子持ち様VS無産様? モヤモヤから考える、女性同士が分断されないフェミニズム
あらき・なほ/大阪公立大学客員研究員。ジェンダー平等、女性運動のネットワーキング、フェミニズムに関する活動や研究を行う。近著に『分断されないフェミニズム ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる』(青弓社)。
立場は違っても、女性同士で助け合いたい
「フェミニズム」とは、ひとことで言えばジェンダーによる差別を解消していく思想や運動のこと。
今の社会でジェンダーによる差別を受けやすいのはまだまだ「女性」で、フェミニズムは本来、女性が生きやすいよう手助けしてくれるもののはずだ。
ところが、例えば職場で小さな子どものいるいわゆる「子持ち様」と、彼女たちのカバーに回ることになる子なし女性など、立場の違う女性同士の衝突が「女の闘い」などといって取り上げられたりもする。
本当は、もっと女性同士で助け合ってもいいんじゃないか。そんなとき、フェミニズムはどう生かせるのだろう?
まず大前提として、フェミニズムを使えば、「この問題では、この人たちはこうなのでこうすればよい」と図式化してすっぱり1つの正解を出せるというわけではない、と荒木さん。むしろそうやって図式化しようとすることこそが、分断を深める結果を生んでいるという。
このことを前提に、日常の中で出会うモヤモヤするシーンについて、荒木さんと一緒に考えてみた。
女友達から「結婚して子どもを産むのが女の幸せ」のように言われて、モヤモヤ…
結婚・出産・子育ては、女性の間に分断が生まれやすいテーマだろう。例えば、独身子なしの女性が、結婚して子どもを産んだ女友達から、結婚・出産が女の幸せのように言われたら…。さらに、「子どもは欲しくない」と返すと、「そんなの社会に貢献していない」と言われたら…。
「これは、どんな人にどういうつもりで言われるかにもよりますね」と荒木さん。例えば、子どもにすごく愛情をかけて子育てをしてきて、子どもと素晴らしい関係を築いている人に言われるなら、その人の経験から出た言葉なので、モヤモヤはするかもしれないけれどある程度納得できる。
けれども、「子どもがいない=少子化=貢献していない」と図式的に頭ごなしに言われると、この人は社会に貢献してない人だとレッテル貼って言いたいだけの、残念な人。これは、子どもはいるものの子育てにあまりかかわってこなかった男性にも多いパターンかもしれない。
「そう言われたときには、嫌味っぽく『あなたはすごい貢献してて偉いですね』って持ち上げるのはどうでしょうか。『そもそも貢献とは?』と角を立たせず相手にボールを投げ返すのは、一つの方法だと思います」
職場で唐突に産休・育休を取る女性や、子どもの都合で早退・遅刻・欠席をする女性に対して、モヤモヤしてしまう…
このテーマは最近、「子持ち様」論争などとして話題になることも。さらに、子どもを持たない女性を「無産様(むざんさま)」と呼んで、両者の対立を構造化しようとする流れもある。
「職場などで子どものいる女性に対していない女性がモヤモヤするとしたら、まず社会の中で子どものいる女性のほうが価値が高いとされていて、そのことでコンプレックスを抱えている部分があるのではないでしょうか。もう一つは、子どものことに限らず、世の中しんどいときにしんどいと言える人と言えない人がいて、言える人に対して言えないで我慢している人がイラ立つ、ということもあると思います」と荒木さん。
もし子どものいる人が休んだり遅刻・早退したりした結果、他の人が大変な思いをしたとしたら、それはその人のせいではなく、その調整をうまくできなかった職場の問題であり、怒るべき対象は職場だ。また、そもそも子どものいる女性が休んだら、他の男性社員も迷惑をこうむるはずなのに、なぜ「子持ち女性 VS 独身の女性」の問題として語られるのだろう。そこには、世間が意図的に作り出した対立の図式が見える。
