“当たり前”を押しつけるのではなく対話を。感覚過敏の当事者、加藤路瑛さんの言葉から考える、”困りごとを分かち合う社会”
服が痛くて、着られない。ニオイや食感が受け付けられず、食べることが辛い——。「あまりにも普通」で「意識したことのない感覚」を苦痛に感じるひとがいることをご存知でしょうか。それらは「感覚過敏」と呼ばれ、しかし目に見えないために本人も伝え方に苦慮し、周りも対処に悩んでいるといいます。12歳で親子起業を果たし、若くして〈感覚過敏研究所〉の所長となり、感覚過敏に悩むひとたちをサポートする加藤路瑛さんもまた、生まれながらに感覚過敏に悩まされた当事者のひとりでした。感覚過敏に限らず、可視化しづらい困り事を抱えながら暮らすひとたち。出会いが多い新年度、当事者の言葉から、あらためて「知ることの意味」を見つめ直し、目に見えない差異を持つ他者とのつきあい方について考えます。
写真提供:株式会社クリスタルロード 感覚過敏研究所
「好き嫌い」や「わがまま」と何が違うの?
—— あらためて、感覚過敏がどのようなものか教えて下さい。
感覚過敏というのは、主に視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった諸感覚が過敏で、日常生活に困難を抱えている状態、症状のことを言います。感覚過敏自体は病気ではないため、わかりやすい診断結果がありません。また、治療方法が確立されてないのが現状です。
—— あくまで症状であって、病気ではないのですね。
感覚過敏は、発達障害やうつ病、認知症、脳卒中、高次脳機能障害といった病気のいち症状です。発達障害、特に自閉スペクトラム症の方に多く見られる症状のため、発達障害支援の文脈の中で使われることが多い言葉でもあります。しかし、そのような診断がない場合でも、感覚の過敏さで困りごとを抱える方は少なくありません。
—— 加藤さんで言えば、「真冬でも、靴下が痛いので履けない」「食べられるものが限られるため、家族で同じ食卓を囲むことができない」「テーマパークのBGMも騒音に感じて、たのしむことができない」といった困りごとをご著書(『感覚過敏の僕が感じる世界』(日本実業出版社))に書かれています。一般的に、それらは「好き嫌い」や「わがまま」「気を遣いすぎている」と捉えられることも多いように感じてしまいます。
感覚の過敏さは、神経質やわがままだと捉えられがちです。違いは何かと問われると明確にお答えすることができません。1つ言えることは、外部からの刺激によって、身体的に苦痛を感じたり、体調不良になることがあげられます。
ただ、靴のなかに小石が入っていたら、誰だって靴を脱いで出したいですよね。すぐに小石を取りのぞけない場合は少し頑張って歩いて、靴を脱げる場所を探します。感覚過敏のつらさは、靴の小石に似ています。少しくらいは我慢できても、ずっと我慢するのは苦しい。
それはわがままではなく、苦しさを経験して耐えた上で、もう避けたいと願う自己防衛でもあります。私の場合で言えば、服を着ると痛いと感じてしまいますし、クラスメイトの笑い声で頭が痛くなってしまう。それらは、できることなら避けたいのです。
—— そうした生まれながらの困りごとも、保健室の先生を通じて「感覚過敏」という言葉に出会ったことで救われたと書かれていました。近年では「ニューロダイバーシティ(神経多様性)」や「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」「HSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)」といった言葉を耳にする機会も増えました。と同時に、そうした言葉だけが独り歩きすることもあるのかなと。加藤さんのご著書には、兵庫教育大学の小川修史先生が以下の解説文を寄せられています。
大切なのは周囲が「感覚過敏」や「発達障害」といったラベリングをすることではなく、本人の「困り」を適切にとらえることです。これらの名称は「困り」を適切に捉えるためのあくまでもヒントです。
『感覚過敏の僕が感じる世界』(日本実業出版社)p.103
感覚過敏にとどまらず、問題を概念化して共有することは社会問題全般に共通する重要なことです。それであればこそ、ラベリングで終わらせないためにはどうしたらいいと思いますか?
