できるだけ、曲げず曲がらず誠実に。|松田青子エッセイ

できるだけ、曲げず曲がらず誠実に。|松田青子エッセイ
自分の目で、世界を見たい Vol.14
できるだけ、曲げず曲がらず誠実に。|松田青子エッセイ
LEARN 2026.01.01
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第14回は、新年に思うことです。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

ネット社会とわかりやすさ。

新しい年になった。

去年の私は、おそらく更年期的な、次々と折り重なっていく体調の悪さと、6歳の人が小学校に入学したことによって生じた生活のさまざまな変化によって、なかなか仕事に集中することができず、特に小説に関しては、こんな状態でも人は小説を書けるのかを実証する実験を行っているようなもので、書いた枚数としてはしんみりと反省するしかない結果になってしまった。それでも気持ちだけは過剰にアスリートなので、何とか小説を書くリズムを整えるために、低空飛行でじっと耐える一年だったので、新しい年になっても状況は変わらないものの、今年はもうちょっとテンポを上げていきたい。

私は普段から、社会の傾向や流行などを見て、じゃあこの中で自分は何を書こう、と考えてしまう癖がある。自分でも困っているくらい面倒くさい性格なので、世の中で流行っていることの逆をしようとしてしまう。そのせいか、ここ数年、私が気をつけていたのは、SNSやネットに飲まれないこと、そしてわかりやすさを追求しないこと、だった。

松田青子エッセイ イラスト

大切な答えはどこにある?

最近、それぞれ日本とアメリカの大学で教えている先生たち二人とお茶をしていて、大学の授業にどうAIが影響を及ぼしているかを聞いた。学生にとって何事もまずはAIに相談するのが普通のことになってしまったので、AIが作成したレポートを提出してしまうといったわかりやすい駄目な行為以前に、参考文献をAI頼みにして図書館に本を探しに行くことさえしなかったり、ディスカッション中も検索して答えを探し続けたりといった、いろいろな問題が出ているそうだ。

ネットでたいていの答えが見つかることに私も慣れてしまっているし、今では人名や調べたい物事を打ち込むと、AIが概要をまとめてくれる。けれど、翻訳したり、小説を書いたりしていると、実際ネット上に見つからない情報も多いし、ネットに事実として書かれていても間違っていることがあるのも身にしみて知っている。

以前もこの連載で同じようなことを書いたと思うけれど、新しい年に改めてもう一度言いたいのは、大切な答えは自分の外側にあるのではなく、内側にあるということだ。経験でも失敗でも感情でも知識でも、どんなものでも、どれだけ自分の内側に蓄えられるかが、その後の人生で効いてくる。だから、授業のディスカッションで答えを検索するのは、自分の内側を鍛え、アップデートする機会を自ら手放しているのと一緒だ。

ネット上に存在する情報だけを根拠にして、ざくっとまとめられたことが事実として流通する世界を生きている私たちが、個人としてできることはいくつもある。

たとえば、

まとめないこと

小さなことに気づくこと

自分の生活の中でそれを続けるだけでも、内側を豊かに膨らませていくことができるはずだ。

松田青子エッセイ イラスト

世界への信頼が揺らぐ、小さなこと。

また、人とのかかわりの中で、いい人になれない日も、摩擦を生んでしまう日もある。誰かのせいでうまくいかないと不服に感じることもある。それでも、誰かを「悪者」にすることで、自分にとって都合よく解釈したり、物事が進むようにするのはやめよう。というのも、地味にそういうことをする人が結構いるからだ。

一つの例だけれど、数年前に、ある機関で翻訳のワークショップをするので、私の小説を題材として使いたいと、ワークショップの講師として選ばれた、知り合いの翻訳家から連絡があった。できれば私にも参加してほしいという依頼だったのだけど、その日程は私は参加することができなかったので、そう伝えつつ、また、題材として打診された小説は欧米で出版される際の翻訳家が決まっているけれど、ワークショップで使用するのは問題ないと返信した。   

その後、その話はなしになり、それで別に構わなかったのだけど、だいぶ経ってから、そのワークショップに関係する人と会った際に、話の流れでその時のやりとりの話をすると、「私が聞いた話と全然違います!』と驚いていた。

聞いてみると、私からの返信の後、その翻訳家の男性は、私が「私の作品は◯◯さん以外の人に翻訳させません!」といった強い文脈で断ったとワークショップの担当者に伝えていて、それで他の作家さんの作品をワークショップで使うことになったらしい。

おそらくその翻訳家は、ワークショップに参加できる作家さんがよかったのかもしれない。自分が翻訳して出版できる作品を実は探していたのかもしれない。でも、別に私を「悪者」にしなくても、自分のしたいようにできたはずだ。また、私に絶対バレないと思っていたと思うのだが、こういうことって意外と本人の耳まで届く。

なぜその「小さな嘘」が必要なのかわからないけれど、人と人をつなぐ場所にいる人が自分に都合のいいように事実をちょっと捻じ曲げるのを、残念ながら、これまでに何度も見聞きしてきたし、私も経験してきた。こういう「小さなこと」ってパワハラやモラハラのように名前がつかず、見過ごされることも多いけれど、気持ち悪いし、その人たちのせいで他者への不信感まで無駄に生まれてしまう。世界への信頼が揺らぐ。

今、世界には紛争やヘイトなど、さまざまな問題が溢れている。これ以上お互いの日常を難しいものにしないために、ベタだけど、いい時もうまくいかない時も、曲げず、曲がらず、できるだけ誠実でいよう。自分もそうしたい。

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

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