食体験から魅力を紐解く。神田伯山の〈味の履歴書〉
その人の食体験を知れば、その人の魅力がもっと見える。神田伯山さんの〈味の履歴書〉を紹介します。
神田伯山さんが記憶を辿り語る食の思い出は、そのどれもに起承転結(オチ)があり、ときにチクッとシニカルで、耳に心地よく、まるで講談を聴いているようである。
大人との味覚の違いを認識していた子ども時代。
「鮮烈に覚えているのは幼稚園の頃のこと」。家から歩いて20分ほどのところにある幼稚園に、母と手をつないで通っていたのだが、帰りに必ず寄るのが牛乳屋さんだった。「それが楽しみで楽しみで」
当時大人気だったのが「ビックリマンチョコ」。それを2個買って牛乳を飲むか、牛乳をやめてチョコを3個にするか。「チョコに付いているシールが、2枚と3枚ではドキドキが違う」。あるとき、父がなんと一気に3箱分ももらってきてくれた。「大人買いという言葉を後に聞きますけれど、大人というのは子どもと明確に違ってすごい存在なんだと思いました」。シールを全部抜き、チョコも完食。「父親の威厳を見せつけられました」
小中学生時代は〈マクドナルド〉はじめチェーン店の味に衝撃を受ける。「家庭の味もおいしいけど、マックは全世界の人をトリコにする味ですからね。味の方向性が定まっていて、やみつきにさせようという味。おいしくてビックリしました。食べたあと、黙りましたもの(笑)」。父はさしておいしいとは言っていなかったが、「子どもの脆弱な舌で感じた味は、大人になってしまったら経験できないんだと思いました。毎日走り回っている活発な子だったので、塩分の多さもあのときのライフスタイルに合っていたのかも」。ハーゲンダッツにも驚いた。「質が高いとはこういうことなんだ」。さらに、〈吉野家〉の牛丼の味も覚えた。基本、食べるのは家庭の料理なのだが、母親も「たまにはいいわよね」と容認してくれた。ジャンクフードとの付き合い方の基本である。
子どもの頃から“絶対舌感”あり!?観察力と分析力にまさに舌を巻く。
食の記憶は驚くほど鮮明。そのとき何を感じたかも、しかと覚えている。
言葉を紡ぐ人ならではの食への卓越した洞察力は、幼少期からだった。
滅多に外食はしない家だったが、3、4カ月に一度、デパートでピザを食べさせてもらった。そのときに一緒に注文したクリームソーダのおいしかったこと。「だから今、40歳なのにときどきクリームソーダを頼んだりします。家族で食べた思い出を引きずってるんでしょうね」
お寿司も思い出とともにある。母方の祖父母も一緒に暮らしていたのだが、何かあると配達されてくるのがお寿司だった。「大人たちは相変わらず、わさびが入ったまずいヤツを旨い旨いと食べてるんですけど、子どもの僕はホントに旨いわさび抜きを」。たとえば、中学に入ったお祝いとか、弔いだったり法事だったり。冠婚葬祭の折にはなぜかおいしいものが運ばれてくる。「子どもというのは、世の中の仕組みがよくわかっていませんから、弔いがあったらおいしいものが食べられるという認識でした」
大学生になると、親友と寄席に通うようになる。午前11時半から夜9時まで10時間弱、その間、ずっと聴いていた。「大学時代は食に金をかけず、消えゆくものを見ていこうと思っていました。寄席演芸だけでなく、狂言とか歌舞伎とか。高齢の方の芸をとくに。後に映像とか見ても印象が違うだろうなと。」
隠れて食べる弁当の旨さ。前座時代はおごられる日々。
入門後は生活が激変する。
「前座の修業は人に気を使うこと」。打ち上げの席で水割を作るにしても、あの師匠は薄めが好き、この師匠は濃いめでエイヒレが好きとか。普通は他人が何を好むか興味を持たないだろうが、「前座の修業は人に気を使うということなので」。たとえば、食堂で師匠から「頼んどいて、適当に」と言われてメニューを渡されたときに、師匠の好みの料理を注文しておくとか。「周りの人への気遣いというものを意識づけられましたね」