“感覚過敏”という共通語となる言葉があることによって、私たちは話し合ったり、気づいたりすることができる。だから、感覚過敏という概念が社会に浸透する初期の段階では、ラベリングも必要だと思います。将来的には、感覚過敏という言葉も不要な社会になることが理想です。眼鏡があることによって、目が見えにくいことも個性のひとつになったように、補助具やデバイスによって感覚過敏の困りごとが個性となる社会にしたいなと考えています。
共通語にするためには、多くの人に感覚過敏を知っていただく必要があります。まずは感覚過敏という言葉を知っていただき、その上で感覚過敏での困りごとを知識として持っていただければ嬉しいです。そのために、私は感覚過敏について発信しています。
誰かの快は、誰かの不快になり得る
—— 〈感覚過敏研究所〉では、五感の過敏さの困りごとを伝える「感覚過敏缶バッジ」を提供されています。かたや、「赤ちゃんが泣いてもいいよ」という意思表示のステッカーキャンペーンもあります。そうした、相反する困り事を抱えた人たちが同じ場にいたとき、互いの意見をどう伝え合えばいいのでしょう。
私が課題解決をする上で大事にしているのが「誰かの快は、誰かの不快である」という考えです。例えば、感覚過敏のひとが静かな空間を望むことで、全ての空間から音をなくしたとします。そうすると、今度は音を頼りに生きていらっしゃる視覚障害の方が生きづらくなってしまう。誰かの課題を解決したら、誰かの不便に繋がってしまうことがあるので、お互いが歩み寄れるポイントを見出すことが重要です。
社会というのは、誰もが周りに迷惑をかけながら、協力し合って生きている場所なのだと思います。困りごとや悩み事は、感覚過敏に限らず誰しもが持っているものなので、お互いに共有して、協力しあえる関係をつくることが大切だと思っています。
—— 本のなかで、「周りに助けを求めても、心配するほど拒絶されないというマインドセットを持つことが大事だ」とも書かれていました。そのマインドセットを持つにはどうしたらいいのでしょう。
徐々に相談に関する成功体験を積んでいくことが大切なのかなと思います。仲のいいひとから相談していって、段々と相談相手の幅を広げていく。いきなり感覚過敏の話をしなくてもいいので、小さな困りごとを相談するところからスタートしてもいいのではないでしょうか。
とはいえ、張り詰めた空気感のなかで、「私にはこういう困り事がある」とは言いづらいですよね。まずは伝えやすい環境をつくる。環境というより、相談しやすい関係性の構築でしょうか。その上で、「これをやってほしい」と一方的なお願いをするのではなく「私はこういう工夫や行動をするから、できれば協力してほしい」と伝えることが大切だと思っています。一方的な主張では協力体制は生まれにくいです。協力していただけるような伝え方も重要だと思います。
—— 家族という近しい存在ほど、実は理解を得るのが難しい部分もあるのかなと。加藤さんご自身はどうでしたか?
私が小さい頃は、親自身も感覚過敏という言葉すら知らなかったので、理解を得るのが難しいというよりも、知らないからこその対応というものが多かったです。食べられないのに無理やり食べさせられたり。おそらく感覚刺激で疲れやすかったのだと思いますが、外出しても「すぐに家に帰りたい」という子どもだったので怒られたりもしました。
感覚過敏研究所が運営しているコミュニティのメンバーにも「親に理解されない」と悩んでる方がいらっしゃいます。相手が知らなければ、そのつらさを想像することもできません。だからこそ、感覚過敏を知っていただく必要があるのです。
感覚過敏を知った両親は私のよき理解者になってくれました。感覚過敏が理由で苦手なことを、無理にさせようとか、他の人と同じようにさせようということがなかったので、私は安心して生活できるようになりました。
—— 啓発活動の先に、どんな活動を予定されているのでしょう。
〈感覚過敏研究所〉は、感覚過敏の啓発の他に、感覚過敏の研究や対策商品やサービスの企画、開発を進めています。感覚過敏の方のために開発しているアパレルブランド《KANKAKU FACTORY》では、商品ラインナップを増やしていきたいですし、感覚は個別性が高い部分なので服のカスタマイズ性も重視したいです。
また、五感にやさしい空間創造事業として、クワイエットアワー、センサリールーム、カームダウンスペース、センサリーマップといった感覚に配慮がある空間や時間を作っていきたいです。感覚過敏の医学的な解決方法はもう少し先の未来になると思いますので、社会モデル構築を当面は進めたいですね。
同時並行で、感覚過敏のメカニズムの解明を目指した研究を進め、環境の個別カスタマイズができるデバイス開発や、感覚のコントロールができる技術の発明などができればいいなと思っています。
—— 今後、感覚過敏の課題解決で期待されている分野があれば教えて下さい。
この社会は、音や光などの刺激にあふれています。これまでの社会は情報量の多さや機能の多さを重視してきました。これからは、シンプルな環境やプロダクトが重視される場面も増えてくると思います。注目しているのは「Calm Technology(カームテクノロジー)」です。現在はモニターにしろ通知音にしろ、私たちの目や耳に飛び込んでくる情報が多いプロダクトが中心ですが、今後は、意識しなくていいほど環境や人と調和が取れたプロダクトが増えてくると思っています。それは感覚過敏の人だけでなく、多くの人にとっても快適な生活をもたらすでしょう。
感覚は多様で、抱えている困りごとや不快感も多様です。誰にだって1つくらい苦手なニオイや食べ物はあるでしょう。ですから、けっして無関係な話題ではないはずです。「私には関係ない」と思わずに、一緒に“五感にやさしい社会”を目指す仲間になっていただけたら嬉しいです。そして、感覚過敏だけではなく、病気や障害、年齢やお金などさまざまな理由でやりたいことを諦めなくていい社会を一緒に迎えられたらと思います。