伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第30回
乃木坂46を卒業し、ラジオパーソナリティ、タレント、そして、ひとりの大人として新たな一歩を踏み出した山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Chika Niiyama)
「絶対にどうでもよくない人」
用もないのに、連絡を取り合っている人がいた。あまりにも気分転換の時間が足りないと、胸の奥がズシッと重くなって、喉がつかえる。かといって、旅に出たり、買い物をしたり、おいしいものを食べに行ったりする気力も体力もない。そんな時ありがたいのが、気心の知れた人の、声だった。話すのも楽しいけど、聴くだけでも楽しいと感じるのは、きっと本当に好きな声だけだ。声だけで元気にしてくる人はすごい。一周まわって怖くもある。声や話し方が好きだと、何故かしょうもない話でも聞いていられる。どうでもいい話を延々と続けられる人は私にとって絶対にどうでもよくない人で、私はその存在に用があるという感じだった。
でも人は、会える時に会っておかないと、本当に会えなくなる。電話越しの声をその人との最後にしてしまったのは自分なのに、会おうとしなかったことを後悔している。ちょっと連絡が取りやすくて電車で行ける距離に住んでるからって、その環境にあぐらをかいていた私が悪いのだけど。苦し紛れに適当な言い訳をしてでもいいから、会って、ちゃんと目を見て、笑顔で話せば良かった。
声を聴かなければ忘れられるかな、と思っていたのに、そんな単純じゃなかった。寂しいのは声を聴けなくなったこと自体ではなくて、時間の経過とともに、ゆっくりと、まるで光が消えていくようにその存在ごと忘れていかざるを得ないことだった。しかもそういう時に限って冷静で、言葉もなく、涙すら出てこないのであった。案外、楽しい記憶があればあるほど、もう二度と会えないのだという実感も湧きづらい。
どんな会話や表情が、その人との最後になるか、誰にも分からない。それでも私たちは、受け止めきれない今日を越えて、明日を迎えていかなければならない。人と会うたびに「これが最後かもしれない」と思っていると気がもたないので潜在意識にとどめているけれど、お願いだから別れ際は気持ちよく、手を振らせてほしい。
そして先日、10代のかなり濃い時間をともに過ごした友人に、子どもが生まれた。彼女が妊娠を報告してくれた時からすごく楽しみにしていた。母子ともに健康で対面できる日を願ってやまなかった。出産を乗り越えた彼女と新たな生命の誕生に、今もずっと感動と敬意が止まらない。私よりうんと小柄な彼女のお腹の中から出てきた、生まれたてほやほやの赤ちゃんの写真を見て、胸が熱くなった。熱くなって、うれしくて、早く会いたいのに、もどかしい。だって、生まれるまでのカウントダウンは与えられるのに、別れはたいてい突然やってくるの、ほんのちょっとだけ、ずるいって思っちゃったから。そしてそんな惑いを、ひとりで声にできるわけがないから。