常に怒られる立場だが、食べ物は常におごられる立場だった。浅草の寄席に入るとよく買ったのが〈デリカぱくぱく〉のお弁当。当時は〝台東区一安い〟という触れ込みだったが、ほんとうに安い。
「前座は精神的にも肉体的にも大変なので、働きながら食べていいんです。ただし、師匠方から見えないよう隠れて食べる。しかも早く。食べてる姿を見せないという美学です。師匠方も『ああいう弁当が前座の頃は一番旨いんだよな』とおっしゃってましたね。あの弁当は、前座時代の象徴です」
何から何まで衝撃。伝説の激旨ウナギ店。
その頃、強烈な出会いがあった。池袋の某ウナギ屋である。前座の後輩に誘われて行くことになったのだが、評価サイトでは点数はやたらと高いのに、口コミには「味がいい。味の割に安い。でも、オヤジの接客が悪すぎる」と。カウンターに陣取る常連が大将とずっとしゃべっているのを聞くともなく聞いていると、オレ様な話ばかり。曰く、「バカな客にはまずいウナギ食わせるんだ」などなど。とりあえず、冷や奴とビールとウナギを頼むと、ウナギ以外はすぐにやってきた。醤油をかけようとすると、「バカヤロー、奴に醤油なんてかけるんじゃねぇ。塩で食うんだよ」と大将。食べてみると確かにおいしい。いや、信じられないくらいおいしい。「みずみずしいし、味は濃いし、それでいて後味はすっきり」。肝心のウナギは2時間待っても来ない。しびれをきらして声をかけると、「バカヤロー、ウナギ屋をせかすんじゃねぇや」と。やっとのことで到来したウナギは、「なるほど、このおっさん、威張るだけのことはある」という旨さ。でも考えてみたら、腹も減ってるから、そりゃ旨いに決まっているともいえる。
大将が常連に「オレは、ウナギっておいしいもんだとたくさんの人に知ってほしいんだ。だから安く出してる。それがオレのプライド。その代わり、オレの店なんだから好きなようにやらせてもらう」と語るのを聞いて、オヤジなりに一本筋が通っていると思った。ちゃんと美学がある。人間性はともかく、伝説のウナギは最高の味だった。
これからは「歯」を大事に。おいしく食べ続けたい。
一度、ひどく酔ったことがある。高校のときから一緒に寄席通いをしていた親友の昇進祝いのために、銀座の高級鮨店に行ったときのこと。「僕が真打になったときなんか、あいつはサラリーマンじゃムリだろうというぐらいの祝儀を包んでくる。意地でね。それがあいつのカッコいいところなんです」。だから、ちょっと奮発した。「親友の出世がうれしくて、普段はあまり飲まないのに、ベロベロになっちゃって。いい夜でしたね」
あんみつは「ライブ」に限る。〈あんみつ みはし 上野本店〉のあんみつが好きである。「店構え、空気感、店員さんの対応、すべてベーシックに決まっていて、ひとつひとつのレベルが高くて調和がとれている。しかも、すぐに出て来る」。子どもの頃は、ショートケーキやチョコがよかった。「うちのばあさんはよくあんみつを食べてたけど、いろんなものを食べて行き着く味なのかもしれませんね」。この10年ハマり続けている。
それから〈ビフテキ家あづま〉も仕事帰りに立ち寄る店だ。じゅうじゅう焼きというのがあって、「不思議とおいしい。中毒性がある」。浅草の〈翁そば〉もそうだ。10日間寄席に入るとして5日は行きたくなる。「あんまりガッツリ食べると、高座に影響が出るので」。必ず食べるのは冷やしきつね、大盛りで玉落とし(卵入り)。
最近は、家で納豆と味噌汁、鮭とか焼き魚を食べるのがいい。家族揃って普通にごはんを食べるのが一番だと思うようになった。子どもが焼きそばが好きなので、よく作ったりもする。「それが子どもには評価されているようで」とうれしそう。
「年とともに食べられる量も質も変わってきた。ずっとおいしく食べ続けられるかが、これからの課題です。あまり太らないように気をつけつつ、基本に立ち返って歯を大切にする日々です(笑)」