児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#10「はじける世界のくす玉」――フランス・ポワシーのサヴォア邸へ
約10年前の冬のパリ、20とか21歳とか、それくらいのとき。ちょうどはじめてメジャーレーベルの曲に歌詞が採用されて、これからどうなるんだろうか、別にどうにもならないのだろうか、と思いあぐねながら、海外経験豊富な母の後ろにくっついてブーランジェリーでパンを買っていた。熟年離婚直前だった両親が当時勤めていた会社の福利厚生制度でパリ旅行に行くというので、それについていったのだった。
エクスキューズモア、と後ろにいる女性から話しかけられる。私には大した語学力がなかった。試験のリスニング教材のはっきりした発音でやっとふんわりと内容を掴めるかどうかだったのに、フランス訛りの英語なんてもってのほか。ましてフランス語なんて。会計を済ませた母が振り返って「ミィトロ?」と首をかしげた。その瞬間、きゅうに女性の口から出た音が「地下鉄に行くにはどうしたら(How can I get to the Metro?)」という意味をもって、その言葉じたいが玉になって私の頭に落ちてきて、パッカーンと開けた感じがして、あわてて、あっち、あああの、向かいの道(Over there, a,a,another,,,opposite side!)、と手当たり次第に頭の中にある単語を女性に差し出した。「本当だ、メルシー!」と女性は微笑んで店を出た。
その瞬間がなにか、一気に私の世界を覆っていたあらゆる不安が、かろやかにはじける感覚があった。先のことは見通せなくても、いつかこうして「聞こえる」ときが来るんだと思った。さすがにこの仕事が十年以上続けられるとは想像していなかったけれど。

2025年11月。貯めつづけたクレジットカードのポイントが失効しないうちに、ホテル代をすべてポイントで支払うという、あまりにもかわいげのない現代旅ハックをして、パリとロンドンに旅行してきた。
フランスではどうしても、郊外のポワシーにあるサヴォア邸に行きたかった。この5年の間に近代建築にハマって、東京都内や横浜の山手方面、家族の縁がある京都を歩くのがたのしくてたまらなくなり、そうするとやはりというか、コルビュジエを避けて通ることはできない。アアルトのルイ・カレ邸もあこがれなのだが、今回は市内から電車とバスで行けるサヴォア邸にねらいを定めることにした。

まずはサン・ラザール駅からRER A線でポワシー駅まで向かう。日本はほとんど路線や方向が固定されているけれど、ヨーロッパの大きい駅では直前に電光掲示板にホームが掲載されるしくみなので、しばらく掲示板の下でポワシー行きの電車のホームが決まるまで待つことにする。
待つこと15分ほどしてホームが決まり、無事電車に乗り込む。平日朝なので電車は空いていた。約20分ほど車窓に映るサンジェルマンの森を眺めていると、郊外のポワシー駅に到着。そこからサヴォア邸前に停まるバスに乗る……が、まちがえて反対方面のバスに乗ってしまう。
おそるおそる、目の前にいたベビーカーを押しているヒジャブを被った女性に、すみません、サヴォア邸に行きたいんですけど、あの、フランス語わからなくて、と話しかけた。女性は一瞬少し驚いた表情をして、すぐに笑顔で扉を指差し「逆方面(Opposite)」と教えてくれた。礼を言って、すぐに病院前のバス停で降りて反対方面のバスに乗り換える。

そうしてなんとかサヴォア邸に辿り着く。素朴な門を歩き進めると、乾いた冬の日の光の中にピーンと張った直線の邸宅があらわれる。ひぇ……。ネックウォーマーの中で声が漏れる。パリの喧騒が遠い思い出のようにしずか。だけど私の皮膚の裏では破裂しそうなくらい心音でいっぱいで、温度差でおかしくなりそうになりながらカメラのシャッターを切り続けた。


