フェミニズムを知ったからこその苦悩とどう向き合う?モヤる気持ちの対処法
- ▽ゆるやかなフェミニズムを実践してつながりたい
- ▽フェミニズムを知ってから、実家に帰ったときに母や姉だけが忙しく家事をしている光景を見るとモヤモヤ…
- ▽夫の収入に頼って生活している友人を見ると、自立できていないのではないか、と自分の正解を押し付けそうになる…
- ▽いわゆる“女性らしい”ことをするときに、自分の意志なのか刷り込まれたジェンダー観なのか、区別がつかないことがある…
- ▽女性に対しては特に、年を取ることにネガティブなイメージを持ってしまう…
- ▽フェミニズムに関心のある仲間同士と思っていても、ちょっとした違いでぶつかりやすい。しかも、ぶつかったときの火花が大きいように感じる
- ▽聞きかじった知識だけでトランスジェンダー女性を差別する人に対して、フェミニストとしてどのように向き合えばいいかわからない
- ▽自分を守ることもまたフェミニズム
あらき・なほ/大阪公立大学客員研究員。ジェンダー平等、女性運動のネットワーキング、フェミニズムなどをはじめジェンダーの研究を行う。近著に『分断されないフェミニズム ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる』(青弓社)。
ゆるやかなフェミニズムを実践してつながりたい
フェミニズムとの距離感や、社会問題への関心度、キャリアや結婚、出産など人生の選択も人それぞれ。価値観の違いがあるから関わらない、とシャッターを下ろすのではなく、自分とは違う価値観を持つ人とも語り合うだろうし、そんな“ゆるやかなフェミニズム”を実践したい。
そのためには、この人はこういう人に違いない、この人の行動はこういう理由に違いないと勝手に決めつけて、ラベリングしないことが大事だ。
「そもそも人とすべてわかり合うことは不可能だという認識を持つことが必要」と荒木さんは言う。すごく信用できる人で共感できるところが8割あっても、2割は共感できないかもしれない。「この人ならわかってくれるはず」と人を居場所にしすぎると、わかり合えなかったときに大きな溝ができてしまうことも。
「どうせわからないところもあるよね」ぐらいの気持ちでほどほどにつながり合うのが、“ゆるやかな”フェミニズムを実践するコツで、それが本当の意味での女性同士の連帯を作っていく助けになるはずだ。
ゆるやかなフェミニズムの実践は、フェミニズムを知って、見える世界が変わってしまったことで生まれたモヤモヤや、プレッシャーからの解放を助けてくれる。ここでは、フェミニズム的視点を持つことで生まれやすいモヤモヤを例に、向き合い方を考えてみた。
フェミニズムを知ってから、実家に帰ったときに母や姉だけが忙しく家事をしている光景を見るとモヤモヤ…
友達や同僚など少し距離がある人や、こちらから距離を置くことができる人なら、わかり合えなくても仕方ないかと割り切ることもできる。しかし、家族やパートナーなど身近な人との間に考え方の溝ができると、苦しいことも多く、「フェミニズムを知らないほうが楽だったのでは…」と考えてしまうかもしれない。
「改めて思い出してみると、フェミニズムを知らなくても、以前からモヤモヤしていたことはあったなと感じるし、どこかでつまずいていただろうと思うんです。そのまま何も気付かずに生きることは、今の時代もう無理なんじゃないかな、と。
モヤモヤすることをそのまま置いておくしかないよりも、フェミニズムを知ってモヤモヤを自分の言葉にできる状態のほうが、快適で幸せに生きられるんじゃないかなと、自分の中では納得しています」(荒木さん)
夫の収入に頼って生活している友人を見ると、自立できていないのではないか、と自分の正解を押し付けそうになる…
まず、「自立=自分の生活費を自分で稼げること」を指すのかは、疑ってかかる必要がある。「自立=自分の生活のあり方を選択し決定すること」と定義し直すとしても、自立した生き方だけが正解と思い込むことは、自分自身を追い詰めることにつながりやすい。
さらに、身近な人の性差別意識を変えなければとか、自分にとって大事な人だからこそ考え方をアップデートしてあげなければ、と思うこともあるかもしれない。
「常にフェミニズム的でいなきゃいけないとか、常に政治的でいなきゃいけないと思う自分もいる一方で、そんなのしんどいから嫌だねと思う自分もいて、モヤモヤすることはありました。
