映画『エドワード・ヤンの恋愛時代』を、柴田聡子さんと吉開菜央さんはどう観た?90年代の台北で生きる若者たちを描く
台北で生きる若者たちの二日半を描いた1994年の映画『エドワード・ヤンの恋愛時代』。大都市の中で目的を見失いつつある登場人物たちが自らの求めるものを探してもがく様子を映した同作は、昨年の「ヴェネチア映画祭」で4K版がワールドプレミアされるなど、今も世界中の映画ファンから注目を集めています。発表から約30年の時を経てもなお人々を惹きつけるこの青春群像劇の魅力は、一体どこにあるのでしょうか。表現者であり学生時代の同級生でもある、柴田聡子さんと吉開菜央さんにお話をうかがいました。約1時間半、ノンストップで繰り広げられた濃密なおしゃべりの一部をどうぞお楽しみください。
ふたりは、台湾の巨匠エドワード・ヤン監督作をどう観た?
――おふたりはもともと、東京藝大の大学院時代からのご友人なんですよね。
柴田:そうなんです。でも、吉開ちゃんとは卒業してからの方が関係が濃い気がします。大学院の時はみんなそれぞれに自分の作品をつくっていたし、「みんなで一緒に」みたいなことがあまりなかったよね。
吉開:確かに。たまにクロスフェードして火花散る、って感じだったね。
柴田:二人とも思いきりがいいからか、パフォーマーとして借り出されることが多くて。
吉開:うんうん。私は柴っちゃんの卒業制作にも出演したし!
柴田:本当〜にありがとうございました。
――そんなおふたりに今回は『恋愛時代』についてのお話をうかがっていければと思うのですが、エドワード・ヤン監督の映画はこれまでご覧になっていましたか?
吉開:私は『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991年)の4K版が渋谷のイメージフォーラムで上映されていた時に観に行きました。満席の会場が、ものすごい熱気に包まれていたのを覚えています。
――それまで観られる手段がかなり限られていた約4時間の傑作が、ついに劇場公開されるということで話題になっていましたよね。2007年に59歳の若さで亡くなられたエドワード・ヤン監督ご自身も、どこか伝説的な存在として認知されている印象があります。
柴田:私はこれまで、監督の名前は知っていても作品を観たことがなかったので、今回のお話をいただいてからTSUTAYAに行って『牯嶺街少年殺人事件』と『台北ストーリー』(1985年)を観てみたんです。そこでまずは『牯嶺街』の後に撮られたのが今回の『恋愛時代』なんだということに驚いて。
吉開:うんうん、結構印象が違ったよね。『牯嶺街』はどこか圧倒される感じがあるけど、『恋愛時代』はすごく楽しく観られた。なんなら週末にセロリとイカの炒めものでも作って、晩酌しながら観たいような(笑)。
柴田:最高じゃ〜ん。確かに、色味とか人の感じがすごくアッパーで、楽しい雰囲気があった。
――実際に蓋をあけてみると、いわゆる「巨匠の作品」と身構えずに観進められる感じがしますよね。
吉開:うんうん。特に前半には、喜劇感すら感じて。
柴田:時代のイケイケ具合も関係しているのかもね。
映画の舞台は、急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北
吉開:台湾にもそういうバブリーな時代があったんだっていうのは、ちょっと驚きでした。
柴田:登場人物がローラーブレードに乗っていたり、めっちゃ高いビルの上にいたり、ちょっと変な風景も多かったしね。地に足がついてないというか。そういうストレンジな雰囲気があった時代だったのかも。
ブルースと怒り、フラットな関係性。描かれる人物の魅力
――メインビジュアルにも映っているモーリーとチチは、力強い眼差しや主体的な態度も印象的なキャラクターです。おふたりはこの映画の女性の描き方について、何か感じられた部分はありましたか?
