おひとり様推奨!号泣必至の映画『エターナルメモリー』の見どころ
デートや友達、家族ともいいけれど、一人でも楽しみたい映画館での映画鑑賞。気兼ねなくゆっくりできる「一人映画」は至福の時間です。ここでは、いま上映中の注目作から一人で観てほしい「おひとり様映画」を案内していきます。鑑賞後はひとりで作品を噛み締めつつゆっくりできる飲食店もご紹介。
今作がおひとり様映画におすすめな理由
号泣して顔面が水浸しになってしまう可能性大!真っ赤な目を見られないため、そして柔らかな感動をじんわり咀嚼するためにも。
アルツハイマーで記憶を失いゆく夫と、彼を献身的に支える妻の4年間にわたる営みを記録し、第96回『アカデミー賞』の「長編ドキュメンタリー部門」にノミネートを果たした映画『エターナルメモリー』が8月23日に公開される。
記憶を失っていくということは、記憶によって形成されていた自分自身を失っていくことを意味する。高齢男性の現実が認知症で崩れていく過程を映像で示した『ファーザー』(2020)や、認知症を患う妻と心臓病を抱える夫の悲痛な終焉を描いた『VORTEX ヴォルテックス』(2021)を観たとき、「病で記憶を失うこと=自己を失うこと」のあまりの恐ろしさに慄いたことを覚えている。
この『エターナルメモリー』はドキュメンタリー=実際に起こった事象を切り取った作品だ。それゆえに先に挙げた映画以上に生々しい現実が映し出されているのだろうと相応の覚悟で試写に臨んだのだが、観賞後に押し寄せてきた感情は恐怖や哀傷ではなく、心を柔らかな毛布で包み込まれたかのような感動だった。
もちろん記憶の喪失とともに生活にも支障をきたしていく夫婦の日々は間違いなく過酷で、苦しい場面もあるのだが、それでも映画全体に悲哀が漂わないのは、記憶を失いゆく絶望を上書きしてしまうほどの愛がどの瞬間にも溢れているからに他ならない。夫婦が互いに向ける愛情深い眼差しを眺めているうちに、気付けばカメラ=私たちが夫婦に向ける視線にも慈愛が宿っていることに気付く。観客も夫婦を好きにならずにはいられないのだ。
メガホンを取るのは、前作『83歳のやさしいスパイ』(2020)でその名を一躍世界に轟かせたマイテ・アルベルディ監督。ある老人ホームの虐待疑惑を解明するために入居者として潜入した男性の姿を追った前作も驚きに満ちた傑作であったが、アルベルディ監督はそんな前作にも劣らない魅力を放つ、愛と記憶についての物語を撮ることに成功した。
『エターナルメモリー』の被写体夫婦は、共に製作国であるチリの有名人。アルツハイマーを患う夫アウグスト・ゴンゴラは著名なジャーナリストであり、彼を支える妻のパウリナ・ウルティアも国民的女優かつチリ初の文化大臣として知られている。1973年にクーデターで社会主義政権が崩壊し、1990年に民主主義が回復するまで軍事独裁政権が続いた激動のチリをこの2人は果敢に生き抜いてきた。本作はそんな夫婦の撮影当時の営みを映すとともに、ホームビデオや軍事政権時代のチリのアーカイブ映像も交えながら、2人がこれまで歩んできた足跡を辿っていく。
物語はベッドで横たわるアウグストと、彼に呼びかけるパウリナの姿から始まる。パウリナはアウグストに、お互いが何者かをまるで『50回目のファーストキス』のワンシーンのように説明していく。2人の関係性のこと、今いるのは2人の家であること、子供や兄弟のことなどがパウリナによって語られていくが、アウグストの記憶は混濁しているようだ。一字一句に新鮮な驚きを見せるアウグストに苛立つでも悲しむでもなく、ただただ愛おしそうに語りかけるパウリナ。一方のアウグストも記憶がないことに狼狽することなく「(僕のことを)何でも知ってるね」とパウリナの笑いを誘う。パウリナが撮影したその映像はピントが合っておらずぼやけているが、そこには2人の深い繋がりが何よりも鮮明に映し出されている。
その後、カメラが捉えていくさまざまな瞬間の夫婦の姿は豊かそのものだ。美しい自然に囲まれた家で生活する夫婦は、散歩道やベランダから日々の移ろいを眺めながら丁寧に暮らしを編んでいく。パウリナは仕事場にもアウグストを連れていくが、そのことを辛く感じる素振りや恥じる様子は一切ない。むしろ2人でいられることが嬉しくて仕方がないようにも見えるほど。夫婦が会話するシーンで、時にカメラは2人の姿を別々に撮る。画面に映らない他者に向けられた慈愛に満ちた表情と眼差しが、交わす言葉よりも雄弁に愛や幸福を物語っているのだから面白い。
しかし無常にもアウグストの病状は悪化していく。写真やガラスに映る自分の姿を自分だと認識できなくなり、やがて支離滅裂な言動をするように。目の前にいる妻が分からず「ひとりぼっちだ」と泣き出すアウグストを見つめるパウリナの顔はあまりに悲痛だ。観賞後に感じたのは恐怖ではなかったと上述したが、アウグストが自己を失い孤独に蝕まれていく姿は本当に恐ろしかった。カメラは夫婦の穏やかで美しい瞬間のみならず、アルツハイマー患者やその家族に訪れる苦悩や焦燥も包み隠すことなく捉えていく。赤裸々に映し出されるアウグストの病状を見ていると撮影の同意を得たのか不安になるが、もちろんそこはクリアしている。何ならこの映画を制作するようにパウリナを説得したのはアウグストだというのだから驚きだ。記録することの重要性を発信してきたジャーナリストの矜持なのだろう。
印象的なシーンがある。夫婦がバルコニーで夕陽を眺めている時に、パウリナがアウグストに「あなたの家は好き?」と尋ねる。すると「“僕”ではなく”僕たち”の家だ。なぜそんな言い方を?」と少しムスッとした様子で言い返すのだ。アウグストにとって、すべてを分かち合ってきたパウリナは自分よりも愛しい存在であり、彼女の存在を除外してしまうことはパウリナ自身の発言であっても許せなかったのだ。同じくパウリナも自分の身体より大切そうにアウグストを支え続ける。その関係に損得や見返りなどは微塵も介在しない。
アウグストとパウリナは互いの存在を噛み締めるかのように相手の言葉を繰り返す。この世に存在するどんな言葉よりも愛おしげに相手の名前を呼ぶ。自分の輪郭を確かめるかのように相手の身体に触れる。なんて愛おしい2人なのだろう。そのあまりに純真な愛の輝きが大粒の涙を誘う。本作を「おひとり様映画」に選んだ理由は単純で、実際に筆者が号泣して顔面が水浸しになってしまったから。真っ赤な目を見られないため、そして柔らかな感動をじんわり咀嚼するためにも、アウグストとパウリナの愛の記録はひとりで見届けることをお勧めしたい。
映画館を出た後におすすめの飲食店
TEL:03-3353-5888
1988年、奈良県生まれのライター。主に映画の批評記事やインタビューを執筆しており、劇場プログラムやCINRA、月刊MOEなど様々な媒体に寄稿。旅行や音楽コラムも執筆するほか、トークイベントやJ-WAVE「PEOPLE’S ROASTERY」に出演するなど活動は多岐にわたる。
公開情報
8月23日(金)、新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか
全国公開
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text_ISO edit_Kei Kawaura