児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#8「贅沢という名の孤独」――クラシックコンサートを観に後楽園へ
自分の仕事を明かすと、ごくまれに「自分は音楽を聴いているときは歌詞じゃなくて曲を聴いているから、あなたの仕事についてはよくわからない」といった言説を繰り出されることがある。では劇判やインストバンド、またはクラシックに詳しいのかときくとそうでもなく、かといってポップス楽曲の裏で鳴っているメロや楽器について注目(注耳?)しているかというわけでもなさそう。音の塊としてフワッと楽しく聴いているよ、という意味であることが多いように感じる。自分に置き換えて考えてみても、作曲家に「私にとって歌詞のほうが大事なので曲のことは聴いていない」と堂々宣言するということ? それになんの意味があるのだろう……。
小言はさておき、私も根詰めて書き続けていると歌メロから離れて音の塊をフワッと浴びたいときがある。しかしどうしても歌詞や主旋律が気になってしまうので、逃げるように歌詞のないクラシック曲やインストバンドを聴く時期がある。とはいえクラシックを体系的に学んできたわけではなく、ピンポイントでいくつか大好きな曲があるという程度なので、ごくまれに大きなコンサートで聴きたい楽曲が演奏されるものが見つかればチケット応募して、当たれば観に行く、という野良の超ゆるクラシックリスナーである。

十月頭。前の月に抱えていた作詞の締切をなんとかすべて乗り切り、放心状態でぼーっと暗くなった窓の外を見やると、なんにもしたくないけれどなんかしたい気分になって、手持ち無沙汰にチケットサイトを眺めていると、文京シビックホールで文京アカデミー主催の定期クラシックコンサートの存在を知る。「昼クラシック」「夜クラシック」と昼夜それぞれの部で催されているらしく、へ~そんな企画あるんだ~とだらだらスマホの画面を撫でながらサイトを見ていると、その翌日にチェリストの笹沼樹とピアニストの實川風による第38回の夜クラシックチケットが僅少ではあるが売られているではないか。
でも、お高いんでしょう……と思いながらチケットをクリックすると、S席で3000円+手数料+税という、きょうびのコンサートにしては財布にやさしすぎるお値段が。作詞が続いて耳と気持ちを休めたい気分も高まっていたのですぐにチケットを購入。そのまま顔を洗い秋服に着替えて外へ繰り出した。支度をしているあいだ外では雨がザーザーに降っていたけれど、玄関を出たら急に止んで気温がぐっと下がり、蒸し涼しいとでもいうか、ふしぎな夜の手触りがした。

会場につくと座席は満員御礼で、さらにお客さんはみんな仕事や友達とのランチの帰りに気軽に来たような、気さくでかろやかな雰囲気が満ちている。
出演者の笹沼さんや實川さんが登場。夜クラシックのテーマ曲であるドビュッシーの「月の光」を二人で演奏されたあと、カジュアルなトークがはじまる。隣に座っている方がおもむろにでかいオペラグラスを取り出し、じっと二人を見つめはじめた。どうやらこのお二人はクラシックでは藤井風や常田大希(King Gnu/MILLENNIUM PARADE)のような愛され方をしているようだ。才能のあるビジュアルのいい同世代男性ミュージシャンへの対抗心だけで仕事をがんばっているといっても過言ではない自分は、ここにも倒すべき敵が二人……と急に闘争心に火がつく。
そんな倒すべき敵たち(すみません)は、次に演奏する、スペイン出身のチェリスト:カサドの「チェロとピアノのためのソナタ」について簡単に説明してくれる。この曲は1925年に書かれた作品で、演奏機会の少ない作品で、音源もあまり残っていないらしく二人でアレンジや練習に苦労したというエピソードを語られる。私はあんまりスペインやアルゼンチンの音楽に詳しくないので、生で聴けることに興奮するのと同時に、そんなレアな曲を私はきちんと受け止められるのか、と身構えてしまう。
けれどそれはまるきり杞憂で、楽曲の持つ力強いリズムやダイナミクス、そして敵ふたりのすばらしい演奏に圧倒され、あっというまに20分ほどの時間が通り過ぎてしまう。それからふたたびドビュッシーの「チェロとピアノのためのソナタ」が始まる。チェロってそんなに自由なんや!? と感動していると、休憩を挟んでその次に演奏された實川風さん自身が作曲された新曲「遊戯~チェロとピアノのためのダンス・ラプソディ~」でさらに度肝を抜かれる。實川さんは笹沼さんをどうしたいのだ、とツッコミと笑いがこみあげてくるような自由な楽曲で、私からすると敵が敵に偏愛をぶつけて暴れているので、愉快極まりない。楽器だから音が鳴るのではなく、音が鳴ればそれは楽器だといわんばかりの演奏に、素直に面食らう。
コンサート後半にさしかかり、グラナドス「スペイン舞曲」の演奏が始まる。グラナドスはスペインの民族主義的な作曲家だったので、民謡の要素が取り入れられた舞曲を聴いていると、行ったことのないはずのスペイン各地の風景が立ち上がる。
これはクラシックに限らないのだけど、知らない名曲を聴いているときほど、ちゃんと高揚しているのにぼんやりと思考が回り出す瞬間がある。そのとき書いているものだったり悩みだったり、いろんなことに対する言葉がつぎつぎ浮かんでくる。やったことないんだけど、瞑想やサウナのととのう感覚って、ああいうことなのだろうか。

