児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#9「1000年前と40年前の街の記憶」――上野・東京国立博物館へ
HanakoWEB読者のみなさまは、映画『この世界の片隅に』、テレビアニメ『BLACK LAGOON』などで知られる片渕須直監督の新作『つるばみ色のなぎ子たち』が制作進行中であることをご存知でしょうか。情報自体は一年ほど前から解禁されており、2025年11月現在、YouTubeでパイロット映像も観ることができます。
これは決して宣伝や案件ではなく、単に私がこの作品の完成・公開を楽しみにしていて、この連載にかこつけてみなさんに布教をしているだけなんですが……パイロット版の開始数秒でも目頭が熱くなってくるほど美しい映像なのです。舞台は10世紀末の京都、枕草子を書いた清少納言が生きた時代の物語。ぜひ一度、騙されたと思って観てください。

布教活動はここまで。
実は11月に東京国立博物館の平成館大講堂で行われた『つるばみ色のなぎ子たち』制作資料展と、祝日に開催された片渕監督の講演会『清少納言がいた京都に行き、そこに立ちたい。』の抽選に当たったので、うきうきで上野の東博に出かけてきた。
無料公開されていた資料展では『つるばみ色の~』のキャラクター設定資料や『この世界の片隅に』の設定画も観ることができた。展示資料や復元された平安貴族の装束はもちろん撮影禁止だったが、太っ腹にも程がある内容に講演会が始まる前から胸がいっぱいになる。
講演会は片渕監督による公演と、東博の学芸企画部長である松嶋雅人さんとの対談の二部構成で、二時間のボリューミーな内容だったが、監督のもはや執念と呼べるほどの時代考証は息継ぎする間もないほど刺激的で、文字通りあっという間に時間が過ぎてしまった。

その講演会によると、清少納言が『枕草子』を書いていた時代はさまざまな疫病が蔓延していたと記録されており、平安時代という風雅な名前に反し、死が身近にある殺伐とした時代と捉えることもできるらしい。
日本最古の美術である国宝『源氏物語絵巻』ですら平安時代後期の12世紀に描かれたものとされている。これはつまり『枕草子』の時から100年近く経っており、当時の風俗の描写と解釈するにはちょっと時代が空きすぎているのだ。今の私たちの感覚に置き換えると、令和に生きる私たちが明治・大正期の暮らしを「こんなものだったのではないか」と事実以上にエモくレトロに描写しているようなもの。昨今の90~ゼロ年代レトロブームですらちょっと過剰さが目立つのだから、たしかに『源氏物語絵巻』から『枕草子』へ安易にイメージを繋げるのは危険だ。

ありがたいことに、私は近世文芸についての知識でメディアに声をかけてもらうことがある。基本的には近世の文化は宮廷文化に対するカウンターカルチャーであり、平安時代に代表される雅やかな古典作品のパロディから転がっていったものなのだ。しかし、その「雅」のイメージがそもそもより刹那的なものだったのなら?と思いを馳せると、『枕草子』の鑑賞もまた違ったものになってくる。
都や宮中でも伝染病が広がり、死が迫り来る閉じた生活のなかで、当時のバリキャリ女性が枕元でものを書く。そんな光景を想像すると、新型コロナ禍前後の日記やエッセイブームがどうしても頭に浮かび上がってくる。コロナ禍以降、低迷していた文芸誌の売上が上がり、文学フリマなどの即売会も規模が拡大したそうなのだ。ものを読んだり書いたりするひとが増えたのだ。
偶然だけど、私もコロナ禍がはじまってすぐに元担当編集者に声をかけてもらって、小説を書いて発表する機会に恵まれた。清少納言にみずからを重ねるのはさすがにおこがましいけれど、身の回りの小説家やライター、評論家など、ジャンルやプロアマ問わず、ひとりになってものを書くひとたちの顔やイメージが重なって、千年の時間が結ばれてゆく気がしてくる。
その一方で、『枕草子』の文面は当時の流行病に対してなにか諦めがついているように読めるところが、現代とはやはり大きくちがっていて何度読んでも興味深い。コロナ禍に残された文章やポストは、生き死にはもちろん、日常や社会生活が変えられてゆく恐怖に驚いていたり、それが何か仕組まれたものではないかと警戒していたりするものが目立った。この警戒心は現代で生きるうえで大切な感覚ではあるものの、同時に生き死にに関わることが私たちにとってすごく遠い存在だからこそ、敏感に反応してしまうという側面も否定できないはずだ。重なりつつもまったく世界観の違う彼女の暮らしに、ぼんやりと思いを馳せながら平成館を後にした。


しばらく公園をぶらぶらして、それから上野駅側へ出て「ギャラン」へ行く。昭和レトロ全面の店の前には数組の客が列を成していたが、けっこう回転が早くてすぐに店に入れた。
ギャランのすごいところは、いわゆる「映え」や集客のために作りこんだイマジナリーレトロ趣味ではなく、きょうびの飲食店にしてはめずらしくタバコがスパスパ吸える、気合い入りまくりの老舗喫茶店であるところだ。
こういった全席喫煙可能店は都の条例で20歳以下の入店が禁止されているので、本来ならお客さんの年齢層が上がってしかるべきなのだが、この少子高齢化の時代に(みんな成人しているとはいえ)ギャランの客層は妙に若いのだ。見渡すとだいたい20代から30代前半ほどに見える。

かくいう私も平成一桁生まれなのでリアルな昭和を知らないのだけど、高度経済成長~バブル期あたりの写真を見ると、都会にはやけに若者が多い印象をもっていた。へんな表現だけど、写真から若者独特のむっとした汗臭い感じが立ち込めてくるのだ。
このお店にいる客の身なりや使う言葉、よく見てみると喫煙者が多くないところはとても令和らしいのだけど、ふしぎと自分が生まれるすこし前、80年代の写真の空気を吸ったような気分になった。
小腹が空いてコーヒーといっしょに頼んだハニートーストが到着する。枕のような大きさに思わず目をみはる。周りのお客さんはクリームソーダや甘いコーヒーともにトーストやパフェをパクパク平らげていて、もうそろそろ私もこの店の客層から外れてしまうんだな……と目を細めて、窓の外、遠くを見つめてしまう。いやいやまだ私は若い、大人ぶるにはまだ早い!だなんて足掻きたくなるのは、私が平安貴族でも昭和の人間でもなく、平成生まれの現代人だからだろうか。

〒110-0005 東京都台東区上野6丁目14-4
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アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。10/24に最新作『目立った傷や汚れなし』(河出書房新社)刊行予定。
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