「こういうときは、自分の怒りが世間の作り出した二分法に乗っかってないかを、一度振り返ってみては。もしそうなら、『自分はなんで怒ってるんだろう? 何でモヤモヤするのかな?』って改めて考えてみてもいいのかなと思います」
女性を外見で判断することや、逆に外見を磨いてモテることに価値を置いている女性に対して、モヤモヤする…
最近、話題にのぼることが増えた「ルッキズム(外見至上主義)」にも、女性のほうが巻き込まれがちだ。男性が女性の外見に対して画一的な美を求めてジャッジするだけでなく、その基準を女性自身が内面化してしまっていることも多い。
「職場で同僚とかに対して、『あの人は顔が…』とか言うのは、本当にアウトだと思います。仕事に外見は関係ないのに、体形とか顔とかでジャッジするのはおかしいし、『ジャッジしているあなたは何様なの?』って。そういうときは、『そういうこと言うのは失礼ですよ』ってはっきり伝える必要があると思いますね」
一方、女性自身が外見や「モテ」の規範を内面化して、自分自身をもその構図に当てはめて価値付けしている場合、その視点が本人に向いている限りはある程度仕方がないとも言える。もしそういう人とも話をしようとするなら、「そんながんばらなくても、〇〇さんはここがすごくいいと思うよ」と言ってあげるのは一つの方法かもしれない、と荒木さん。
もう一歩踏み込んで自分は違う意見だと伝えるのなら、視点を変えて「男が自分を棚に上げて女を外見でジャッジする風潮ってちょっと嫌だよね」「ジャッジする、されるって誰が決めるんだろう?」と話をしてみるのはどうだろう。
「たしかにそれは嫌だよね」と返してくれれば、共感し合える部分があるかもしれない。今どき「男が女をジャッジするのは当然だ」と思っている人はさすがにそれほどいないだろうが、もしそこまで思っているようなら「がんばってね」と言うしかないだろう。
キャリアに対する考え方の違う女友達に、仕事の愚痴を言ってもわかってもらえず、逆に噛みつかれた…
仕事に対する考え方の溝は、特に学生時代からの友達などの間で生じやすい。仕事をがんばりたい人、仕事はそこそこで遊びたい人、仕事をしないで家事をしていたい人など、実際に社会人になってみると仕事に対するスタンスに違いが出てくるからだ。
「まず噛みつかれたというのであれば、噛みつかれるいわれはないのに向こうから攻撃してきたわけだから、噛みついたほうが悪いですよね。そのうえで、キャリア思考ではないほうが違和感を抱くのは、社会的地位が高いのがよいこととされている中で、劣った存在として見られることに対するイラ立ちがあるのかもしれません」と荒木さん。
「子持ち様」論争と同様、「バリキャリ」と「ゆるキャリ」といった世間の作り出した二分法に乗っかってしまっていないかを考えよう。正規雇用と非正規雇用の人がいるのは男性も同じだが、その対立が取り上げられることは女性と比べ、あまり見られない。
「ただ一つ言えるのは、男同士より女同士の関係でモヤモヤが起きやすいのは、女同士は分かり合えるはずという幻想があるから、わかり合えなかったときのイラ立ちが男同士よりもあるのかもしれません」
また、よく言われることだが、いずれにしろずっと同じ温度感で友達でい続けるのは無理なこと。子育てや仕事が忙しいと、それまで通り友達と付き合えない時期があるのは当然だ。お互いわからないことを無理にわかり合おうとしなくても、また落ち着いたときに話し合える機会があったら、そのときよい関係になればいい。仲がいいか悪いかの二分法で考えるのはなく、今は少し距離を置くなど、フレキシブルに付き合っていこう。
フェミニズムは分断と連帯にどう向き合えばいいのか。フェミニズムの議論を骨格に、現場の声にふれた経験に基づき、女性たちが簡単にはつながれない現実を見据えたうえで、シスターフッドとは何かを問いかける一冊です。公式HPはこちら。
illustration_Yu Mori text_Saya Yamaga edit_Hinako Hase