柴田:なんというか、本能的に嫌な感じが一切なかったですね。中には「語りたいこと」が透けて見えるような作品もあると思うんですけど。
吉開:女の人をこう見せたい!みたいなね。
柴田:そうそう。それは監督の性別を問わずにあると思うんです。でも、『恋愛時代』にはそれを感じなくて。
吉開:女性同士が励まし合う場面も、型にハマっていない感じがしたよね。
柴田:「これが最高でしょ?」みたいな描き方じゃないのがいいのかも。全部の関係が割とフラットっていうか。
吉開:でもちょっとしたディティールに、テンションが上がる描写がちょこちょこ混じっていて。
柴田:四角いティッシュとタバコとシャネルを持っている叔母さんの感じとかね。丁寧だなあと思った。登場人物それぞれのブルースがある感じ。
――自立していそうなキャラクターに弱さが見え隠れしたり、意地悪そうなキャラクターにも愛らしい一面があったり、性別や年齢を問わず、人物の描き方に深みがありましたよね。
吉開:登場人物たちが喧嘩するとき、お互いのことをちょっと傷けるぐらいまで怒った後で「ごめんね」「言いすぎたね」と謝るのも印象的でした。
柴田:言い合った後に撫でるとかね。ああいうフォローがないと、やっぱり喧嘩できないよ。
吉開:みんなちゃんと怒るのは気持ちがよかったな。我慢して溜め込む、みたいなことじゃなかったから。
柴田:みんなどこか子どもっぽいというか、大人になる途中みたいな感じなんだよね。
――この映画はもともと「独立時代(獨立時代)」という原題だったようです。
柴田:それも気になっていました!本当に「それぞれの独立宣言」みたいな映画だったから、なんで「恋愛時代」になったんだろうって。
吉開:確かに。観始める前と観終えた後でタイトルに対しての印象が全然違ったかも。私はそんなに恋愛映画を観る方じゃないから、最初はこのタイトルに少し構えてた。
柴田:劇中に「恋愛を手段として捉える」みたいなセリフがあったけど、この映画も、恋愛そのものをやっているというより、恋愛を通して何かを経験している、みたいな感じなのかもしれないよね。
恋愛ってコミュニケーションとしてすごくハードだから、本来は長い時間をかけて学ぶはずのことが、一気に押し寄せてくるようなことがあるじゃないですか。だから本人たちは恋愛をしていると思っていても、実際は成長しようとしてぶつかり合っているだけだったりするというか……。
吉開:友達同士でも、ふたりきりでずっと一緒にいるとコミュニケーションがハードになっていく時があるよね。旅行をした時とか。それがもし恋人同士で、身体的にも関わっていくということになると、もっと事態が複雑化していくのかもと思った。
柴田:身体の接触が密だと、コミュニケーションが密だって錯覚するよね。『恋愛時代』の中だと、モーリーが性別問わず、危ういくらいの身体的な接触をするじゃないですか。
吉開:みんな、恋人に限らずハードなコミュニケーションをしていた感じがする。
――そうした過程を経て、一人ひとりが少しずつ自分の輪郭を確かめていくというか。
吉開:それぞれの形に尖っていく感じがありましたね。「彫刻されていってるわ〜」って。
柴田:本当にそんな感じだった。
――もはや「ハードコミュニケーション」という題があってもおかしくないような(笑)。
吉開:『ハードコミュニケーション〜独立時代〜』!
柴田:サスペンス・アクション感がすごい(笑)。
さりげない技術から、映画的喜びが満ち溢れる
柴田:あとは全編を通して、画が最高だったよね。「バッチリだぜ!」って。
吉開:思った!
柴田:「カメラ使うって最高!」って思っちゃった。すごい単純だけど、やっぱり「映画最高」って感じるのってカメラが動く時なんだよね。
吉開:やって来た車がちょうど良い位置に止まるとか、一つひとつの撮影が流れるようだったよね。
柴田:そうそう!
吉開:でも、一見するとそういうすごさに気づかない。スッと入ってくるというか。技術ってそういうことなんだなと思う。
柴田:凄さが目立ってこないから、お話のことにちゃんと心を砕けるんだよね。それって本当に尊いことだと思う。あとは、暗いシーンも印象的だった。失われつつあるじゃないですか。暗いって。
――街の中にいると、ネオンに照らされますもんね。
柴田:そうそう。映画って、暗いとカメラで映せないことがかなりネックだと思うんです。像を結べないシーンを撮るって、勇気がいることだと思うから。
吉開:特にフィルムだと映像がざらついてしまったりして、かなり不利だと思う。
柴田:でも『恋愛時代』を観ていたら、暗いシーンに時間を割くことがこの作品にとって重要なことなんだって伝わってくる感じがして、それが嬉しかったな。
吉開:それをちゃんと実現させたスタッフの人たちもすごいよね。しかも映画全体の印象として、心が暗くなるものにはなっていない。
柴田:本当に!映画的喜びに溢れた、すごく面白い映画でした。