今のあなたにピッタリなのは? 横顔作家・岡美里さんのために選んだ一冊とは/木村綾子の『あなたに効く本、処方します。』
さまざまな業界で活躍する「働く女性」に、今のその人に寄り添う一冊を処方していくこちらの連載。今回のゲストは、横顔作家の岡美里さん。大好きだという散歩や文学のお話を伺いながら、彼女のパワフルな人となりへと迫りました。
今回のゲストは、横顔作家の岡美里さん。
全国を巡り、横顔のポートレイトを制作。8月に発売された平野紗季子さんの書籍『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』では、散歩の達人として登場し、都営荒川線沿線のディープなスポットを軽やかにナビゲートされました。
話題は、岡さんの “散歩好き” について。
木村綾子(以下、木村)「以前この連載に平野紗季子さんをお招きしたことがあったんですけど、彼女の書籍の中で岡さんのお名前を見つけて…!ずっと気になっていたんです」
岡美里(以下、岡)「都営荒川線の沿線を歩いた回ですね。平野さんとは、あれからも何度か。心の散歩友達です…!」
木村「あのページでの岡さんは、本当に魅力的な女性として描かれていました。普段は作家さんとして、人の横顔を描かれているんですよね。きっかけは何だったんですか?」
岡「初めは、自分の横顔を描いていたんです。そうしたら、その絵を買っていってくれた人がいたんですよ!私の横顔をですよ?(笑)」
木村「そこから、これはいけるぞ!って、人の横顔へ?」
岡「そうなんです。ありがたいことに全国各地から「私の横顔も描いてください!」と注文が入るようになったので、福岡や名古屋へ展覧会ツアー的なことをやり始めました。横顔もなるべくだったら手渡しできればと思って、住所を聞いて、できる限り自分で届けに行くようになりました。そこで街歩きが面白いなっていうことに気づいて」
木村「街歩きが好きになったきっかけは、横顔にあったんですね」
岡「はい。歩けば歩くほど街の魅力にのめり込んでいっちゃって…!そのうちに展覧会の前後に休暇を取って、徹底的に歩きまくるようになったんです」
木村「期せずして、横顔を描く活動が、岡さんの地図を広げていってくれたわけですね。今はどういう肩書きで活動されているんですか?」
岡「今は一応、“横顔作家” として絵を書きつつ、散歩のエッセイも書くぞっていう姿勢で」
木村「肩書きについては、この連載でもいろんな女性ゲストの方たちとお話してきたんですが、“横顔作家” は抜群にいいと思います。“散歩エッセイスト”もいいですね。各地の地理には、相当詳しくなりましたか?」
岡「最近は、一周回って東京がやっぱり面白いなって思うようになりました。特に今は “水路” にはまっていますね」
木村「陸上だけではこと足りず、ついに水上にまで」
岡「先日、日本橋から隅田川までの船上ツアーに参加してきたんですけど、昔の移動ってぜんぶ船だったわけじゃないですか。車で行くとすごく遠回りになるのが、船だとすっと行けたりするんですよね。すごく面白かったので、最近は、船の免許も取っちゃおうかって思ってるくらいです」
エピソードその1「街を歩くとき、本は必ず持っていきますね」
木村「岡さんは、街を歩くときの必需品みたいなものって、あったりするんですか?」
岡「私、歩く時は必ず本を持っていくんですよ」
木村「そうなんですね。私も、本がないと出先でソワソワするタイプです」
岡「iPod のシャッフル機能で「この場でこれ流してくるんだ!」みたいな感覚が結構好きで。その日偶然持っていた本が街並みとリンクしたりするとウキウキしちゃうんです。あとは、「ちょっと遠出する時には内田百閒を」みたいなマイルールはいくつかありますね」
木村「わぁ百閒先生!! 私、岡さんは絶対に内田百閒がお好きだと思っていました!」
岡「なんと、溢れ出ていましたか?(笑)」
木村「Instagram の旅の投稿を見ると、写真にも言葉にも、知性あふれるユーモアといい意味での“潔癖さ”を感じて、これは間違いないぞ!!と。街歩きのお供に百閒先生をお連れしているなら……、町田康さんの『東京飄然』は読まれたことありますか?」
岡「気になっていつつ、まだ読めていませんでした。でも町田さんの文章のリズムは私好きですよ」
木村「内田百閒の『第二阿房列車』の現代版みたいな感じで最高なんですよ。『東京飄然』から続く4部作、『どつぼ超然』『この世のメドレー』『生の肯定』をぜひ!! 街を見つめるまなざしが、次第に自己へとスライドしていって、「自分とはなにか」「生きるとはなにか」みたいな壮大なテーマに変わっていくさまがユーモラスに描かれています」
