Hanakoを彩る名シェフが、いま語る。 スターパティシエにインタビュー #2〈テオブロマ〉土屋公二さん
1988年に創刊された雑誌『Hanako』は35周年。記念すべき今号は、これまでのHanakoスイーツ特集を振り返る記念企画をお届けします。今回は、これまで何度となく誌面に登場いただき、活躍初期から追い続けたスターパティシエ3名のインタビューとシグネチャースイーツをお届け。二人目は〈テオブロマ〉土屋公二さん。いまや世界を舞台にする名パティシエが語る、 この三十余年と、自身の代名詞となるスイーツについての物語。
“ベストを尽くし社会貢献することが己のためになる”
洋菓子修業のため、1982年に渡仏しショコラトリーなどで6年を過ごした土屋公二さん。帰国後、洋菓子店とチョコレート専門店でシェフとして10年の経験を積み、東京・富ヶ谷で〈テオブロマ〉を開いた。まだ個人経営のチョコレート専門店がなかった時代だ。
〈テオブロマ〉のオープンは1999年3月。当時はまだ、個人でカカオを仕入れるルートが確立していなかったことや、チョコレートを作るためには大規模な設備が必要なため、日本では工場生産が当たり前だった。
「フランスで吸収したチョコレートの味覚や技術を自分の店でも表現したかったのですが、忙しさとスタッフの経験不足のため、最初は生チョコだけしか作れなかった。30種類のボンボンショコラが店に並んだのは、年末近くになってからでした。その頃からお客さんが増え、毎日のように取材が入り、思い出したくないくらい忙しかったな。そんな中でも、”食べた人が喜んでくれるなら、取材を受けることで世の中に貢献できるなら"と思い、断ることはしなかったね。いつか自分に戻ってくればいいんです。Hanakoを含め、当時の雑誌や新聞などの記事は、すべてスクラップしてあるよ」
オープンから24年が経ち、変わることなく貫いていることがある。
「大量生産ではなく自分の目で見て管理できる量を手作りし、見た目よりも食感や口どけを大切にすること。それがすべておいしさにつながるから」
今夏、2つの支店〈カカオストア〉と〈プリンカフェ448〉を統合する準備を進めている。
「券売機を導入するなど、働きやすい環境を整えて、若い人を育成する場にしたい。Z世代、さらに先の世代を応援することも、ショコラティエのパイオニアとしての自負であり責任ですね」