児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#6「歌うべき歌は歌いたい歌」――カラオケ大会の応援で千歳烏山へ

児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#6「歌うべき歌は歌いたい歌」――カラオケ大会の応援で千歳烏山へ
ぶらり訪れた先で、何を食べ何を思う? 小説家・児玉雨子さんの新「街歩きエッセイ」
児玉雨子の「ひとくち分の街の記憶」#6「歌うべき歌は歌いたい歌」――カラオケ大会の応援で千歳烏山へ
TRAVEL 2025.09.03
作家・児玉雨子さんの街ブラエッセイ。今回は、世田谷区の千歳烏山で行われたカラオケ大会の観覧へ。そこで雨子さんが「目に焼き付けた」忘れたくない瞬間とは。

 みなさんは、カラオケは好きですか。私は、あんまり……。
 歌うこと自体は好きだし、作詞家という職業上、歌というものが文字通り私の生活の根幹にある。ただこの仕事をはじめてからは特に、カラオケに行くと自分の作詞曲を歌ってほしいとマイクを渡される場面も少なくない。だいたい、イントロ中に画面に表示されるクレジットを指さされ、印税いくら入るの?と訊かれ、採点でも高得点を期待される。そもそも私は歌手から作詞家になったタイプではなく歌が特に上手いわけでもないので、あれ……? と微妙な空気になる。

 めずらしい仕事だし、相手に悪気がないのも理解している。歌が流れる場所は、基本的にみんなお祭り状態だ。カラオケは日常にある最小単位のハレの場でもある。お祝い事の二次会やよほど体調がいいときだったならある程度のサービス精神も出てくるのだが、そうでないときはけっこうその空気がボディーブローのように後から効いて胃が痛くなってしまうので、私はヒトカラ派だ。

 一方で、ひとが気持ちよさそうに歌っている様子を見るのは好きでもあるから、マイクを握って離さないタイプのひととはカラオケを楽しめるし、私の友人はわりと歌いたがりが多いので、絶対に他人とカラオケに行かないわけでもない。
 そのなかに、カラオケの動画をインスタストーリーにアップしたり、カラオケ動画を送ってきてくれたりする年上の知り合いがいて、その方が地域の歌うまカラオケ大会の予選に出場するとのことで、お盆のある日、キンブレ片手に千歳烏山へと向かった。仕事以外で京王線や井の頭線に乗るのは、大学一、二年生のころ以来かもしれない。

 世田谷方面はなかなか行かない場所だし、ここ連日は仕事で家に引きこもっていたのでせっかくならと早めについて周辺を散策することにした。この日も当然のように三十度を超える猛暑日だったが、世田谷エリアや京王線沿線ののんびりした雰囲気のおかげで、わりと元気に周辺をぶらぶらすることができた。なかなか縁遠い場所だけど、ここらへんが生活拠点なのって素敵だなぁときょろきょろしながら歩いていると、かなり雰囲気のあるカフェを発見。朝食もまだだったので、吸い寄せられるように入る。

 カウンター席に通され、メニューを眺める。軽い夏バテで日中はお米は食べられないけれど、このあと知人の晴れ舞台を元気に応援したいので、お腹はしっかり満たしておきたい……。迷った末にピザトーストセットを注文し、Kindleアプリで読みかけの本を数ページほど読んでいると、すぐに到着。落ち着いた店内では、地元のひとと思われるひとり客が本や新聞を読みながらブランチをとったり、このお店をネットで調べてきたようすの二人組の客がすてき、すてきだね、来てよかったね、と頷き合いながら、店内を見回しながらクリームソーダを啜っていたりしている。

 ピザトーストは耳のカリカリとチーズがマッチしている。そういえば私は夏になるとよくピザトーストを食べているな……とふと思い出して、スマホのメモ帳に「夏、ピザトースト食べがち」とフリック入力する。でも、夏バテしているのだからチーズなんて重いものを選ぶのは矛盾していないか? 夏バテの要領がいまだに掴めない。

 時間が迫っていたので、お店を出て、集合場所へ向かう。会館の入り口がわからずあたりを見回していたら、同じように応援に駆けつけた友人が私を見つけて大きく手を振っていたので、彼のもとへ向かう。どうやら予選出場者たちと客の入り時間が同じらしく、入り口には衣裳を来たひとやその家族と見られるひとたちが溜まっている。

 係のひとに、応援の方々はこちらです、と客席に通される。前列のほうには審査員がすでに座っている。昨年までこの大会はAIカラオケ採点で順位を競っていたらしいが、今年は人間による総合的な採点も加味して順位を決めるらしい。そのため今日すぐに本戦出場が決まるわけではなく、厳正なる審査を経て後日通知が来るそうだ。令和七年にもなるとなんでもAI化ではなく、人間の目を逆に入れ直すという現象が起こる。 

 さて、衣裳に着替えた知人に何を歌うのかと訊くと「雨子には秘密だから」と顔にたくらみをたっぷり浮かべて言い残し、そのまま出場者控え室へ颯爽と向かって行く。それを訊いた別の友人が、即座に「Juice=Juiceの『イジワルしないで抱きしめてよ』ですよ」と耳打ちする。ばれてんのかい。なぜ私には伏せておくのだろう――などといった細かいつっこみもありつつ、それ以上に、なぜその曲を!?という驚きが勝る。