フェミニストはしんどい思いをしたり、自分の生活も犠牲にしたりしてまでフェミニズム的でなければいけないのかというと、そんなことない。年齢を重ねた今は、自分のメンタルを守ることもフェミニズムだと私は思っています。
自立に関してもそうですが、強制されて自分のメンタルが潰れてしまって、自分という女性を守ることができないのであれば、それはフェミニズムではないんじゃないか、と」
いわゆる“女性らしい”ことをするときに、自分の意志なのか刷り込まれたジェンダー観なのか、区別がつかないことがある…
「私自身、女っぽい文化や化粧が好きで、別に刷り込まれたジェンダー観でしているという意識はあまりないん。ただ、自分のほうがごはんの用意やいろんな家事をしなきゃいけないと思ってしまうところがあって、やりたいからやっているのか、刷り込みなのか、そこはずっとモヤモヤし続ける気がします」と荒木さん。
逆に、ケア労働がもともと好きなのかもしれないのに、「女性だからしている」と思われるのが嫌だから、あえてケア労働を忌避してしまう、ということもあるだろう。
また、泣いたり怒ったりなど感情的になることもときには必要だけれど、「これだから女は」と思われたくなくて封印してしまう、ということも。
「化粧にしてもケア労働にしても感情的になることにしても、どういう理由でそうするのかって、おそらく“女性だからしなきゃ”のほかにもおそらく理由があるはずで、それを考えるといいかもしれません。その理由が『女性だから』でなければ、それは自分の意志でしているオリジナルの行動と考えていいんじゃないでしょうか。
また、なぜそれを避けたり封印したりしようとしてしまうのか。本当に女性らしいとされているからなのか、他人から女性らしいと思われるのが嫌なのか、自分がミソジニー(女性嫌悪)を内面化しちゃっているのか、ということも考えてみるといいのでは。
もちろん、考えたところで簡単には考え方が変わらないこともありますが、自分が一度向き合ったかどうかで意味合いは変わるのでは。思い込みから自由になるって、そういうことの積み重ねかなと思います」
女性に対しては特に、年を取ることにネガティブなイメージを持ってしまう…
年齢を理由にした偏見や差別は、最近「エイジズム」として認知されるようになってきた。年齢差別も、人種差別やジェンダー差別と同様、社会の中で作られてきた差別意識だ。
「私自身は、自分が年を取っていくのが実はすごく嫌で、憂鬱の種だと思っています。だから、年を取っても素敵に生きられると言っている人が私は羨ましいし、場合によってはイラッとするときがあるかもしれません。年齢とともにステップアップしていける人は年を取ることもいいと思えるかもしれないけど、私は自分が何もできないまま年だけ取って体が衰えていくことがすごく虚しく感じて。そういうふうに自分をジャッジしてしまってるところがあるなと感じます」
フェミニストを自認していても、きちんとした肩書きがないことに引け目を感じたり、社会的地位のある人に対して自分より目上の人という気持ちを強く持ってしまったりすることもある。しかし、権威主義や既存の上下関係を批判する多くの活動や、フェミニズムのグループで好まれてきたのは、対等な個人としてものを言い合える「平場」の考え方。そこでは「どんな人にも優劣はない」となるはずだ。
「そう考えると、自分も、人は能力や社会的地位がないとダメなんだっていう考え方にとらわれてるんだな、と気付かされます。いずれにしろ、これもやっぱり『自分のメンタルを守ることがフェミニズムだ』と考えて、乗り越えなきゃ仕方ないかなと思います」
フェミニズムに関心のある仲間同士と思っていても、ちょっとした違いでぶつかりやすい。しかも、ぶつかったときの火花が大きいように感じる
いくらフェミニズムという共通項があったとしても、人それぞれ違う背景を持ち、違う毎日を送っているのだから、考えの違う部分があるのは当然だ。
また、最近はジェンダーや人種、セクシュアリティ、国籍、社会的地位、世代などの差別を複合的に考えていかなければいけないという考え方が広がりつつある。ただ、誰しもすべての差別の問題を同等に扱うことは不可能で、人によって優先順位が違うのは当然。
「あなたはこの差別について認識が甘い」といった批判に対しては、まずは「自分はその差別についてないがしろにしておらず、その差別があって当然とは思っていない」というスタンスで向き合い、そこから考えていけばいいのでは、と荒木さん。
