NHK朝ドラ『ばけばけ』。何も起こらない物語で起きていることの面白さ。

NHK朝ドラ『ばけばけ』。何も起こらない物語で起きていることの面白さ。
NHK朝ドラ『ばけばけ』。何も起こらない物語で起きていることの面白さ。
CULTURE 2026.02.10
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は、小泉八雲夫妻をモデルにしたNHKの朝ドラ『ばけばけ』について。

韓国の映画人が口を揃える日本映画の魅力と『ばけばけ』の意外な関係。

韓国映画『チャンシルさんには福が多いね』(2020年)には、映画プロデューサーの職をなくしたばかりで、小津安二郎好きのヒロインのチャンシルが、一緒に居酒屋に行った大学で映画の講義をしている男性から「『東京物語』は何も起こらないから退屈だ」と言われ、それに対して「何も起こらないのではない。小さな出来事がいっぱい起こっている」と反論する場面がある。

20年くらい前から韓国の映画人にインタビューをするたびに、日本映画の魅力は、「何も起こらないのに、何かが起こっていることだ」と言われてきた。あまりにも皆が同じことを言うので、大学の映画の授業などでそう言っている講師がいるのではないかと思ったほどだったが、この映画を見て、「何も起こらない映画」の魅力について、そういう考えを持っていたのか!と納得したのである。

監督のキム・チョヒは、長らく韓国のホン・サンス監督の元でプロデューサーをしていて、初めて撮ったのがこの『チャンシルさんには福が多いね』であった。ホン・サンスも韓国では唯一無二と言ってもいいくらい「何も起こらない」映画を撮る監督である。

この話から始めたのは、今回紹介するNHKの朝ドラ『ばけばけ』も、脚本を担当するふじきみつ彦が、制作発表の頃から「何も起きない物語を書いています」と語っていて、しかもホン・サンスの映画を敬愛していると聞いたからだ。これまでのふじきの作品も『今日の猫村さん』や『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』そして『一橋桐子の犯罪日記』など、独特ののんびりした空気感のものが多く、その日常には「何も起こらない」けれど、「小さな出来事がいっぱい起こっている」ものが多かった。

しかし、『ばけばけ』は放送がスタートしてみると、主人公の松野トキ(髙石あかり)の身の回りには、いろんなことが起きまくる。子ども時代には、父親の松野司之介(岡部たかし)がウサギの投機事業に失敗して莫大な借金を背負い、小学校にも通えなくなる。その後も山根銀次郎という夫と結婚し、銀次郎自身も借金を返すために奔走するが、ある日、家を出て東京に向かってしまう。トキは彼を追って東京に行くが、結局は別れて家族の元へ。

ばけばけ 朝ドラ イラスト 高石あかり トキ ヘブン

スキップにこもる、物語の豊かさ。

その後、小泉八雲をモデルとするヘブン(トミー・バストウ)が松江で英語教師をするためにやってきて、トキは彼の女中に。怪談を通じて心を通わせ、彼の妻となる。史実が波乱万丈であるから、ストーリーとしては、「何も起こらない」わけにはいかないが、それでもこのドラマには「何も起こらない」時間も流れているのだ。

それが表れているのは、例えば松野家の朝食のシーンだ。しじみ汁を飲んで「あー」と声をあげるトキと、それをたしなめる司之介や、おじじ様(小日向文世)や母のフミ(池脇千鶴)の会話はコントのようで、毎回くすっと笑わされる。

また、38話では、ビア(ビール)を飲んでご機嫌のヘブンがスキップをしたことから、トキをはじめ、おじじ様や松野家の面々がスキップをするシーンがある。このスキップはその後もときおり出てくるのだが、これがいいのだ。

このスキップ、教えられてすぐにできたのは、まさかのおじじ様であり、近所の子供には「スキップ師匠」と呼ばれていた。彼がその子供たちの祖母である上野タツ(朝加真由美)に恋していることから、スキップと「恋」はなんとなくつながるものを視聴者は感じていた。

トキは当初はスキップができないのだが、その後も練習を重ねていて、ある日突然できるようになる。それは、ヘブンに対して、県知事の娘のリヨ(北香那)が好意を抱いて、積極的に距離を縮めようとしていた頃のこと。もともと偏屈なところのあるヘブンは、トキに厳しく当たることも多かった。しかし、トキは家の花瓶に拾ってきた椿の花を飾ると、ヘブンはそれを美しいといい、また夜にはその花を自分で絵に描いていた。

トキはそんなヘブンの優しさにふと気づき、顔をほころばせる。そして、その帰り道にはスキップができるようになっているのだ。ヘブンとおリヨのランデブーのことを、気にかけていにようでいて意識もしながらヘブンを待っていた気持ちとあいまって、知らず知らずのうちに心が動いていて、その心が踊る気持ちがスキップにあらわれていた。

一週間を通じて、スキップを中心にストーリーが進む。ヒロインの人生には様々な出来事が巻き起こり、ジェットコースターのような物語にはなっているが、それでもスキップを中心に追うその週には、「何も起こらないけれど、何か起こっている」ことを書いているドラマなのだなと実感させられた。

こんな恋愛の描き方があっていい。

トキはその後、ヘブンが怪談好きであることを知り、夜中まで「布団」という怪談を聞かせたその日の夜中にもウキウキとスキップをしている。そのスキップを見れば、更にトキの心の中でヘブンの存在が大きくなったことがわかるのだ。

当初、トキは母が買ってくれた怪談の本を引っ張り出して、「布団」を読んで伝えようとするのだが、ヘブンはその様子を見て、「ただ、あなたの話、あなたの考え、あなたの言葉でなければいけません」「シジミさんの話、考え、言葉、聞きたい」とトキにつげるのだが、そのときのトキの顔のうれしそうなこと……。私は、ヘブンのこの言葉に一番、愛情がこもっているように感じてしまった。

先日、ふじき氏にインタビューしたとき、恋愛を描くのは得意ではないと語っていた。確かに、世に溢れる恋愛ものは、もっとフックの強いもの、言い換えれば、型にはまったキュンとするシーンなどが切っても切れないものであるから、ふじき氏が、そういう型にハマった恋愛ものが得意でないというのは十分に分かる。しかしそれでも『ばけばけ』を見ていると、トキとヘブンが心を近づけている恋愛の話として見てしまう自分がいるし、型にハマった恋愛ものよりも、伝わるものがあると感じるのである。

ここでもう一度、「何も起こらない物語」とは何なのかと考えてみよう。それは、起こっている出来事だけを追うのではなく、そのときの心の中の変化を追うものなのではないか。だとすると、ていねいにトキとヘブンの心の中の小さな出来事を追っていることは、すなわち「何も起こらない物語」にほかならならず、そうすることで、おのずと恋愛が書けたことになっているのではないだろうか。それに加え、演出や俳優の表情が、恋する気持ちをこれ以上ないほど的確に表しているのだ。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi

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