時に精子提供を決意しました。排卵日を予測して、提供していただいた精子を使ってシリンジ法で妊娠する──それが私にとっての授かり方でした。
──子どもが欲しい、ではなく家族が欲しかったんですね。華京院さんにとって「理想の家族」はどんなイメージですか。
例えば、家族の一人が大きな病気にかかったりいじめられたり、何か問題が起きたときに自然と助け合える存在だと思っています。そして、あらゆるしがらみの波から守ってくれる防波堤のような。
私が育った家庭は、家がその波でした。母は「理想の女の子像」に無理やり押し付けてくるタイプで、女の子らしい服や習い事を強要されてましたし、父は優しかったけれど、ちょっと変わった人。私にとっての心の拠り所ではなかったし、安心できる場所でもありませんでした」
リスクが大きいと感じた結婚
──華京院さんはシングルマザーという選択をしましたが、恋愛をせずに一緒に子育てをする“友情婚”のような選択肢はなかったのでしょうか。
「私は恋人の選び方や、お付き合いの仕方も正直よく分かりません。適当な人と結婚してしまっても私の望む家族の形は作れないと思いますし、仲の良い友達から一緒に子育てしようと言われたとしても、やっぱりリスクが付きまといます。結婚って、私にとってはリスクが大きすぎるんです。
私も完璧な人間ではないので、相手から見て至らない部分もあると思います。そういうのを全部ひっくるめて難しいなと感じています。それなら最初から一人の方が、子どものことを考えると育った環境が変わることもないですし、何より自由です。なので他の選択肢はありませんでした。

──出産する際に、一人で育てることへの不安や葛藤はありませんでしたか。
「妊娠中も出産した時も、怖さや不安はなく、むしろ生まれてくる子どもと会える期待に胸を膨らませていました。もし育てることができなくなったら…と、“もしも”な不安も考え出したらキリがないですし、何もできなくなると思い、潔く割り切っていた部分もあると思います」
──2人目、3人目を産もうと思われたキッカケは?
「上の子が成長していくにつれ、とてもお世話好きな面が見えてきたので、弟や妹がいたら毎日がもっと楽しくなるだろうな〜と思いました。交流会で同じような境遇の家族と知り合う中でも、2人目、3人目がいても私にとっての良い家族が築けると思ったんです」
──真実告知についてはどのようにしているのでしょうか。
「真実告知は、2歳からしています。『お父さんは?』ってたまに聞いてくるので『いないよ』とさらりと答えているのと、絵本を使って『親切な人が卵の半分をくれて○○ちゃんは生まれたんだよ』という伝え方もしています」
娘から言われた「ママは王子様だね」

──母親として生きていくことに対し性別違和があると思いますが、現在お子さんからなんと呼んでもらっているのでしょうか。
「ママですね。それに代わる言葉が浮かばないんです。
パパって呼ばせるのも違うし、下の名前で呼ばせるのも考えたんですけど、下の名前で呼ばれたことなんてほとんどないから違和感あるし…。当初は結構悩んでました。新しい言葉を作ろうと思ったこともあるんですけど、なかなか思い浮かばなくて。
日本でも、自分を呼ぶときに使って欲しい代名詞を表記する、ジェンダー代名詞というのも広がっています。私はSheでもHerでも気にならないのですが、子ども以外の人(保育園の先生など)から“お母さん”と呼ばれるのに少し抵抗があって…そういうことを伝える文化やきっかけがもっとあればいいなと思っています。
──ご自身のジェンダーについても、お子様にはいつか話す予定ですか。
「もちろん伝えていく予定です。今年8歳になる娘は、もうなんとなく私のジェンダーについて気づいていると思います。
娘が3歳の時に『ママ可愛いね』と言ってくれたんです。単純に私のことを褒めたくて言ってくれたと思うんですけど、私は『ママは可愛いより、かっこいいって言われた方が嬉しいな!」と言ってみたんです。そしたらそれ以降『ママかっこいいね』って言ってくれるようになって。
お姫様の絵を描く時も『ママはこの王子様ね』と伝えてくれるようになりましたし、お人形遊びをする時も、“女の子だけど心は男の子”という設定も出てきて、驚きました。でも娘にとってはそれが当たり前なんだと」
──華京院さんはお母様から「女性らしいものを押し付けられて嫌だった」という話もありましたが、お子様を今後どのように育てていきたいですか。
「ただただ、自分らしく生きてほしいです。自分がいいと思ったことは、認めてあげたいし応援していきたい。
1人目の子は女の子として生まれたんですけど、最初は意識してユニセックスなベビー服を用意してみたんです。でも、成長した時に自分で洋服を選ばせてみたら赤やピンクの洋服ばかりを選ぶので、娘の好きな可愛らしい色合いのものを自由に着させています。
この先も価値観を押し付けることなく、3人とも自分らしく生きていけるよう家族で支え合っていきたいです」

text_Maori Kudo



















