財も福も熊手でかっこめ。江戸から続く酉の市へ。
「お手を拝借、イヨォー!」や「商売繁盛、ますます繁盛 よぉ〜お」など掛け声は様々ですが、いずれも粋でいなせ。これぞ江戸の風情です。

酉の市は良い正月を迎えるための最初の祭礼。江戸っ子がこぞって訪れ、松尾芭蕉の弟子である宝井其角も「春をまつ ことのはじめや 酉の市」と詠みました。
1年の無事を感謝して次の1年の開運招福を祈る。この節目に気持ちを区切って、未来に目を向けるのは私たちにとっても大切なこと。暦のめぐりで今年の酉の市は2回、二の酉が連休最終日の11月24日にあたります。縁起熊手や熊手守りで財も福も良縁もたっぷり掻きこみ、2026年に向けて運気を上げていきましょう!
その一 かみさま&ほとけさまの両参りで、福を授かる浅草酉の市。
露店の規模も参詣客の数も日本最大とされるのが浅草酉の市。毎年、隣り合う長國寺と鷲神社に市が立ち、大変な人出で賑わいます。
江戸時代の鷲神社は鷲大明神とも呼ばれて長國寺と境内を共有しており、田圃を挟んで吉原の遊廓とご近所さん。酉の市の日には、いつもは閉じている通用門が開放され、見物客の通り抜けが許されたのだとか。そのおかげもあってか浅草酉の市は盛況を極め、その様子が多くの浮世絵に描かれました。

酉の市の由来には諸説あり、一説によれば江戸近郊の花又村(現在の足立区花畑)の鎮守・鷲大明神に収穫の感謝を捧げる祭礼が起源だとか。氏子が鷲大明神に奉納したニワトリは、祭礼の後で浅草寺まで運び観音堂前で放してやったのだといいます。花又の酉の市は社前で辻賭博が開帳されたこともあって、江戸市中から人々が訪れ盛況となりますが、その後賭博禁止令が出たこともあり、やがて酉の市の賑わいは鷲大明神が勧請された浅草長國寺に移りました。
それから現代に至るまで、浅草酉の市は江戸の賑わいを伝えています。

長國寺では、古くから開運招福の熊手守りがあります。その名も「かっこめ熊手守り」。小さな熊手に稲穂と御札がついたもので、江戸っ子たちは髪や襟首に差して粋を気取ったのだとか。今も変わらず酉の市限定で授与されています。

「開運大熊手守り」なども授与。
東京都台東区千束3-19-6
http://otorisama.jp/
明治政府の神仏分離策により、鷲大明神は鷲神社となり長國寺と分割されます。鷲神社によれば酉の市は、神代の昔に日本武尊が東征の勝利を天日鷲命(=鷲大明神)の社に祈願し、その御礼参りした日が11月酉の日だったことに由来するとされます。

鷲神社の酉の市は午前0時の一番太鼓を合図にスタート。「鷲舞ひ」が奉納され、熊手御守の授与が始まります。なんでも、祭礼の始まりとともに熊手御守を最初に手にした人は、一番札をもらえて24金の純金小判根付と交換してもらえるのだとか。但し、どの御札場から一番札が出るかはヒミツで限定3本のみ。ハードルは高いけれども、トライする価値はありそうです。
東京都台東区千束3-18-7
https://otorisama.or.jp/
その二 酉の市のルーツはここから。花畑・大鷲神社。
酉の市発祥の地とされ「花畑おとりさま」の別名でも知られる神社。室町時代に御祭神の日本武尊の命日とされる11月の酉の市に祭礼が行われ、農具や農産物を売る市が立つように。これが後に酉の市になったといわれます。その賑わいは、参詣の人々の重さで千住大橋が下がるほどだったとか。

いつの頃からか熊手に稲穂と御札のついた「かっこめ」が授与されるように。今も「かっこめ」は「開運扇」と共に酉の市限定の授与品です。

その三 新宿・花園神社。祭りの賑わいは靖国通りや明治通りにまで。
新宿の総鎮守・花園神社の酉の市は別名「大酉祭」。関東三大酉の市のひとつとして知られています。境内いっぱいに熊手の露店が所狭しと並び、参詣の人で溢れんばかり。酉の市名物の切り山椒を含む食べ物の屋台は境内だけでなく靖国通りや明治通りにまで続き、お祭り気分を盛り上げます。

新宿ゴールデン街や歌舞伎町が近いこともあり、海外からの観光客も含めて夕方以降は一層賑やかに。お参りの後に御守りや熊手を手に入れてから、おでんと熱燗を楽しむのもオツなものです。
東京都新宿区新宿5-17-3
http://hanazono-jinja.or.jp/
これを機に縁起熊手を求めようと思っているなら、まずは小ぶりなものを! そこから年々、大きくしていくのが吉といわれます。サイズもデザインも店によって様々。じっくり見て周り、これぞ!という熊手を見つけましょう。そして帰り道は、より大きな福をかっこめるよう、熊手を正面に向けて高く掲げて意気揚々と進むべし。
向こう1年、運を開き福を呼び込む相棒として大切に。来年の酉の市で大きな熊手を求められるよう精進しましょう。
















