「自殺とは、他殺である」|河合優実主演・映画『あんのこと』を通じて戸田真琴さんが感じた、実在の人物を描くことの怖さと希望の光 CULTURE 2024.05.30

『SRサイタマノラッパー』シリーズや『AI崩壊』の入江悠監督による映画『あんのこと』は、2020年の日本で現実に起きた事件をモチーフにしている。杏役を務めたのは、TBSドラマ『不適切にもほどがある!』でも熱演が話題となった河合優実。脇を固めるのは、佐藤二朗と稲垣吾郎と豪華布陣だ。今回、自身も映画監督として活動する文筆家の戸田真琴さんに本作のレビューをお願いした。

事実を、そのままに見据えること

2024年、新型コロナウイルスのパンデミック発生から4年の月日が経ち、あらゆることが元通りになってきたと捉えている人も少なくない。しかし、それと同時に、名付けようのない漠然とした喪失感が、未だあらゆる場所に残されているとも感じる。我々は、コロナ禍から本当に脱出することができたのだろうか? いや、仮に”元通り“の暮らしが戻ってこようと、あの期間に失ったありとあらゆるものたちを取り戻せてなどいないし、傷はまだ癒えていない。

©2023『あんのこと』製作委員会
©2023『あんのこと』製作委員会

世界情勢は悪化の一途を辿り、歴史の教科書で見た信じがたい惨事とそう変わりない、あるいはそれを超える大きな傷が私たちの生きる時代にぱっくりと開いて血を流している。私たちは、一体どこへ向かう列車に乗っているのだろう。どうすれば、もう誰も傷つかなくて済むだろう?そんな純情さを空に浮かべてみても、実際に誰が何をして、どんなふうに傷ついて、どんなふうに今日も絶命していったのか、その重すぎる事実から目を逸らす術ばかり教わってきた未熟な自分がいるだけだ。

詳細を調べる気力も体力も残らないほど働いて、いざ現実を見つめようと襟を正してみても、想像するための手がかりさえ持っていない自分の空虚さを知るばかりで、ほんの少しの甘えで、今日も現実逃避に耽る。

健康で未来があり、今もこうして文章を書いたり、読んだりできている我々でさえ、あまりのよるべなさに震えるなか、それでもどんなものを手繰り寄せれば生きていけるだろう。私たちが見るべき作品がひとつ、ここにある。それは、実在したひとりの女性の人生から着想を得てつくられた『あんのこと』だ。

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この作品は、売春、虐待、薬物中毒、PTSD、そして新型コロナウイルスによる断絶、様々な問題が苛烈にひとりの少女を襲い続ける様を描く深刻な社会派映画である。と同時に、人と人との繋がりによって差し込む光について真摯に肯定しようとする美しい映画だった。

杏はたしかに生きていた

シャブ中で“ウリ”の常習犯である杏が、客らしき男性から事前に代金をもぎ取ろうとするシーンから物語は始まる。薬物中毒の発作で昏倒した男性を尻目に、ホテルからの逃亡を図るも叶わなかった杏は警察に捕まり、多々羅という刑事と出会う。つかみどころがなく得体が知れない、だけれど杏にもわかるよう手を差し伸べる多々羅との交流によって、杏は徐々に自分を取り戻すきっかけを手繰り寄せていく。

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私たちは、常に変動し続ける時代や価値観によって善悪も安全性や人生の持続可能性さえも振り回されるとても弱い生き物である。親も周囲の人々も、国も行政も、労働環境も街も、自分自身でさえも、たしかな正しさなど持ち合わせてはいない。あるのは、それぞれが掲げる「正しさ」と名のついた不安定な価値観であって、それが真に誰にとっても正しさとして機能する万能なものというわけではない。

誰かにとっては乗り越えられることも、別の誰かにとっては、とりかえしのつかない選択をする最後のひと押しになってしまうこともある。今あなたが「少し不便だけどこのくらいどうってことない」と乗り越えたハードルが、誰かの命をうばったかもしれない可能性について思いを巡らす必要があるということだ。

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本作の制作までに監督の入江悠は、コロナ禍で2人の友人を亡くしたとインタビューで答えている。生きながらえている自分と越えられなかった人たちの間にあるものについて、監督とスタッフ陣、そして主演を務めた河合優実が霊力にも近い精神力を尽くして探し求めたのだということが、映画の持つ張り詰めた空気、隙のない作り込み、そして随所に映り込んでしまう美と祈りによって現れている。

わたしにとっては、少なくとも

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これまで、「社会派ドラマ」という名目でどれだけの実在の人々が物語の中に組み込まれ、観客の興奮によってその尊厳を消費されてきただろう。本来、実際の事件をモティーフに物語をつくることは負の面がとても大きいものである。もちろん話題性もあるし、事件を風化させない、事実に思いを馳せてもらうための社会的意義もあるだろう。

しかし、その内容がどんなに真実と遠ざかってしまっても、死者は訂正やクレームが言えない。その事実一つで、実際の事件をモティーフとして扱うことに、まず生者の我々は遠慮するべきなのだ。