最後はピアソラの「ル・グラン・タンゴ」。私は自分のヘビロテプレイリストに「リベルタンゴ」しか入れていないので、あらためてその力強さと裏にある哀愁と向き合って、心をぐっと掴み直される。ただでさえ放っておくと好きな曲ばかり繰り返し聞いてしまうし、作詞仕事が続くとデモのサイン波で鳴らされるメロディばかり聴いているから、こうしてたまにはコンサートに出かけて普段聴かない曲や音に出会い直すのもいいなぁと、じんわりと満たされた気持ちで拍手を送る。
本編が終了し、万雷の拍手が会場いっぱいに鳴る。途切れない拍手のあとに始まったアンコールでは、笹沼さんの友人でもある作曲家:パスカル・サヴァロが彼のために書き下ろしたという新曲「Tango Slide」が演奏される。コンサートのためにささっと作曲家が新曲を書き下ろしてくれるなんて、やはり、笹沼樹のような才能と独特の雰囲気を醸す同世代男性音楽家は私の人生の敵……。そんな敵(すみません)が演奏する曲はくやしいくらい胸が踊る楽曲だった。

いいコンサートに行ったあとは、遠回りして帰りたくなる。
後楽園から水道橋まで歩いて、以前友人に教えてもらった「ムンド不二」に行った。ここはインドカレーが名物らしいのだが、前回友人と行ったときはおしゃべりが盛り上がってカレーまでたどり着けなかったので、再カレーチャレンジも兼ねて飛び込む。ありがたいことにおひとり様のディナープレートがあったので(しかもS、M、Lサイズと、ヴィーガン対応あり)Mサイズと不二ソーダを注文する。

パンフレットをもう一度開きながら、演奏機会の少ないというカサドの「チェロとピアノのためのソナタ」を動画検索する。たしかにめぼしき動画が一、二つほどしかヒットせず、関連動画に他のカサド曲ばかりが出てくる。検索して出てこないもののほうが少ない時代だから、さっきまであんなにいろんな人が耳を委ねて聴き入っていた曲なのに、全然アーカイヴが残っていないことが不思議でたまらない。さっきまでの時間ってまぼろしだったんじゃないかな、とさみしくなりながら、一方で贅沢な気分にも浸っている。
でもきっと贅沢って本来はさみしいものだ。その構造上、ごく一部の人間しか味わえないのだから。
建前上とはいえ、現代になって階級差がなくなってから、豪華で贅沢なものもどんどん共有しやすくなったように思う。旅行や物品や、ていねいでこだわりのある暮らし。そういうアドバンテージはむしろ、他人に見せることで贅沢へ格上げされる。ラグジュアリーであればあるほど否応なしに拡散されやすくなる。そう思うと、今私が抱いているこの孤独感というか、美しい経験を誰とも共有できていなくて妙に心細くなっちゃう感覚って、現代ではめずらしいプリミティブな贅沢なのかな。
ぐるぐる頭の中で贅沢という言葉を手繰ったり結んだり解いたりしながら、誰ともシェアしないおひとりさま用のディナープレートMサイズを平らげた。

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アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。10/24に最新作『目立った傷や汚れなし』(河出書房新社)刊行予定。
Instagram:@amekokodama



















