金運もご縁も今から巻き返す! 仕切り直しにご利益の東京都内寺社3選。

金運もご縁も今から巻き返す! 仕切り直しにご利益の東京都内寺社3選。
開運担当歴16年ライターHのご利益道しるべ|運気が上がる私の参拝ルート#12
金運もご縁も今から巻き返す! 仕切り直しにご利益の東京都内寺社3選。
FORTUNE 2025.10.21
気がつけば、あっという間に10月下旬。カレンダーの残り枚数を数えてギョッとしたり、来年の手帳が店頭に並ぶのを見てハッとしたり……。これまで10ヶ月を振り返ってイマイチだったなと思ったならば、今こそ巻き返しを。残る2ヶ月の運気を上げていくため、ここで心身を清めて仕切り直し。ここまで好調だった人は、さらに運気に乗って年末まで走り切れるよう兜の緒を引き締めるべし。祓い清めを司る祓戸(はらいど)の神々、強運厄除の神、煩悩を断ち切るお不動さまのお膝元を訪ねて心機一転、ラストスパートをかけていきましょう。

その一 新橋・日比谷神社で、強力な祓い清めの力にあやかる。

新橋から汐留にかけて天に向かって伸びる高層ビルの狭間にあって、清浄な空気を漂わせているのが日比谷神社。境内自体は決して広くはないけれど、高層ビルを従えるかのように鎮座する姿は静かながら大きな力を感じさせます。

新橋・日比谷神社

なぜ新橋に鎮座するのに“日比谷神社”なのかというと、もともとは日比谷の大塚山に鎮座していたから。それが江戸城築城にあたって慶長11(1606)年に芝口へ移転し、さらに関東大震災後の都市計画により新橋4丁目に移転。平成21(2009 )年に道路建設により現在地に御社殿が造営されました。

慶長年間から数えてもゆうに400年以上、時代が大きく変わる節目に移転を繰り返しながらも多くの崇敬を集め、元の鎮座地の名を今に伝える。“日比谷神社”という名の裏側には、江戸・東京の歴史がうかがえます。

松濤軒斎藤長秋 著ほか『江戸名所図会 七巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)より日比谷稲荷社。
松濤軒斎藤長秋 著ほか『江戸名所図会 七巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)より日比谷稲荷社。

御祭神は伊勢の神宮の外宮げくうに祀られる豊受大神とようけのおおかみと祓戸四柱大神。豊受大神は衣食住を司り広く産業を守護し、祓戸四柱大神はらえどのよつばしらのおおかみはあらゆる罪穢れを祓い清める役割を担います。祓戸四柱大神は、黄泉よみから戻った伊邪那岐命いざなぎのみことが禊を行った時に生まれたとされる4柱の神々。

瀬織津比賣神せおりつひめのかみが諸々の禍事まがごとや罪穢れを川から海へ流し、速開都比賣神はやあきつひめのかみが海の底で待ち構えて禍事や罪穢れを飲み込み、気吹戸主神いぶきどぬしのかみはそれを確認して根の国・底の国に向けて息吹を放って吹き払い、速佐須良比賣神はやさすらひめのかみが根の国・底の国に持ち込まれた禍事や罪穢れを消し去るのだとか。

禍事まがごとや罪穢れを徹底的に祓い清める神々に祈って、ついてない自分とサヨナラ。ここからリスタートしていきましょう。「祓戸四柱守はらえどのよつばしらのおおかみ」を授かり身につければ鬼に金棒。また、3度も移転を余儀なくされるも、そのたび一層繁栄したことにあやかった「奇跡の御守」は運気を上げていくにはぴったりです。

日比谷神社
「祓戸四柱守」、「奇跡の御守」のほかに「癒守」や「歯守」など健康に関わるお守りも。
information
日比谷神社

東京都港区東新橋2-1-1
https://www.hibiyajinja.net

その二 昇り龍と降り龍が護る、強運厄除の小網神社。

「強運厄除の神」「東京弁財天の杜」とも呼ばれ、運気アップや厄除け、財運向上のご神徳は、海外からの観光客にまで聞こえるほど。平日であっても参拝者が絶えることがありません。

起源は、平安時代中期の僧侶・恵心僧都えしんそうずが結んだ庵とも。時代が下り室町時代に界隈で悪疫が流行した時、海で網にかかった稲穂を手に翁が庵を訪れ、この翁を神として祀ったところ、悪疫が鎮まり人々は難を逃れたのだとか。