また、被害者や被害者遺族、そのまわりの人々が現在進行形で生きている社会の中で、その事件をもとにした物語で生み出された収入はどこへいくべきなのだろうという、未だ答えの見つからないジレンマも残されている。

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事件、事故、もっと大きな規模で言えばカタストロフの中を我々は生き、しばしば創作の種にしてきた。起きてしまった何かについて、検証や考察、対話や吐露、ときには芸術作品として、あらゆる方法を駆使して昇華していくのは自然なことだが、決してその元になった悲劇を「あってよかった」などと読み取るべきではない。しかし、そこを逆転させてしまう人もいる。悲劇によって亡くなった人に対して、「大切なことを教えてくれた」などと言っているのを聞くことも、最悪なことに少なくはない。私たちは普段、どれほどニュースの中の「死亡1名」という文字に、興奮も見下しもなく、ただ正面から本気で向き合っているのだろうか。

『あんのこと』を信用できる点は、この映画が描くべきことを一点に絞って、決してずらさないその姿勢だ。それは、「わたしにとっては、少なくとも」という個人的視点の強固さである。この映画は、あらゆる「私」の尊厳を、強く、明確に保護しようとしている。例えば、物語中盤でその人間性を疑われることになる多々羅だが、作品内で善悪のジャッジは下されない。その姿勢は、杏のモティーフになった、実在した女性に対してもっとも強固に向けられている。

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悲しいことに、あまりにも身近にありふれているにもかかわらず、しかし、いまだセンセーショナルな扱いを受ける売春やDV、薬物中毒、自殺といった事柄について、必要最小限に、ファンタジーや制作サイドの願望を織り交ぜないよう留意しながら撮られているのがわかる。

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この作品は、特定の結論や思想に誘導させるという手癖を、おそらく意識的に避けている。実在した“彼女”の尊厳を守りながら、「被害者」としての側面よりも彼女が「生きていた」という事実の持つ光の面を作品に残そうとしたのだろう。

死者と生者が混じりあい

亡くなった人は、フィクションをもってしても、決して完全に再生することはできない。死とは、その存在のすべてを読み解くためのチャンスや手掛かりを永遠に失うことである。しかし、“かつて、たしかに存在していた者”は、いまもこの世界に混ざって、残っている。そうした姿をできるだけリアルに再現するべく、監督はもとより主演の河合優実も担当記者に取材を行い、彼女を想像し続けることで「杏」は立ち上がってくる。

香川杏はもちろん仮名であり、新聞記事に載っていた彼女そのものでは決してないが、彼女はそこに混ざっている。そして、映画という形にパッケージングされる過程で積み重なっていった祈りが加わり、鑑賞者に彼女が見た世界を想起させるのだ。

あらゆる演出、カット割、演技、世界観の作り込み、差し込む光、捉え方、作品の隅々から「どうかこの映画の中でだけは、祈られていてください」という、亡くなってしまった彼女には届かないとわかっていながら祈らずにはいられない、切なる意思が伝わってくる。今もこうして生きている私たちの、その意思こそが地上を照らす光なのだ。生きてさえいれば、また光を見る日がやってくる。生きている限り、その可能性がまったくのゼロにはならない。そのことが鑑賞者たちへ伝わってしまうように、私もほんの少しだけこの映画に便乗して、祈ることにする。

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他者への想像力を持たない人に、ほんとうの祈りは不可能だ。祈りとは、ほんの少しの想像と強い意思によってようやく成立する。優しさとはもちろん想像力のことだが、想像する能力とは、生来の才能のみによるものだろうか? 否、何を見て、聞いて、何を真剣に考え、どういう思考を培ってきたかによって、やがておおきく変わっていく。人は、進化し続けることができると信じている。今日より明日、もう少しだけ、強い祈りを持つことができる。経験が染み込んで、明日のあなたを今よりも少しだけ優しくする。人を愛せる人に近づいていくことができる。

自殺とは、他殺である。ありとあらゆるものごとや人々が絡み合った結果、殺されたのだ。その事実を自殺と呼んでいるだけだ。殺人の罪は、散らばっても散らばっても、途方もなく重たい。シンプルに裁くことが不可能になるほどに、複雑な手際によって実行された、他殺であることは確かなことなのだ。

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私たちは、他者を知ることで少しだけその人の人生を生きられる。ほかの人生の質感を知り、どんな世界を見ているのかを想像する。同じように、映画を見れば登場人物の人生を少しだけ生きることもできる。生きる、生きる、生きる。死んでしまった人の人生も少しだけ生きる。たとえ、完全ではなくとも。さまざまな生が、今日もあなたに混ざっていく。想像する手がかりを集める。この先、ニュースの「1名死亡」の文字は、あなたに一体何を見せるだろう。

Information

あんのこと

6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開

HP:https://annokoto.jp

配給:キノフィルムズ
©2023『あんのこと』製作委員会

edit_Satoru Kanai

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