邸宅敷地内は私を含め5~6人ほどのひとがいた。人種・国籍も多様で、入り口すぐにある来訪者ノートには、その日は韓国から来たひととブラジルから来たひとが名前を書き残していた。先週には日本人が二組、エジプトから来たひともいる。知らない日本人の〈ついに来た!来れた!サヴォア邸!〉というメモをなぞる。他のページに書かれている読めない文字も、もしかしたらこんなふうに来たぞ!と書かれているのだろうか。みんな「やっと来た!」とこみあげてくる気持ちを抱えてこのノートにペンを走らせたのだろうか。ここに来たひとみんなと手を繋ぎたくなる。私もそこに名前を書き残した。
サヴォア邸は1931年にル・コルビュジエが設計した邸宅で、2016年には「ル・コルビュジエの建築作品郡」の一部として世界遺産にも登録された、20世紀の傑作建築である。ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園という近代建築の5原則を体現しており、1階から屋上までスロープで行けて、日光がもっとも美しく見える家のつくりをしている。頭の中に〈ここまで来れた!〉に〈しかも晴れた!〉を書き足すイメージをしながら、邸宅をめぐる。どれだけがんばってここまで来ても、天気ばかりは運。


旅の主目的のひとつが終わってしまいそうで、一時間半ちかく邸宅の中でまったりしていたのだが、日の光がやんわりと落ちてきて、昼の終わりが始まるような空気がしはじめた。お腹も減ってきた。ポワシー駅周辺は私でも入れそうなお店が少なそうだったのと、通勤通学ラッシュ時間を避けるために泣く泣く帰ることにする。スーベニアショップで英語のコルビュジエの小さな本を買って、A線の中でそれを読みながらサン・ラザール駅へ戻った。


パリ市内に戻り、3区にあるお茶のお店「Kodama」ティケトンヌ店に行った。Googleマップで偶然見つけたところだった。自分と同じ名前のお店がパリにあるなんてびっくり。寿司や過労死みたいな、そこまでポピュラーな日本語ではないはず……。
この後にレストランを予約していたので、おみやげとしてお茶っ葉をいくつか店員に相談して買った。
「私、実はファミリーネームがコダマというんです」
「それはそれは、おかえりなさい、コダマさん。日本人ですか?」
「はい、日本人。東京から」
「僕、今年の5月に東京行きましたよ。パリは何度目?」
「2回目。10年前、学生のときに来たことがあって」
「なんだ。やっぱり、おかえり!」
会話をしながら、店員は新しいルイボスティーの試供品と、あとブラックティーは好き? じゃあこれもあげる、ホリデーフレーバーだよ、と個包装のティーバックをどんどんおまけして紙袋に詰めてくれる。
「あの、どうしてこの店名なんですか? コダマって、少なくないけれど、よくある名前というわけではないから」

店員は「日本のアニメ映画の、プリンセス・モノノケが由来」と笑った。高価なiPhoneのレンズみたいな顔をした、あのコダマが由来だそうだ。
「私もジブリ大好き、いいよね!」私は『千と千尋の神隠し』や『かぐや姫の物語』も好き……と話そうとしたが、『千と千尋の神隠し』のフランス語タイトル名がわからなくて、そこで会話を止め、会計を済ませて「親切にしてくれて本当にありがとう」と挨拶した。
帰りのメトロの中で、ChatGPTにフランス語タイトルを訊く。Le Voyage de ChihiroとLe Conte de la princesse Kaguya。『かぐや姫』はそのままだが、『千と千尋』はフランス語訳では成長譚としての「旅」が強調されているらしい。日本だと「神隠し」の怪異の部分も目立つけれど、フランス語版はパシッとシンプルなタイトルで、それはそれでかっこいい。

パリに来る前に、ラジオの仕事で『東海道中膝栗毛』について語る仕事があった。日本において観光旅行は天下泰平の江戸時代から始まったもので、移動の自由がない当時に宗教的行事という名目で許された、文字通り人生に一度の大イベントだった。当時の江戸っ子はけっこう金銭面でも無茶しながら旅をしたらしい。
移動の自由がなければ、サヴォア邸にあるノートにある文字に思いを馳せることも、そこにあった落ち葉に触れることもなく、日光を浴びることがなかった。お茶専門店で、ファミリーネームを名乗ることがなかった。
あのとき私のもとに落ちてきた玉は、世界のくす玉。旅に出るたび、紙吹雪を散らしてくれる。

82 Rue de Villiers, 78300 Poissy, France
「Poissy」駅からバスで10分。「Villa Savoye」で下車。
30 Rue Tiquetonne, 75002 Paris, France
パリ・メトロ4号線「Etienne Marce」駅より徒歩3分。
アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。10/24に最新作『目立った傷や汚れなし』(河出書房新社)刊行予定。
Instagram:@amekokodama


















