食体験からその人の魅力を紐解く。
俳優・モデル・菊池亜希子の〈味の履歴書〉

FOOD 2024.05.09

その人の食体験を知れば、その人の魅力がもっと見える。菊池亜希子さんの〈味の履歴書〉を紹介します。

心に深く刻まれる食の思い出。味よりも心の動きを覚えている。

感受性豊かで、食を通して大人の心情まで読み取り、考えを巡らせていた子ども時代。その記憶は、今も心の奥まで残っている。

幼いとき、両親とも働いていたので、留守の間、面倒を見てくれたのは父方の祖母。「おなかすいた」と言えば、おやつ代わりに炒り卵を作ってくれた。「おばあちゃんは背がちっちゃくて腰が曲がっていたので、思いきり手を上にのばして作ってました。ちょっとETみたいな感じで(笑)。炒り卵は甘塩っぱくて、中までちゃんと火が通っているのに、魔術でも使っているのかというくらいふわっとしてました。マネして作ってみるけど、いまだにうまくいかない」。放課後、姉は外に遊びに行くことが多かったので、大概は祖母と相撲を見ながらおやつを食べていた。
 小学校1、2年生の頃の、ちょっぴり複雑な思い出の味は、祖母の作るミートソーススパゲティ。家族のために時間をかけて作ってくれて、皆、おいしいおいしいと食べるのだが、菊池さんだけは頑なに食べなかった。「というのも、祖母はそもそも洋食が好きじゃなくて、母が作る洋食には一切手をつけなかった。だから、お母さんがかわいそうだと思ったりしてたんです」。なのになぜ、祖母はときどきミートソースを作るのか。子ども心に、母へのあてつけのように思えた。祖母は大好きだけど、この点だけは少々不愉快な思いがしていた。「母への気遣いというか、どうしてもミートソースを食べることができなくて、私だけ素パスタに醤油をかけて食べてました」。祖母の作るスパゲティを素直に食べたことは一度もなかったのだ。
 ところが、祖母が亡くなってから、あのミートソースのレシピは母が教えたものだとわかった。なんと。子どもの知らないところで、母と祖母はちゃんと通じていたのだ。「自分は素直じゃなかったな、食べておけばよかったな、と悔やまれます。醤油をかけただけのスパゲティをおいしいと言い張った、へそまがりな性格は、今も変わらない。あの醤油味、今でもほろ苦く覚えています」

1990 ミートソースの代わりに醤油をかけて食べていた。
祖母が作ったミートソーススパゲティ。反抗心から素パスタに醤油だけをかけ、それをおいしいと言い張った。意地っ張りな性格は今に繋がる。今もチクッと後悔が残る。
1990 ミートソースの代わりに醤油をかけて食べていた。

祖母が作ったミートソーススパゲティ。反抗心から素パスタに醤油だけをかけ、それをおいしいと言い張った。意地っ張りな性格は今に繋がる。今もチクッと後悔が残る。

 中学生になると、友達とたむろしたくて塾に入った。「学校帰りに買い食いするのは禁止だったんですけど、塾でちょっと遅くなったときとか、土曜日の部活が終わったときとか、定食屋でカツ丼を食べるのが楽しみでした。同じ学年の男子が隣のテーブルにいたりして、話はしないけど、何となくお互いの会話が聞こえていて、その中に好きな子がいたりして。青春だったなぁ」。中学生時代の定食屋通いは、青春だったし、精一杯のチョイ悪だった。
 高専時代にモデルを始めて、週末だけ、地元の岐阜と東京を往復する生活に。東京では、当時の所属事務所に寝泊まりしていた。「床に布団を敷いて寝てました」。周囲の大人たちが気を遣って持たせてくれたおにぎりを、渋谷の高層ビル内の事務所でひとり、ホームシックになりながら食べた。「いまだに事務所のあったところから並木橋まで歩くと、心細かった自分を思い出して、胸がキュッとなります」
 モデルとして仕事を始めると、「マネージャーさんによく顔が丸いと言われて、食べちゃいけないプレッシャーがありました。体には肉がつかないけど、若かったから顔に出る」。撮影の少し前から節制して上京。仕事が終わって、新幹線に乗っている間だけは、食べていいことにしていた。「真っ暗な車窓に映る自分の顔を確認しながら、菓子パン(*1)を頬張ってました。自意識過剰でしたね」

1996 定食屋で友達と食べたカツ丼は、青春の味。
飲食店立ち寄り禁止だったにもかかわらず、塾の帰りや部活終わりに行った定食屋。好きな子が別のテーブルにいて意識したり。青春だった、あの頃。
1996 定食屋で友達と食べたカツ丼は、青春の味。

飲食店立ち寄り禁止だったにもかかわらず、塾の帰りや部活終わりに行った定食屋。好きな子が別のテーブルにいて意識したり。青春だった、あの頃。
高専時代、東京で仕事を終えた帰りの新幹線で、ご褒美に食べた菓子パンがおいしかった。明日からはまた、顔が丸くならないよう我慢の1週間だ。
高専時代、東京で仕事を終えた帰りの新幹線で、ご褒美に食べた菓子パンがおいしかった。明日からはまた、顔が丸くならないよう我慢の1週間だ。

