自分も他者も大切にするために。今からでも遅くない、大人のための包括的性教育
最近よく耳にするようになった「包括的性教育」という言葉。一般的にイメージする「性教育」とは一体何が違うのでしょうか?そこで今回、「人生をデザインするために性を学ぼう」をコンセプトに、包括的性教育の普及を目指し、性教育講演や、性の健康と権利を学ぶ場作りなどを行っているNPOピルコン代表の染矢明日香さんに、詳しくお伺いするとともに、大人が性について学ぶこと、知ることの大切さについてお話いただきました。
なぜ今「包括的性教育」が注目されている?
―まず、「包括的性教育」とはどのようなものなのでしょうか?
染矢:「性教育」と聞いて思い浮かべるのは、例えば女子だけが集められて生理用ナプキンの使い方の話をされたり、性感染症の名前を覚えたりといった、体や生殖の仕組み、性感染症予防について学ぶものだとイメージする人が多いと思います。
それに対して「包括的性教育」は、生殖のことだけに限らず、人間関係や性の多様性、ジェンダー平等、幸福といったことも含めて幅広く扱います。その国際的な指針になっているのが、2009年にユネスコなど5つの国際機関が作成・編集した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(2018年改訂)です。このガイダンスは、世界中の性教育の効果について調査・分析した、科学的な根拠に基づいて作成されています。
包括的性教育のゴールは一人ひとりのウェルビーイングの実現であり、ベースには「人権の尊重」があります。すべての人が生まれながらにして平等であり、自分の体のことは自分で決める権利があります。そのため、単に性に関する知識を受身で学んで終わりではなく、情報をもとに自分なりに決めていく力を育み、自分も他者も大切にするために、どんなコミュニケーションをとったらいいのかを実践的に学ぶことを、重要視しています。
―具体的にはどういったことを学ぶのでしょうか?
染矢:ガイダンスでは8つのキーコンセプトを設定していて、5歳から18歳以上までを4つのグループに分け、それぞれの年齢発達に即したカリキュラムに沿って、このキーコンセプトを繰り返し、継続的に学ぶことがポイントになっています。軸にあるのは、「発達段階に合わせて、自分はもちろん、他者の体や心も尊重しながら性を安心して楽しんでいくために、必要なことを考えましょう」「リスクに直面してしまったときに、頼れる相手や機関、適切なサポートを知っておきましょう」という考え方です。学習目標として、子ども・若者が持つ権利を知ることだけではなく、十分な情報を得た上で、自分自身とパートナーに対して責任をもって行動できるようになることも含まれます。
8つのキーコンセプト
1.人間関係
2.価値観、人権、文化、セクシュアリティ
3.ジェンダーの理解
4.暴力と安全確保
5.健康とウェルビーイング(幸福)のためのスキル
6.人間のからだと発達
7.セクシュアリティと性的行動
8.性と生殖に関する健康
―「包括的性教育」が注目されるようになった背景にはどのようなことがあるのでしょうか?
染矢:2015年の研究では、性教育のプログラムの中にジェンダーと権力について内容が入っている方が、思わぬ妊娠や性感染症を防ぐ効果が5倍も高くなるということがわかっています。SRHR(性と生殖に関する健康と権利)やSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みも進められるなかで、世界共通で包括的な性教育を広めていこうという動きが活発になっています。また、インターネットの普及も大きく影響していると感じます。さまざまな情報を誰でも気軽に入手できるようになった今、特に子どもや若者は、性に関する誤った情報をそのまま鵜呑みにしてしまったり、SNSを介した性犯罪に巻き込まれてしまったりといったケースも増えています。そうしたなかで、性教育の大切さを見直そうという声が高まっているのです。
なぜ遅れている?日本の性教育の今
―現在、日本ではどのような性教育が行われているのでしょうか?
染矢:日本の学校では、包括的性教育はほぼ行われておらず、国の定める学習指導要領というガイドラインに合わせて授業が行われています。その中にいわゆる「はどめ規定」と言われるものがあり、例えば小学5年生の理科では、「人の受精に至る過程取り扱わないものとする」とされていたり、中学校1年生の保健体育では、「妊娠に至る経過は取り扱わないものとする」という一文があったりします。これにより、教育現場では、小・中学校では、性行為や避妊については教えてはいけないのではないかという認識が長く共有されてきました。
そこで国連は、日本に対して包括的性教育を導入するよう勧告をしていますが、日本政府はすでに十分な性教育がなされているとして「受け入れない」と回答しています。こうした国の姿勢もあって、2000年代に起こった「寝た子を起こすな」という性教育バッシングも尾を引いています。学習指導要領を超えて性教育を行うことが、逆に子どもの性へのリスクを増やすのではないかと考える大人が未だ少なくなくないのです。
しかし、実際には、性行為のリスクのみを強調し、性行為しないことだけを勧めたり、脅したりするような性教育では、性的なリスクを下げる効果が期待できないばかりか、むしろ悪影響になりうることさえあるということが、研究からもわかっています。現場においても、「これでは理解が深まらない」「性教育が不十分である」といった声も上がっているのが現状です。学校によっては、性教育に対して学べる機会を作ろうという動きもあり、私が代表を務めるピルコンでは、学校の依頼を受け、学校側とも子どもたちのニーズにあった表現になるよう調整しながら中高生向けの性教育授業をこれまで300回以上行ってきました。
―こうした日本の性教育の現状が続けば、どんなことが起こりうるでしょうか?
