食体験から魅力を紐解く。ブロードキャスター・ピーター・ バラカンの〈味の履歴書〉
その人の食体験を知れば、その人の魅力がもっと見える。
第二次世界大戦の爪痕が残るロンドンに生まれ育ち、スウィンギン・ロンドンやヒッピー・カルチャーに触れる学生生活を送った後に、日本の音楽出版社に職を得て来日したピーター・バラカンさん。彼の「味の履歴書」は、ロンドンで過ごした少年時代からスタートします。
動けなくなるまで食べたクリスマスのターキー。
「僕が物心ついた1950年代半ばのロンドンはまだ復興途上で、子供の頃は外食をした記憶がほとんどないんですよ。初めて外食らしい外食をしたのは高校生の時だったと思います。家の夕食でよく出たのは、ハインツの缶詰の白インゲン豆のトマト煮。目玉焼きと一緒にトーストにのせて食べるんですが、まずくはないけれど取り立てておいしいわけでもない。栄養を摂るために食べる感覚に近かった」
そんな食生活から敢えてひと皿、ご馳走を挙げてもらうと。
「ロンドンの普通の家庭では週末に肉の塊をオーヴンで焼いて、土・日の間の食事をそれで賄う家が多いんですが、その最上級がクリスマスのターキーの丸焼き。普段はさほど料理をしない親父が毎年必ず、このターキーだけは腕を振るうんです。イギリスにはクリスマスを家族揃って家で過ごす習慣があって、わが家でも家族4人でターキーを動けなくなるくらい食べて、食後はよくみんなで古い映画をテレビで観てましたね」
伝統は東京のバラカン家に受け継がれ、クリスマスには独立した子どもたちも帰ってくる。もちろんターキーを焼くのは、父であるバラカンさんの役目だ。
「クリスマスにしか料理をしないのは親父と一緒ですが、僕の焼くターキーは親父のとは比べものにならないほどおいしいですよ。ま、料理上手の女房が研究してくれたおかげですけど」
ロンドン時代の忘れられないおやつ。
子供の頃を思い出した時、三度の食事よりも「おやつ」の方が楽しみだったという人は少なくないはずだ。そこで尋ねてみると、ピーター少年にも大のお気に入りがあった。
「僕はチョコバーに目がなくて。イギリスには『Milky Way』『Mars』『Crunchie』……とにかくいろんなチョコバーがあるんですが、どれもおいしくてメチャメチャ食べてました。僕の体はチョコでできてるんじゃないかと思うくらい(笑)」
チョコバーの話をする時、バラカンさんは少年時代に戻ったような無邪気な笑顔になる。
「ロンドンに住んでいる娘が帰国するときには今も必ず、僕が大好きな『Penguin』のチョコバーを買って来てくれるんです。ただ正直、チョコが家にあるのは危険。絶対に誘惑に負ける自信がありますから(笑)」
1970年代に話を戻そう。ロンドン大学の日本語学科に通っていた頃、彼にはお気に入りのレストランがあったという。
「チェルシーのキングズ・ロードの奥、個性的なブティックが集まるワールズ・エンド辺りにあったクレープ・レストラン〈Asterix〉です。店内でナイフとフォークで食べるスタイルのフランスっぽい雰囲気の店で、僕はワインで煮込んだチキン・レバーを蕎麦粉のクレープで包んだメニューが好きでした。あれはロンドン時代の数少ないグルメ体験でしたね」
とはいえ、レコードは欲しいしコンサートにも行きたい、映画だって観たいピーター青年にとって、食が二の次になってしまうのは致し方のないところ。食への関心の高まりは、もう少し先の話になる。
来日初日に味わった最低と最高、2つの初体験。
来日初日に味わった最低と最高、2つの初体験。
1974年7月1日、羽田空港に降り立ったバラカンさんを迎えたのは、梅雨独特の間断なく降り続く雨と、爽やかな7月のロンドンとは対極の、絶望的な蒸し暑さだった。
「経験したことのない湿度の高さに、これは墓穴を掘ったかなと、到着後30分もしないうちに後悔し始めてました(苦笑)」
それでも空港から神田にある会社へ直行し、初出社の挨拶などを済ませたバラカンさん。日本での初めての食事に連れて行かれたのが、蕎麦の名店〈神田まつや〉(*1)だった。
「蕎麦粉のクレープならロンドンでよく食べましたが、麺に打ってある蕎麦はこの時が初めて。趣のある店内で食べた香り高い蕎麦はホントにおいしくて、日本で暮らすのも悪くないかもしれないと、空港で感じた後悔を心の中で撤回しました(笑)」
その後バラカンさんは、1980年に音楽出版社を退職。YMOの海外コーディネイトを担当しながら、1984年から『ザ・ポッパーズMTV』のMCを務めるなど、ブロードキャスターとしての活動にシフトしていく。プライヴェートでは、1981年に妻の真弓さんと結婚。この出会いが、バラカンさんが食への関心を高めるきっかけになった。
「僕はおいしいものを食べることは好きだけれど、独りで食べに行こうとは思わなかった。多分そこまでの執着はないんだと思います。ただ、女房と付き合い出してから結婚して子どもができるまでの約10年間は、いろいろな店を探して二人で食べに行くのがすごく楽しかった。食を軸にして私生活全体がすごく充実した印象があります」
当時はイタ飯やエスニック料理のブームが到来するなど、外食の選択肢の幅も広がっていた。
「和風パスタの〈壁の穴〉もこの時期に出会って、今も通っています。また女房も蕎麦好きなので、おいしい店を探して行ったり、海外から帰ると空港から蕎麦屋に直行するのが定番になったりも」
そんなバラカン夫妻のお気に入りは、隠れた名店と評判の碑文谷の〈朝日屋〉(*2)。
「家から散歩がてらに行ける店で、絶品のごまだれ蕎麦を食べられるなんて幸せですよ。〈神田まつや〉に始まって、僕にとって蕎麦はもっとも日本を感じる食べ物なのかもしれません」
おいしい料理といい音楽が作り出す贅沢な時間。
DJや講演で地方に出かけることも多いバラカンさんは、日本各地のおいしい店やおいしい食材にも詳しくなった。
「10年来、毎年冬場に呼んでもらっている富山の音楽イヴェントがあるんですが、その打ち上げで毎回訪れる〈DOBU6〉(*3)という音楽酒場は、魚がおいしい上に日本酒も揃っていて、さらに僕好みの音楽がいつもかかっている、幸せの極みのようなお店(笑)」
地元をよく知る招聘元が紹介してくれる店は、基本的にどこもおいしいという。一方バラカンさんが招聘側を務める「LIVE MAGIC !」も、〝耳も舌も楽しめるイヴェント〟としてすっかり定着している。中でも〈HELLO OLD TIMER〉(*4)が提供するガンボは、まさに本場ニュー・オーリンズの味だ。
「『LIVE MAGIC !』に出店してくれている店はすべて、僕が自分で実際に味を確認して、協力をお願いしたお店です」
食べるだけでなく提供する側も楽しむバラカンさん。バラカンさんにとって、おいしいものを食べることとは?
「僕にとっておいしいものを食べることは、いい音楽を聴くことに似ているかな。心のどこかに贅沢をしているという意識があって、楽しめることにいつも感謝しています」