子どもの頃から親しんだ喫茶店は安心する場所。

大学は工学部都市環境システム学科に編入。街を歩いて観察したり、昔の地図を読み解いたりといったフィールドワークをするのだが、その対象が東京の東側だったので、東日本橋周辺はよく歩いた。そして、同じ研究室の友人たちと喫茶店で打ち合わせをしたものだ。そんな一軒が〈珈琲亭 駱駝〉である。「お店に行くと、マスターが黙々と生豆をハンドピックしてるんです。美学が貫かれていて、一本筋が通っている」。喫茶店をこよなく愛する菊池さんが言うのだから間違いはない。
 ここ10年ぐらい通っているのが、目黒にある〈カフェ ドゥー〉(*2)。「何も言わなくても、カフェオレとクロックムッシュを出してくれる。私は飲み屋さんとかに行かないので、喫茶店で『いつもの』と言う感じを味わっています」
 喫茶店という場所がつくづく好きなのだ。「家よりも落ち着くし、脱力できる。だから、地方に行くと必ず喫茶店を探します。地元の人が新聞を読んでいたり、おしゃべりしたりしていると、『ヨシッ』と思う。そこに生活が流れてるんですね。人々の暮らしがある。中には、何だか落ち込んだりしている人もいる。ドラマがあるんです」
 出身の岐阜は喫茶店が多く、モーニング文化が根付く地。中学生の頃からひとりで喫茶店に行っていた。「住宅街や田んぼの中にポツンと目立たない感じであるんです。黄色い回転灯が付いてて、それが回ってると開いてるという印」。図書館で勉強してくると言って、家を出るときにもらったお小遣いの500円で喫茶店へ。ピラフを食べたいけど、お金が足りなくて、バタートーストを注文する。「カウンターの奥でおばちゃんが大きなバターの缶にヘラを突っ込んで、トーストにバターを塗って出してくれるんです。バターといってますけど、多分マーガリンだと思う」。今でも、バタートーストがあると必ず注文する。喫茶店愛好の血はすでに、このときから流れていたのである。「喫茶店はシェルターみたいに逃げ込む場所。マスターが『行ってらっしゃい』とか『頑張ってね』とか声をかけてくれる。一番安心する場所かな」

2014 “いつものアレ”が通じるなじみの喫茶店。
目黒の〈カフェ ドゥー〉では、いつもカフェオレとクロックムッシュ。何も言わずともすっと出てくる。たまには違うものを食べようかなとも思うのだが……。
2014 “いつものアレ”が通じるなじみの喫茶店。

目黒の〈カフェ ドゥー〉では、いつもカフェオレとクロックムッシュ。何も言わずともすっと出てくる。たまには違うものを食べようかなとも思うのだが……。

ハラミステーキと煮豆はパワーフード。

2015年、結婚。「結婚して初めてステーキの魅力を知ったんです」。ステーキ好きの夫と共に、いろんなところでステーキを食べてみた。「夫には、男の嗜み、美学としてのステーキ観があるようで……」。そんな中、出会ったのが〈日仏食堂 トロワ〉(*3)のハラミステーキだった。「ほんとうにおいしい。驚きのボリュームで、私にとってのパワーフードなんです。結婚記念日には必ず行きますし、カウンターでひとりで食べることもある。女友達とおめかしして行くことも。『そうだ、トロワのハラミ食べよう』と思いつくと、おー、いいアイデアが降ってきたって気持ちになります」
2年後に第一子を授かる。初めての子育てに、「ちゃんと授乳せねば」と思う余り、ちょっとノイローゼのようになってしまった。「根が真面目なので、自分の任務をきちんと果たさなくてはと必死だったんです」
母が1週間手伝いに来てくれた際、五目豆を大きな容器が満杯になるほど大量に作ってくれた。蓮根や人参、ごぼう、こんにゃく、昆布が入った特製煮豆である。母が帰るとき、夫と車で見送りに行ったのだが、母が車から降りて、「じゃあ、元気でね」ときびすを返した瞬間から涙が止まらなくなった。泣きながら家に帰って、母の作った煮豆をご飯にのせて食べてやっと涙が止まった。苦しかった。夫がその状態を見て、煮豆を作ってくれるようになった。再現度が素晴らしく、気分も浮上。夫は1年近く作り続けてくれた。そのおかげか、第二子のときは大らかに子育てに向かうことができた。「今なら、同じように悩みを持つ人に『大丈夫。子どもなんてほっといても育つから』と言えるんですけどね」
子育てに疲れたときの逃避場所は、やっぱり〈トロワ〉だという。ハラミステーキで英気を養う。さすが、堂々たる菊池さんのパワーフードである。

2017 心身ともに救われた母と夫が作った煮豆。
母が作ってくれた五目豆が元気をくれて、出産後の不安定な気持ちが回復。なくなったのを見はからって、夫が母の味そのままに作るように。食に助けられた記憶だ。
2017 心身ともに救われた母と夫が作った煮豆。

母が作ってくれた五目豆が元気をくれて、出産後の不安定な気持ちが回復。なくなったのを見はからって、夫が母の味そのままに作るように。食に助けられた記憶だ。
2023 結婚記念日など大切な日には必ずステーキを。
結婚して開眼したステーキのおいしさ。毎年、結婚記念日には夫とふたりだけで〈日仏食堂 トロワ〉のハラミステーキで祝う。自分にとって特別な店である。細めのフライドポテトも美味。
2023 結婚記念日など大切な日には必ずステーキを。

結婚して開眼したステーキのおいしさ。毎年、結婚記念日には夫とふたりだけで〈日仏食堂 トロワ〉のハラミステーキで祝う。自分にとって特別な店である。細めのフライドポテトも美味。
illustration_Mihoko Otani text_Michiko Watanabe

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