きゃりーぱみゅぱみゅの 「大人なLADYになるわよコラム」第47回〜『“みんな違ってみんないい”だわよ』〜
きゃりーぱみゅぱみゅが「大人なLADY」を目指す日々を綴る連載。おかげさまで、話題沸騰です。第47回は「親友」について。
第47回 『“みんな違ってみんないい”だわよ』
皆さま、ごきげんよう。先日、親友と数年ぶりに腹を割って話し合った、きゃりーぱみゅぱみゅです。
やっぱり昔からの友っていいですよね~。
高校時代からの親友、ぼんちゃんが、それこそ修学旅行みたいな感じで久しぶりにうちに泊まりに来たので、2人で布団に入っていろんな話をしたんです。
深夜のテンションで「あのとき、実は私こう思ってたんだよ」みたいなぶっちゃけトークをたくさんしたら、当時は「は?」と思うばかりで気づけなかった、いろんな発見がありました。
今回はそんな“みんな違ってみんないい”というお話です。
例えば、けっこう昔の話なんですが、当時、私がよく行っていた加圧トレーニングにぼんちゃんを誘って一緒に行ったことがありました。
そこはマンツーマンでやるところだったので、私には若手のお姉さんがついてくれて、ぼんちゃんにはそこのドンみたいな赤髪のおばちゃんトレーナーがついてくれました。
それでしばらく施術をしたあとに、ドンがぼんちゃんに話しかけました。
「鏡を見てほしいんだけど、顔がちょっと上がったのわかる?」
「いや、全然わかりません」
あまりにバサッと切るようなぼんちゃんの即答ぶりに、「え?」という顔をしたまま固まっている赤髪のドン。
場はシーンと凍りつき、若手の人たちもヒヤヒヤしています。
その動揺が施術をしている手から私にも伝わってきて、その空気に耐えきれなくなった私は「いやいや、ぼんちゃん。めっちゃ変わってるよ? 私から見てもめっちゃ変わってるよ!」と慌ててフォローを入れました。
その帰り道。私はぼんちゃんに苦言を呈しました。
「ああいうときは、もし変わってないと思ってても『変わってる』って言うのでいいじゃん。やばい空気だったよ」
すると、ぼんちゃんはこう返してきました。
「いや、本当に変わってないと思ったからそう言ったんだよ。本当のことを言ったほうが技術向上とかにもつながるわけだし、その人のためになる」
それを聞いて「たしかに、それも一理あるな」と思ったんですけど、別の日にぼんちゃんが「指輪を買いたい」と言って一緒に伊勢丹へ行ったときも、これと同じパターンが発生してしまいました。
「これも人気なんです~」
「あ、ほかのは別にいいです。もう欲しいの決まってるんで」
ぼんちゃんが希望した指輪以外に、いくつかほかの指輪も持ってきてくれた店員さんを、あのときとまったく同じ感じでバサッと切り捨ててしまったんです。
「いやだからさ、あれも『ありがとうございます』でいいじゃん」と帰り道でまた苦言を呈したら、「いやいや、私は買うの決まってるし」と返されました。
そして続けざまに、「私はいちいち言わないけど、私も君に思うことはたくさんあるけど?」と言われて、なんだか険悪なムードに…。
それからだんだん会わなくなっていって、数年の月日が流れました。
とはいえやっぱりそこは親友同士で、いつしか仲が復活して、久しぶりに会うことになった私たち。
2人で布団に入って天井を見つめながら、「ねえ、赤髪のドンのこと覚えてる?」「覚えてる覚えてる」という話になりました。
「あのとき、『全然わかりません』って言ったのは、たぶん照れ隠しなんだと思う」
と、ちょっと照れながら口を開いたぼんちゃん。
指輪を買った帰りに言っていた“私に対して思うこと”についても聞いてみたら、私はすっかり忘れていたんですけど、こんなことが昔あったと教えてくれました。