岡「街を歩いていると、まなざしが自分に向いていくっていう感覚はとても共感できますね。あと、作者がご存命の方だと、実在する建物やお店が出てくるのもいいですよね。「あ、千駄ヶ谷の駅前のルノアールだ!」みたいな。小説に描かれた風景と、自分がいま見ている景色とを重ねられる瞬間も興奮します」
処方した本は…『芝公園六角堂跡(西村賢太)』
木村「作家が歩いた街を歩き直すのって楽しいですよね。それでいうと、西村賢太さんの『芝公園六角堂跡』は、三重にそれを楽しめる作品だと思います」
岡「西村さんの小説も以前から読んでみたいなと思っていたんですが、何から手を付けていいか分からなくて。タイトルに地名が入っているだけで、親近感が湧いてきます」
木村「この小説は、西村賢太さんが没後弟子を自称している大正期の私小説家・藤澤清造の亡くなった場所を舞台に、主人公・北町貫多が自身の半生に思いを馳せるという内容です。芥川賞受賞後の変化が書かれているので、私たち読み手は、メディアで暴れ放題(笑)していた彼の姿を念頭においてしまう。でも読み進めていくと、その裏にあった葛藤と清造への申し訳なさ、根っこにある生真面目さと純粋さが、「芝公園六角堂跡」という土地に立ち上がってくるんです。まさに、土地が人を裸にしていく様を、主人公の独白で体験できます」
岡「やっぱり実在する地名とフィクションが混ざり合う感じって面白いですよね。同じものを見てもこんなに違うことを思うんだ!っていう、打ちのめされる感じがまたいい!」
木村「きっと、この本を持って芝公園六角堂跡を歩けば、藤澤清造と北町貫多(≒西村賢太)、そして岡さんのまなざし3視点でもって、土地を味わえるんじゃないかなと思いました」
エピソードその2「地名が出てくる本って好きですね」
岡「私、本を読んでどこかに行きたくなっちゃうことも多々あって。こないだも車谷長吉さんの『赤目四十八瀧心中未遂』を読んで、三重県の渓谷に行ってきたんです」
木村「行動力がすごいです!でも、本に出てきた描写を自分の目で確かめたいって思いはすごく分かります」
岡「作品に出てきたところを順々に巡りながら、小説の中の主人公と自分とを重ね合わせたりしながら歩いたので、もう大満足でした。滝も凄いんだけど、何より人っ子一人いなくて」
木村「小説を読んでなかったら、きっと訪れることのなかった場所ですもんね」
岡「はい。本こそ世界を広げてくれる存在なので、やっぱり具体的な地名が出てくると飛びついてしまいますね。あとは、寺山修司さんの『田園に死す』という短歌集を読んでから、ずっと青森の恐山(おそれざん)に行ってみたくて。吉本ばななさんの『哀しい予感』でも登場する山なんですけど、みんな恐ろしい場所として描いているから気になってるんです。でももしかしたら、私はそうは思わないんじゃないか…とか思い始めると、もう止まらないですよね」
処方した本は…『津軽(太宰治)』
木村「青森に行くならぜひ太宰治の『津軽』を巡る旅もしていただきたいです!この作品は、太宰が35歳のときに、自分のルーツを知るために3週間をかけて津軽半島を一周した旅の記録が元になった長編小説です。恐山は下北半島側にある秘境ですが、その反対側、太宰が巡った津軽半島の極地・龍飛(たっぴ)岬も素敵な秘境の地ですよ。ただ、そう簡単に行ける場所ではないです。冬期は国道も閉鎖されてますから(笑)」
岡「そういう場所こそワクワクします!それに、岬とか半島っていいですよね。文字通り半分が島ってことで、島ほど外国っぽくないですし、私の偏見ですけど、ちょっと本土から虐げられてるような悲しみが、文化として昇華されているような部分も多々あって」
木村「“地続きの異国”って感じがしますよね。太宰も龍飛に向かう道程では、「おそろしい」「酒をくれ」「これはもはや風景ではない」を連発して、しきりに寂しさと恐怖を煽ってくるんです。宿に着いても、ぶつぶつ不平を言いながら泣き寝入りする、みたいな。でも翌朝、その一切を払拭する美しい光景に出会うんですよね。そのシーンが本当に希望に満ちていて…。そんなの私も体験してみたくなるじゃないですか!で、行きましたよね。ただまぁ、太宰通りにはなりませんよね(笑)。でもそういうのがいいんですよね。太宰が描いた『津軽』に、自分の経験で色を重ねていくことも、豊かな読書体験だと思うんです」
岡「わかりますその感覚! 太宰からの青森も良さそうですね。行ってみたくなりました」