 カラオケ番組でも歌うま大会でも、こういったピッチの正確さを競うときの選曲は、バラードやミドルテンポの曲か、五線譜に白玉の多い曲とでも言おうか、すくなくともリズムを細かく取らないとキープしづらい曲は避けられる傾向にあるだろう。「イジ抱き」はかっこよくて個人的にも大好きな曲なのだが、その観点では決して簡単な曲ではない。そもそもグループの歌はひとりで歌うにはブレスの位置がむずかしいので、カラオケ大会には向かない。もしかしたら、そう言ってるけど別の曲歌うんじゃないんですかね、と笑って開始を待つ。

 大会がはじまった。
 やはり、参加者の選曲はメロディが伸びやかな歌や演歌が中心だ。確実に点を取りに行っており、カラオケの採点もほとんど85点以上が続き、決して低くない水準である。出場者の着ている服の色に合わせて、隣に座った友人とキンブレを光らせて知らない人を応援する。それだけでももう楽しい。
 そして、いよいよ知人の出番。司会の方が「楽曲は、Juice=Juiceの『イジワルしないで抱きしめてよ』!」と曲コールをし、あの血液が沸騰しそうなくらい気持ちのいいエレピのイントロが鳴る。まじだ……まじで「イジ抱き」で勝負に出ている。キンブレを振る手が心配で止まってしまう。

 しかし知人はBメロの被せで流してもよさそうな「ねぇねぇ」の部分も含め、ひとりで全パートをフルコーラスで(しかも手のフリ付きで)歌いきった。もちろん「乙女」は「ウォッとっめ」という発音。カラオケのピッチ通りというわけではなかったが、声量がかなり上がっていて、おもわず「腹からの声!」と、フィジークの大会のようなガヤを小声で入れてしまう。点数は、確か86~87点ほど。今日中に順位はでないので大会はここで終了だが、知人はすがすがしい表情で舞台を降りる。AI判定では一位ではなかったが、人間による総合的判断がされるなら本戦出場の可能性も見える結果だ。

 ひとまずひと段落して、隣の友人と最後は何色のキンブレを光らせようかと笑っていたら、その次の出場者として、おそらく未就学の小さな男の子が、緊張気味にマイクを握って舞台に上がった。そのガチガチぶりに微笑ましく思っていると、イントロとともに司会者が曲振りをする。
「それでは、本日最後の出場者です。X JAPANの『Rusty Nail』!」

 会場がどよめき、イントロが始まる。少年は直立不動でリズムも取っていないが、ひとたび歌い出すと声が通っていてうまい。隣に座った友人と顔を見合わせようと「ねぇ、これ動画撮影禁止だよ! 焼き付けよう、目に!」と言われ、はっとして舞台に視線を戻し、コンタクトがシパシパになるまでまばたきを減らし、キンブレを振り乱す。気づいたらオーディエンスのボルテージも最高潮。完全に少年の独擅場。見せつけられる、その才能を。テンションが上がりすぎてAIの点数は忘れてしまったが、すべてが彼のRusty Nailに塗り替えられてしまった。

 大会終了後、出演した知人と集まった友人でファミレスに入りお茶しながらしゃべった。なんで「イジ抱き」にしたんですか、と訊くと、知人は「だって歌いたかったから」と舌を出していたずらっぽく笑った。つい私は、うまく歌いたいならもっと歌いやすいものをなどと、自分だって大して歌がうまくないくせに内心茶々入れてしまっていたが、そんなことよりいちばん大事なのは歌いたいという気持ちだ。どうして私はこんな基本的なことを忘れていたのだろう。プロもアマもカラオケでもライブでも、心を掴んで離さないひとはいつも、歌いたいことを歌っているじゃないか! 漫画の最終回のような感情がこみ上げてうち震えていた。

 こんなに知人の歌にいたく感動しておきながら、XJapanの「Rusty Nail」を聴きながら帰った。正直に打ち明けると、X JAPAN世代じゃないのもあって、今まで有名曲は人のカラオケでしか聴いたことがなかったのだが、この日ははじめて音源を通して何度も聴いた。しかし、同じ歌だけど、むしろこれがオリジナルなのだけど、やはりあの少年の「歌」ではない……。必死に記憶を手繰り寄せる。あの瞬間、友人が「焼き付けよう、目に!」と言ってくれてよかった。

 彼の親御さんや友達はこの先も聴けるかもしれないけれど、きっともう、二度と私は出会えないだろう「Rusty Nail」。友人知人の誘いやチャレンジを応援しに、ふだん縁の薄い街に出かけてみるものだ。こうして忘れたくない瞬間が増えてゆく。

Information
南蛮茶館

〒157-0062 東京都世田谷区南烏山5丁目13-2
*千歳烏山駅北口2から徒歩約1分

Profile
児玉雨子
作詞家、小説家。

アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。

Instagram:@amekokodama

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