ぼんちゃんを入れた友達何人かでお笑いの動画を観て盛り上がっていたときに、友達のひとりが「これ絶対きゃりー好きだと思うから観てみて」とスマホを渡してきたことがあったんですね。
でも、私はそれをたぶん4分くらい真顔で観たあとに一言、
「おもんな」
そう言ってスマホを返したので、ぼんちゃんは「そこは『面白いね』でいいじゃん」と思ったんだそうです。
まあ、お笑いに対してシビアという私の性格もあるとは思います。
だけど、実は私もぼんちゃんにずっと注意していたことと、まったく同じことをしていたというわけなんですね。いや~、目からうろこ。ブーメラン。
つまり、ぼんちゃんは外の人にははっきり言うけど、身内には気を使う。私はそれとは真逆で、外の人には気を使うけど、身内にははっきり言う。
ぼんちゃんは身内のコミュニケーションにとても気をつけているから、友達みんなで集まってもぼんちゃんがいたら空気が変になることがマジでないし、ほんと場を支えてくれているムードメーカーです。
一方の私は、さっきの赤髪のドンとか指輪屋さんみたいに、プロとして行われている仕事には最低限の敬意を払いたいし、こっちが変なことを言うことで、その人たちが築き上げてきた世界をかき乱したくないという思いがあります。
なので、それぞれ考えや姿勢が違うだけであって、どっちがいい悪いという話ではないんですよね。“みんな違ってみんないい”。きっとそういうことなんだと思います。
…にしても、私はなぜこんなに誰かの顔が潰されてしまうようなことを避けようとするのか? 前世ヤンキーか?
ちなみにこの身内に対する私の雑な対応、どうも昔からそうみたいで、腹割会でこんな高校時代の話もされました。
これまたすっかり私は忘れていたんですけど、お互いの彼氏を交えて4人で遊んだ次の日くらいに、私に話しかけてきたJKぼんちゃん。
「きゃりーの彼氏って、私の彼氏のこと何か言ってた?」
「あ~、なんか『あいつ中身ない』って言ってたよ」
この私の何気ない一言がJKぼんちゃんにはあまりに衝撃的すぎて、ずっと脳裏にこびりつくことになってしまいました。
「中身がない」と言っていたのはぼんちゃん本人のことじゃないにもかかわらず、それ以来、「もし自分も中身がない人間だと思われたらどうしよう?」という呪縛にとらわれてしまったようです。
「君に言われて10年以上、その言葉に苦しめられてたんだよ~」
さすがに昔の話すぎて、冗談交じりで言ってましたけど、私は「ほんとにごめん!」という申し訳ない気持ちになりました。
いやはや私は、これを言ったら呪縛になるかどうかを考えて、大切な身内に対してもっとデリケートに接するべきなんでしょうね…。反省しきりです。
ある日を境にぼんちゃんが突然「子煩悩だね」とか「蒼天の霹靂だね」とか「とんだ井の中の蛙だね」とか、小難しい四文字熟語みたいな言葉を呪文のように口走るようになったのも、どうもこの呪縛から来てるっぽいです。
昔は「子煩悩」なんて言うような女じゃなかったです。もはや中身がおじいさんです。
まあ、そんなわけで親友との久しぶりの腹割会。すごくいい時間でした。
お互いのことを洗いざらい言い合って、それによって今まで気づかなかった自分に気づくことができました。
そして真逆な性格だからこそ、「は? なんなんこいつ?」ってお互い思っていたという…。
お互い「は?」と思ったタイミングで距離をとって、こうしてまた一緒になっているのも不思議です。真逆同士なのに。これが親友というやつなのかもしれないですね。
高校に行くために毎朝7時42分の電車に乗ると、いつもそこにいたぼんちゃん。
あれから14年が経って、最近は四文字熟語に加えて「〇〇ってリベラルだよね」とかカタカナ用語も多めになってきて、正直言ってることがよくわからないこともあるけれど、結局は同じレールの上をずっと一緒に歩み続けているんだと思います?