木村「私もいつか岡さんをお連れしたいです。青森には太宰の遠縁の親戚がいて、いつも案内してくれるんですよ」
岡「太宰の描いた津軽を太宰の子孫と巡るんですか。すごい贅沢!」
エピソードその3「私、生活に興味がないんです」
岡「私、木村さんに相談したいことがあって。生活にね、一切興味がないんですよ」
木村「え!生活に興味がない…!?どういうことですか?生活って、まさに生きて活動することですよね。岡さんはめちゃくちゃ活動的に見えますけど。それにお子さんもいたら、生活に興味がないとも言ってられないですよね?……すみません、質問攻めになってしまいました」
岡「子どもは、中学3年生の娘と、小学3年生の息子がいます。早くに結婚もして、家族を持つことに迷いも惑いもなかったし、子育ても楽しくやってるんですけど…。生活に対する興味のなさについては未だに戸惑っていまして」
木村「んー、もうちょっと詳しく教えて下さい!」
岡「興味関心が、家の中より外に向いてるといえば伝わりやすいのかな。たとえば散歩好きって、みんな外食が好きなんですよ。もし私がお金持ちだったら、家のことは家政婦さんにぜーんぶ任せて、気ままに暮らしたい!(笑)」
木村「その潔い宣言に、いまどれだけの女性が救われたか! お子さんが生まれてから十何年、ずっと“母親” 兼 “妻”、 兼 “女性” をやっているのに、「生活に興味がない」という告白ができる岡さんを尊敬します。役割にプレッシャーを感じたり、投げ出したくなったりした経験はありますか?」
岡「いや、それは全くないんですよ。何十年も毎日毎日、家事や子育てをしていれば、「やだなー」って腰が重くなる日もありますけどね。でも、「これを片付ければ自分の時間が待ってる!」と気持ちを切り替えた瞬間、ものすごい機敏に動き出すんです、私。ネガティブな感情を抱え続けることができないタイプなんでしょうね。ただまぁ、生活には興味が…」
木村「何度言うんですか!(笑)」
処方した本は…『日日雑記(武田百合子)』
木村「「生活に興味がない」とおっしゃる岡さんに対して、なぜ!?と思われるかも知れませんが、どういうわけか、この本について岡さんと話してみたい衝動に駆られてしまいました。なぜだろう(笑)」
岡「『日日雑記』って、タイトルがまさに生活を言い表していますね。たしかに、なぜ(笑)」
木村「ちょっと、思うままに話してみますね。これは、『富士日記』『犬が星見た』などで知られる武田百合子さんの遺作となったエッセイ集です。《起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。》っていう冒頭のリフレインが、その先に綴られていく内容を予兆しているかのように、『日日雑記』には、晩年の百合子さんの生活がつまびらかに記録されています」
岡「わぁ、新聞の折込広告の文面まで正確に記されてますね。銀座、代々木公園、新宿伊勢丹、歌舞伎座。観た映画のタイトルや食堂の品書き、市場に並ぶモノの値段まで…。固有名詞と情報量がすごいですね」
木村「そうなんです。武田百合子さんという人は「眼の人」だと私は思っていて、そのまなざしの鋭敏で精確で、対象に媚びないところに私はすっかり魅了されています。ただ、どんな因果か、晩年には視力を失っていってしまうんです」
岡「これが遺作ということは、この本の中にも、徐々に視力を失っていく様子が描かれるんですか?」
木村「感情的に綴られることはないんですが、見たものの羅列のあとに、「眼がよくなりますように」という言葉が祈りのように置かれるシーンとかはあって、胸を突かれてしまいます。ここに綴られているのは完全に彼女の生活なんですが、「生活感」は感じなくて。なんでだろう、ってずっと考えていたんですが、もしかしたらこの作品は、死期を悟った彼女が、「目に見えるものに別れを告げていく、その覚悟の記録」として残したものでもあったからなのかもしれません」
岡「私、死ぬより恐ろしいことって目が見えなくなることだと思ってるんです。いま木村さんの解釈を聞いていて、つくづく、私は生きている限り多くのものを見たい人間なんだなって実感しました。武田百合子さんが最後に見たものの記録、覚悟して読みたいと思います」
対談を終えて。
対談後、『津軽』を購入してくれた岡さん。「今度、作品の舞台になった竜飛岬まで、“撮り鉄” 仲間と向かってみたいです」と話してくれました。次回の横顔オーダー会は、名古屋市那古野小学校跡地にて開催予定とのこと。詳細は、下記ホームページにてチェックしてみてください。