現代の「ババア」の意味はどう変わっていく?|松田青子エッセイ
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まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。
「ババアの粉」が欲しいのに、手に入らない。
今年は半ば頃から、SNSで「ババア」という言葉をよく見る。
「ババアの粉」とSNSで命名されたパウダーがバズっていたり(私も欲しいけど、ドラッグストアでいつまで経っても売り切れ続けている)、「平成一桁ガチババア」という言葉で、当時に流行した物事が語られていたりする。
どちらも自虐することで面白さが生まれている。特に「ババアの粉」から広がる世界は、自虐よりも、そう自分で呼んでしまうことで、いろんなことから自由になっている風通しの良さを感じるところもある。「おばさん」「ババア」「BBA」といったフレーズは、最初は他者からの侮蔑の意味合いが強く、その後、対象とされる人たち自身がその流れを汲んで自虐をしたり、ポジティブに名乗りはじめたりする。
ただ、SNSなどでそう自分を呼んでいる人たち、若い。もちろん年齢を書いていない人もいるけれど、傾向として、たいてい若い。
だいぶ前だけど、定期的に増えたり減ったりすることでも有名な大人数のアイドルグループの中で、グループ初期から活動している二十代のメンバーが、後から入ってきた十代のメンバーたちに「おばさん」と呼ばれていると話しているのを何かで見て、何を言っているんだ、どんな世界線なんだ、と震撼を通りこして、遠い目になったことがあるのだが、今回の「ババア」にも、面白さとかは別として、遠い目になる。
また、昭和に生まれ、昭和を生きた現在四十代半ばの私からすると、平成一桁生まれの人たちから繰り出される「ガチババア」というフレーズには、どういうこと? どういうこと? と心の中で大わらわしてしまう。
なんというか、全体的に、気が早いのではないか。人生百年時代とも言われる現代、早々に「ババア」を自称してしまうと、その後がいくらなんでも長すぎる。
社会では、若い女性に価値があるとする古臭い価値観がいまだ根強く、三十歳になることを「おおごと」のように考えて、自分はもう若くないのだと思い込んでしまう土台をつくっている。だから「美魔女」や「奇跡の何十代」といったフレーズが生まれてくるし、「おばさん」「ババア」「BBA」がネガティブな意味を持つ。ただ、現代は、固定観念が少しずつ柔らかく、ほぐれてきているのも事実だ。

二十代が二十年くらいある気で生きてみる。
(もう今この瞬間しかぴったりな機会がないと思うので、書きたいことがある。ネットフリックスで配信されていた、シーズン2で打ち切りになったものの、コアなファン層を獲得した『The OA』というアメリカのSFドラマがある。このドラマに生徒から「BBA」と呼ばれる中年女性が出てくる。「ババア」から「BBA」に派生したのは日本の言葉遊びなので、このドラマにおける「BBA」は、彼女の名前の頭文字でしかない。でも、高校の教師である彼女は、日本だといかにも「BBA」と揶揄されそうなキャラなのだ。そして、この「BBA」は、子どもたちに献身的で、心優しい、最高の存在として描かれる。日本語を理解する人が見ると、目の前で「BBA」がまとう意味が塗り替えられるので、なんだかグッとくる)
自分自身が四十代半ばまで生きてきて思うのは、みんな二十代が二十年あるぐらいの気持ちで生きていい! の一言である。年齢は数字でしかないと言われる一方、人体の限界もあるので、正直、今、四十代の体調はしんどいことも多く、二十代が三十年あるぐらいの気持ちでは残念ながら生きられていないのだけど、それももっと歳をとってから振り返ったときに、ああ、二十代が三十年あるぐらいの気持ちで生きておけばよかったと気づくことがあるかもしれない。
私は自分のことを「ババア」や「おばさん」と自称したことはなくて、それは自分はそうじゃないからではなくて、何を言ってるんだ、気が早くないかと、昨今の「ババア」呼びに対して私がそうなってしまうように、もっと上の年齢の人たちを遠い目にさせてしまうのではないかと、じゃあ自分は何なんだ、と考えさせてしまうのではないかと思うからだ。
それに、たとえユーモラスでポジティブな意味合いで使われていたとしても、下の世代の女の子たちの目に映り、その心に残るのは、自分たちとそう離れていない年齢の女性たちが自分のことを「ババア」と呼んでいる事象である。

「ババア」なる存在とは?
あと「ババア」とはどんな存在なのだろうか。自分は怪談やフィクションに出てくる「ババア」が好きだ。たとえば、『千と千尋の神隠し』の湯婆婆や『ハウルの動く城』の荒地の魔女のように、貫禄とカリスマがあり、常人にはない能力を備えている女性だ。我が家の六歳の人も怪談が好きで、よく学校の図書館で怪談の本を借りてくる。一緒に読んでいると、私が知らないうちに怪談界の「ババア」も増殖しており、さまざまな能力を持った「ババア」が人々を怖がらせていて面白い。
世間の目を気にしての「ちゃんと自覚してますよ」とか、そんなことどうでもいいけど自分はもう「ババア」でええやん、とか、それぞれいろんな気持ちからの「ババア」呼びではあると思うのだけど、果たして私たちは湯婆婆や荒地の魔女をはじめとする至高の「ババア」たちの境地に到達できているだろうか。そう簡単には「ババア」にはなれないのではないか。
text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan

