「ただ、譲れない部分がどこかは、すり合わせる機会があったほうがいいと思うんですよね。例えば、一見女性のエンパワーや解放につながるように思えても、それが誰かを差別することのうえに成り立っているようなら、『それはダメだよね』と言う必要があります。また、フェミニズムが批判しているのは男性優位の社会構造そのもののはずなのに、世界を二分して男性を悪く言うような言説も、疑ってかかったほうがいい。
これらの譲れない部分以外に関しては、すべての人に歩み寄ることは無理だと思うので、ほどほどの距離感で付き合っていくのがいいかなと思います」
聞きかじった知識だけでトランスジェンダー女性を差別する人に対して、フェミニストとしてどのように向き合えばいいかわからない
近年、一部のフェミニストの間で、トランスジェンダー女性の権利と、シスジェンダー女性の権利が対立するもののかのように語られることがあり、分断を生んでいる。
※トランスジェンダーとは、生まれた時に割り当てられた性別と、自身で認識する性別が一致していない人を指し、トランスジェンダー女性はその中でも女性ジェンダーだと自認している人のこと。シスジェンダーは、生まれた時に割り当てられた性別と、自身で認識する性別が一致している人を指す。
「私自身、この問題についてものすごく詳しいわけではありません。ただ一つ言えるのは、誰かを差別することで、別の誰かの権利や安全を守るのは絶対にしちゃいけないこと。それは大前提だと思います」
そもそも、シスジェンダー女性にさまざまな人がいるように、ひとことでトランスジェンダー女性と言ってもさまざまな人がいる。
身体的な性別移行や社会的な性別移行の段階もいろいろで、どの部分を重要視しているかという価値観や、経済状況、健康状態など、個人差が大きいため、個別の事情を考慮する必要がある。
それにもかかわらず、特にインターネット上では「トランス女性」としてひとくくりで語られ、恐怖を煽るような言説が広められ、それを聞きかじった人がさらに差別発言をする、といったことが繰り返されている。
「トランスジェンダーの問題では、トイレのこと、スポーツのこと、性犯罪のこととかいろんな話があって、一緒くたにして図式化するのは無理だと思うんです。
トイレの話であれば、日本のトイレは構造上犯罪者が入ってきやすいという問題がある。性犯罪の話であれば、日本の法律は性犯罪者に甘すぎるという問題がある。それらを議論するよりもトランスジェンダーの人が犯罪を起こすリスクのほうが問題だというなら、それは違うと思う。
また、性差別や性暴力を経験したことがない女性が、経験した女性に対して『自分は経験したことがないから、その悩みがわからない』という言い方をするとしたら、それも違うだろうと思います。フェミニズムを考えるのなら、性差別や性暴力を受けた経験を語っている人の気持ちは、当然尊重されるべきです。ただ、だからといってトランスジェンダーやLGBTQ+の人を差別していいという理由にはなりません。
今の時代、インターネットの普及によってわかりやすいものが好まれる傾向にあるけれど、フェミニズムの現場って、わかりにくいものや個別の事情を、その都度すり合わせしてやってきたと思うんですよ。この人はどっち派とか、敵か味方かみたいな図式で話が進むのでは、恐らく解決は難しい。会話ができる関係性の人とであれば、個別の問題や事情をバラして、丁寧に話をする必要があると考えています」
自分を守ることもまたフェミニズム
人と連帯するときには、勝手に図式化せず、自分は何もわかっていないんだという気持ちで相手と向き合って知ろうとすることが大事。これは、自分自身に対しても同じだ。
自分はこうであると決めつけず、なぜそう思っているのかを、一つ一つ解きほぐして考えてみよう。また、フェミニストはこうでなければいけないと決めつけて自分を追い込まないこと。譲れない部分がどこかを決めてしっかり守りつつも、最終的には自分のメンタルを守ることが最優先だ。
自分という一人の人間にゆるく、優しくすることもまたフェミニズムだと心に留めながら、自分自身と向き合っていこう。
フェミニズムは分断と連帯にどう向き合えばいいのか。フェミニズムの議論を骨格に、現場の声にふれた経験に基づき、女性たちが簡単にはつながれない現実を見据えたうえで、シスターフッドとは何かを問いかける一冊です。公式HPはこちら。
illustration_Yu Mori text_Saya Yamaga edit_Hinako Hase