伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第3回
アイドルとしてはもちろん、ラジオパーソナリティとしても大活躍。乃木坂46の山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを、自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Kiwa Inaba)
「私は、私が選んだ道を」
余白があってこそ、人は豊かに輝く。エンタメはそのために必要で、SNSも時代を照らす要素の一つだ。アイドルとは「キラキラ」を生業(なりわい)としているようなもので、パッと華やぐような光を求められることが多い。だが、学業と両立していた期間は輝く瞬間なんてほとんどなく、極めてインスタ映えしない日々だった。
もちろん、偶然の産物だけで進んできたわけはなく、ところどころで意思を持って決めたり、諦めたり、飛び込んだりしてきた。講義、レポートの締切、ライブのリハーサル、握手会、テレビの収録、ラジオの生放送。一日一日が常に倍速再生されている感覚を持ちながら、なるべく学ぼう、良いパフォーマンスをしようと、脇目も振らずに突っ走っていた。満員電車に揺られながら本を読み、朝から昼まで講義を受け、仕事場への移動中には動画を見て、ダンスの振りつけなどを確認する。用を済ませて帰宅したら、家事とレポート課題に手をつけながらラジオを聴き、また次の朝がくる。余白を残さず、ひたすら詰め込んでいた。
随分前から息切れのサインが体に表れていたのに、心はかなり頑固だった。疲れてなんかない。だって、まだ何も成し遂げていないのだから。お前に休憩する余裕はないんだから、いつでも頑張れよ。そういうアクセルの踏み方をしないと追いつけないくらい、とにかく刺激の多いレースだった。かたくなに好戦状態でいることで、私はまだ大丈夫だと、自分で自分を騙していたような気もする。それを割り引いて考えると、進んできた道が正しかったのかは分からない。何を選んでも正解はなく、どんな道に進んでも何か不足しているように感じる。過去にあったことも、捉え方によって、トラウマになったり財産になったりと、簡単に揺らぐ。かといって、不確実なことが多い社会で、何かに身を委ねたり、誰かと比べずに自信を持ったりするのも難しい。
ただ、これまでに出会った人たちが向けてくれた期待や優しさは、確かなものだった。目を瞑って過去をたどると、助けてくれた人、アドバイスをくれた人、励ましてくれた人の顔が、どんどん浮かんでくる。成り行きとご縁の果てで、「この人が言うなら頑張ってみよう」と思える人たちに出会えたことが、きっと何よりの財産だ。
そもそも、大丈夫じゃないから歩み続けるし、大丈夫になるために手数を打ってきたような気がする。大船に乗ったつもりで、少しでもコンパスの針が向く方へ進んでみる度胸は、学生時代に持っていたはずだ。結果として遠回りになっても、道中でのトライ&エラーを自分の手札の一つにすればいいし、行き着いた先を必ず正解にする必要はないのかもしれない。いつまでも「完璧な大丈夫」がやってこなくたって、私は、私が選んだ道を、最善だったと肯定しよう。落ち込んだときこそ、自分で自分に胸を張って、進むのみだ。ゆっくりしたい日もあるけれど、やっぱりもうちょっとだけ、ジタバタしてみようと思う。