伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第2回
アイドルとしてはもちろん、ラジオパーソナリティとしても大活躍。乃木坂46の山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを、自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Kiwa Inaba)
「分からないを知ること」
「どうしてアイドルになったんですか?」
15歳で今の仕事に就いてから、一番聞かれた質問だ。幼い頃の夢だったのか、芸能界を目指していたのか、誰かに憧れたのか。巷でよく聞く理由はこの三つだが、私は正直「成り行き」と「縁」に恵まれたと思っている。
小学生の頃は、家に帰るやいなや速攻でニンテンドーDSを立ち上げるゲーム魔だった。中学では奨学金ほしさに学年トップに向かって猛勉強。高校に上がったら留学もしてみたかった。普通に恋愛をして、バイトをして、大学のサークル飲みにも行くようになるのかなあと、ぼんやり想像していた。
夜に父がつけていたテレビはニュースかクイズ番組が多かったからか、アイドルなんてほとんど知らなかった。レッスンを受ける。ライブやテレビで笑顔を振りまく。握手会でファンと話す……? 漠然としたイメージしかなかったが、AKBファンのクラスメイトから推しの話を聞くだけで、すでに滅入ってしまいそうだった。すごいなあ、私には絶対向いてないや。心からそう思っていたし、あまりにも自分の生活とかけ離れすぎていた。中学3年生の冬、母が私に黙って乃木坂46のオーディションに応募するまでは。
ソニー・ミュージックから身に覚えのない封書が私宛てで届き、初めて一次審査にエントリーされていると知った。一次審査を通過し、二次審査の指定日時は、2013年2月9日(土)9:00。午前中に授業の予定があった。そのまま無視してやり過ごせば受けなくて済んだのに、書かれていた事務所の電話番号に自ら連絡し、時間変更をお願いして受けに行った。きっと、何もやらずにただ諦めるのが嫌だったのだ。母はそれを見越していたのだろう。何でもやってみないと分かんないでしょ! 落ちたっていい経験になるじゃない! と諭されて最後まで受け続けたが、正直どこまで受かっても信じていなかった。あれから8年経った今でも、通知書は全て残してある。
だからこそ、人生は成り行きとご縁でできていて、後から理由をつけているだけのような気がする。とりわけ幼少期までに多く尋ねられる「将来の夢」も、なんとなく雰囲気で返せばいい。だが、今は何でも形に残る時代だ。必要のない嘘はつきたくない。ケーキ屋さん、保育士さん、お花屋さんなどと職業名をあげなければ……と思い込んでいたし、何になりたいか聞かれると急に無口になった。何歳になっても、明確な夢なんて分からない。尊敬する人はたくさんいても、なりたい、とは少し違う。
でも、ときに曖昧さは人生を豊かにする。偶然こうなったおかげで、昔よりも多くを学び、考えさせれられた。何より刺激的だったのは、「世の中はまだまだ分からないことだらけなんだ」という体感だった。世界が底なしだと気づくと、無限の可能性を見出せる。勉強の本質は、分かることよりも、分からないことを知ることだ。
ただ、答えのある勉強と違って、この業種はどんなに追求しても正解が存在しない。いくら頑張っても、時には何にも実らないことがある。折れてしまわないよう、自分で自分を騙してきたような気もする。やってみないと分からない。傷ついたって、失うばかりではなく、得られるものもたくさんある。そう思おうとしたとき、体のどこかで、張り詰めていた糸がプツプツと切れていく音がした。