染矢:不十分な性教育によって不利益を被るのは、やはり子どもや若い人たちです。実際、きちんと学ぶ機会がないことで非現実的なAVやアダルトサイトの情報が性の教科書になり、傷つけるつもりはないのに相手を怖がらせてしまったり、性に関する悩みを恥ずかしいことだと誰にも言えなかったり。その結果、性暴力や思いがけない妊娠、性感染症といった被害が深刻化してしまうことも考えられます。
自ら考え、決めることができる。海外で感じた性教育の差
―性教育の進んでいる海外の国では、どういった性教育が行われているのでしょうか?
染矢:例えば、海外で作られた性教育の動画教材を見てみると、多様なセクシュアリティの人が登場することに気づきます。同性同士のカップルや男女どちらにも見えるキャラクターなど、性の多様性の意識が浸透していることを感じます。また、性について伝え方も大きく異なります。日本では性教育を「指導」と捉える部分が大きく、性行為のリスクを強調し、否定的な面から伝える傾向がありますが、包括的な性教育が進んでいる国では、お互いの同意があれば、性行為によって幸せを感じたり、より良い関係を築いたりすることにつながることを強調していて、入り方がとてもポジティブで肯定的なのです。
―包括的性教育を十分に受けていない日本と海外で、この差はどんなところに出ているでしょうか?
染矢:ちょうど昨年、包括的性教育が進んでいると言われるオランダやスウェーデンを訪れたのですが、日本では曖昧である人も多い、性的同意やバウンダリー(自分と他者との境界線)の考え方がしっかり根付いているのが印象的でした。
例えば、日本の教育の場合、「プライベートゾーン」は「水着で隠れるところと口」とされていて、ここは大切な場所であり、人に見せたり触らせたりしてはいけないと教えられることがあります。そしてその際、どうしても「指導」という姿勢で、大人が一方的に教え込んでしまいがちです。一方、髪や二の腕など一般的な「プライベートゾーン」に当たらなくても、他の人に触られるのが嫌な人もいますし、「嫌」だと言えないこともあるかもしれません。成長が進むにつれ、お互いの同意の上で親密なコミュニケーションをしていくこともあるでしょう。先の国々では、「誰にどこを見られたり触ったりしていいかは、自分の気持ちをまず確認してみてね。そのとき嫌だと思ったら嫌と言っていいし、嫌と言われたらやめましょう」と、子ども自身が自分自身に問う余地を残すのです。
包括的性教育を通じてバウンダリーの意識を繰り返し身につけることで、実際に手をつなぐ、キスをする、性行為をするとなったとき、「自分はNOと言っても嫌われたりしない」と思えたり、相手に対しても「人によって考え方も感じ方も違う」と考えたりすることができます。これは、対等で自立した人間関係を育み、自分の人生を主体的に生きることにもつながると感じます。
自分の人生を舵取りできる感覚がウェルビーイングにつながる
―Hanakoの読者層でもある30代は、人間関係も広がり、恋愛、結婚、妊娠などさまざまなライフイベントがある時期だと言えます。そのなかで「包括的性教育」の知識はどのように役立つでしょうか?
染矢:日本では、やはり性に対してタブー感が根強くあり、特に女性が性について主体的になるのははしたないことと考えられがちです。でも、パートナーとの関係性、結婚、妊娠や出産といったことを、自分でコントロールできるというのは、人生を自分らしく幸せに生きるうえで、とても重要なことですよね。
包括的な性教育の知識があれば、例えば、低用量ピルや、IUS、緊急避妊薬などの選択肢によって、妊娠をいつするか・しないか、性的同意を知ってどのような性行為をいつするか・しないかを、自分で調整することができます。生理のトラブルで悩んでいるなら、それに対して対処することもできますし、誰かからハラスメントを受けたときに、それは不当なことだと意見を表明したり、他の人に相談ができたりすることもできる。いろんな場面で、自分の人生を自分で舵取りできる感覚を持てるのではないかと思います。そして、その感覚こそがウェルビーイングにつながるのではないでしょうか。
―大人になってからでも性教育を学ぶのは遅くないでしょうか?
染矢:もちろんです!まずは「学びたい」と思うことがとても大切ですし、今ピンときていない人も、生きていれば、何かしら性教育に関わることに接していると思うんです。これまでモヤモヤを感じたり、誰かを傷つけてしまったかもと悩んだりしたことがある人は、性教育の知識が役に立つこともあるかもしれません。
―最後に、今後日本で包括的性教育が広がっていくにはどのようなことが必要でしょうか?一人ひとりが目を向けたいことや意識したいことがあれば教えてください。
染矢:私自身、大学生時代に思いがけない妊娠をして、「この先の人生どうなってしまうんだろう」と悩んだ経験があります。最終的に中絶を選択したのですが、あのとき母親が、「どんな選択をしても、あなたの味方だよ」と言ってくれたことが私の人生を変えてくれました。自分の選択を身近な人が応援してくれている。そう思えただけで心が軽くなりましたし、その後の人生を前向きに生きていくことができたんです。
当時、性について正しい知識があったなら、と悔やむことはもちろんあります。それでも、「性=傷つくこと」という認識のままにならなかったのは、その後に性教育を学んだおかげだと思っています。また、自分が当事者じゃなかったとしても、知識を持っていることで、大切な人を応援したり励ましたりすることができるかもしれません。自分も他者も大切に、それぞれの幸せを尊重して生きていくために。包括的性教育が広がっていくことを願います。