トーベ・ヤンソン、創作と人生。
父は、トーベの弟でムーミン・コミックスの共作者であるラルス・ヤンソン。現在、トーベの遺産やムーミン作品に関する権利とライセンスの管理・保護を担い、作品を次世代に繋いでいる。

『ムーミン』シリーズは小説からコミックス、絵本、戯曲など20代半ばから60代にかけて生涯を通して創作を続けた。上の絵は、そのムーミン谷の仲間たちと共に描かれた自画像。
彫刻家の父と挿絵画家の母のもと、ヘルシンキで生まれたトーベ・ヤンソンは、芸術が日常の一部として息づく家庭で育った。13歳で雑誌にイラストが掲載され、早くもプロの道を歩きはじめる。20代半ば、戦時下で物語の執筆をはじめ、1945年に『ムーミン』小説の第1作『小さなトロールと大きな洪水』を発表。後に世界的な人気を博すムーミンの原点となる物語の着想は家族との日常にあったとソフィアさんは話す。「ヤンソン家は夏に島やピクニックに出かけ、ちょっとした冒険を楽しんでいました。ムーミンの物語で起こることは、私たちの普通の暮らしそのものだったんです」
ムーミン人気が拡大したのは、1954年にロンドンの夕刊紙『イブニング・ニュース』でコミック連載がはじまってから。これを機に物語は世界中で翻訳され、トーベは国際的な児童文学作家としての地位を確立する。しかし、どれほど名声を得ても、彼女の暮らしは変わらなかった。幼い頃から家族と過ごしたペッリンゲ群島での夏と、自然の中での静かな時間を何よりも大切にしていたのだ。
1960年代にはパートナーのトゥーリッキ・ピエティラと無人島に小屋を建てて、そこで1年のうちの数カ月を過ごすようになる。「ただ、フィンランドでは1970年代初頭まで同性愛は法律で禁じられていました。トーベは旅をして多くの人と出会い、自身や性的アイデンティティについて模索していました。そしてある日、女性と恋に落ちた。それは衝撃的な体験であると同時に、禁忌でもあった。でも勇敢な彼女は、『自分の気持ちに正直に生きたい』と決意し、それを貫いたのです」
1970年、『ムーミン谷の十一月』の制作中に最愛の母を亡くしたトーベは、深い悲しみの中でシリーズを完結させ、一般向けの小説へと活動の軸を移していく。しかし、物語を紡ぐ情熱は失われることなく、パートナーと音楽や映画、そして世界中を旅する自由な日々を楽しみながら、晩年まで創作の火を絶やすことはなかった。
TOVE JANSSON
CHRONICLE

1914
フィンランドのヘルシンキにて彫刻家の父、挿絵画家の母の長女として誕生する。
1928
13歳で初めて雑誌の挿絵を手がける。絵本や漫画も描くなど早熟な才能が開花。
1932
ストックホルム工芸専門学校に留学。叔父から「ムーミントロール」の名を聞く。

着想の出発点となった「家住みおばけ」の話。
スウェーデンのストックホルム工芸専門学校に入学し、叔父の家に下宿していたトーベは叔父から「そこに首筋に冷たい息をふきかける“ムーミントロール”がいるぞ」と脅かされ、そのことを日記に記す。
1943
雑誌『GARM』のイラストの片隅に、初めて「スノーク」という名の生き物を描く。

ムーミンの前身となるキャラクターが登場。
政治風刺雑誌『GARM』の風刺画の中にムーミンらしき生き物が初登場。この頃からムーミンをサイン代わりに描くように。よく見ると上の表紙絵の中にもこっそりいます。
1945
『ムーミン』小説第1作『小さなトロールと大きな洪水』を刊行。

現実逃避のために描いた物語。
第二次世界大戦が勃発し、絵を描く気力を失ったトーベは現実逃避の手段として子ども向けの物語を綴りはじめる。それを戦後にまとめたのが第1作の『小さなトロールと大きな洪水』。
1946
『ムーミン』小説第2作『彗星追跡』(のちの『ムーミン谷の彗星』)刊行。
1954
イギリスの夕刊紙『イブニング・ニュース』にて『ムーミン・コミックス』連載開始。

世界中の人々がムーミンに魅了されたコミックス。
1950年英訳された『たのしいムーミン一家』がイギリスで評判となり、ロンドンの新聞で『ムーミン・コミックス』の連載がスタート。世界中で読まれるようになる。
1965
小さな無人島、クルーヴ・ハルに小屋を建て、夏から秋まで暮らすようになる。
1969
日本でアニメ『ムーミン』放送開始。1972年には続編も登場し、人気を博す。
1970
『ムーミン』小説最終巻『ムーミン谷の十一月』刊行。シリーズは全9冊を数える。
1972
自伝的小説『少女ソフィアの夏』刊行。

『少女ソフィアの夏』1972年
70代まで島暮らしと旅を愛し、執筆活動に没頭。
750代以降、『彫刻家の娘』(1968年)、『石の原野』(1984年)など大人向け小説も多数手がけた。自伝的要素も含まれる『少女ソフィアの夏』の主人公のモデルは姪のソフィアさん。
1986
パートナーのトゥーリッキ・ピエティラと、作品コレクションをタンペレ美術館に寄贈。
1990
日本でアニメシリーズ『楽しいムーミン一家』放送開始。
2001
世界60カ国で放送される。6月27日、ヘルシンキにて永眠。86歳でその生涯を閉じる。



