さらに時代が下って関東大震災が起こった時には、当時の宮司が御神体を抱えて新大橋のたもとまで避難したところ、橋がおちることもなく多くの人が助かったのだと伝わります。そして第二次世界大戦の際は、小網神社の御守りを受けて戦地に赴いた氏子は全員生還したのだとも。

強運厄除の小網神社
オフィス街の真ん中で古式ゆかしい佇まいを保つ小網神社。ご社殿と神楽殿は日本橋地区で唯一現存する戦前の神社建築。

現在私たちが目にする御社殿も、東京大空襲を奇跡的に免れたもの。宮大工の手による総欅造りで重厚な彫刻が施され、中でも向拝の昇り龍と降り龍は強運厄除けのシンボルとも。昇り龍は参拝者の祈りを受けて神に伝え、降り龍はご神徳を参拝者に授けると伝えられます。

境内には御祭神の1柱である市杵島比賣神いちきしまひめのかみ(万福舟乗弁財天)の像と銭洗の井があり、この井で金銭を清めて財布に収めておくと財運を授かるとされます。毎年10月28日には、万福舟乗弁財天大祭まんぷくふなのりべんざいてんが執り行われ、この時だけの御朱印や御守も。

強運厄除の小網神社
銭洗の井。中央には市杵島比賣神(万福舟乗弁財天)の像がたたずみ、参拝者を見守る。
information
小網神社

東京都中央区日本橋小網町16-23
https://www.koamijinja.or.jp/

その三 目黒不動尊 瀧泉寺へ詣で、煩悩や迷いを断ち切る。

その三 目黒不動尊 瀧泉寺へ詣で、煩悩や迷いを断ち切る。

関東最古の不動霊場にして日本三大不動尊のひとつ、目黒不動尊 瀧泉寺は1200年以上の歴史を刻む古刹。開基は平安時代初期の808年、慈覚大師円仁じかくだいしえんにんが故郷の下野国から比叡山に向かう途中でこの地に立ち寄り、夢のお告げで不動明王の像を彫り安置したのが起源と伝わります。

目黒不動尊 瀧泉寺
男坂と呼ばれる急な石段の先に建つ大本堂。背後には不動明王の本地仏、大日如来像が鎮座する。

江戸時代には、徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りを行った際に愛鷹が行方知れずとなり、自ら不動尊に額づき祈願したところ、たちまち鷹が飛び帰ってきたという逸話も。そこで家光の命により53棟からなる大伽藍が造営され、歴代将軍が折に触れ参詣する伽藍は”目黒御殿”と呼ばれるほど壮麗を極めたのだといいます。

国芳『目黒不動之図』
国芳『目黒不動之図』(国立国会図書館デジタルコレクション)。

目黒不動へ通じる行人坂が富士見の名所でもあったことから、やがて不動霊場としてだけでなく行楽地としても賑わい、門前には茶屋や土産物が軒を連ねました。落語の演目「目黒のさんま」は界隈の茶屋が舞台ともされ、筍飯や粟餅、餅花などが名物として知られたといいます。

広重、豊国『江戸自慢三十六興 目黒不動餅花』平のや(国立国会図書館デジタルコレクション)
広重、豊国『江戸自慢三十六興 目黒不動餅花』平のや(国立国会図書館デジタルコレクション)

不動明王は心の迷いや煩悩を取り除き人々を救う仏さま。迷いを断ち切る剣と物事を正しい方向へ導く羂索けんさくを持ち、あらゆる障害を焼き尽くす炎を背負う姿で表されます。日々あれこれと悩み、思い煩う私たちにとっては頼もしい存在。毎月28日の目黒不動尊大縁日には、今も多くの参拝者が祈りを捧げるために訪れています。

大本堂に向かう男坂の左手には、慈覚大師円仁が法具の独鈷とっこを投じた際に湧き出したとされる「独鈷の滝」がかかり、今も清らかな水の気配を漂わせています。

目黒不動尊 瀧泉寺
かつて不動行者の水垢離の場でもあった独鈷の滝。開山以来涸れることなく流れる霊水は「御龍神水」と呼ばれる。
information
目黒不動尊 瀧泉寺

東京都目黒区下目黒3-20-26
https://megurofudo.jp/

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