Hanakoを彩る名シェフが、いま語る。 スターパティシエにインタビュー #1〈モンサンクレール〉辻口博啓さん
1988年に創刊された雑誌『Hanako』は35周年。記念すべき今号は、これまでのHanakoスイーツ特集を振り返る記念企画をお届けします。今回は、これまで何度となく誌面に登場いただき、活躍初期から追い続けたスターパティシエ3名のインタビューとシグネチャースイーツをお届け。一人目は〈モンサンクレール〉辻口博啓さん。いまや世界を舞台にする名パティシエが語る、 この三十余年と、自身の代名詞となるスイーツについての物語。
“独立後、Hanakoと歩み始めたパティシエ人生”
東急線自由が丘駅から徒歩約10分。坂を上りきった地に〈モンサンクレール〉が立つ。25年の時が流れ、日本を代表するパティシエとしてゆるぎない地位を確立してからもショコラコンクールに挑戦し、 6年連続で金賞を受賞するなど、技術を磨き続けている。
小学校3年の時、洋菓子職人になる夢を思い描き、1988年に東京・自由が丘で〈モンサンクレール〉を構えた、辻口博啓さん。18歳で石川県七尾市から上京してパティシエ修業をスタートし、23歳の時に「全国洋菓子技術コンクール」で史上最年少優勝を飾る。その後も数々の大会で優勝を重ねた。
「自分にはお金も地位も名誉もない。とにかくコンクールで優勝して成りあがるしかないと思い、寝る時間を削って勉強し、技術を磨く日々でしたね。そうすることで、メディアに取り上げられて、世間の人が注目してくれるはずと。実際、お店をオープンしてまもなく、取材を受ける日々が続きました。Hanakoを手にしたお客さんが店の前に並んでいる姿は、今でもよく覚えています。“スイーツ”や“パティシエ”という呼び方は、この頃にが定着させましたよね」
25年を経た現在、製菓専門学校や複合温泉リゾート施設も手がけ、活躍の場を海外へも広げている。
「独立後、初めてこの地で店を立ち上げた時は想像もつかなかった。ブランドをいくつ持っても原点はここ。オープンの頃からよく取材でも取り上げていただいた『セラヴィ』など、ずっと看板であり続ける品も揃えています」
21年前のHanakoのインタビューで、60歳の頃にはパリやニューヨークに出店したいという記事があった。
「あと数年あるからね。まだまだ先に向かって進みますよ。頭の中に山ほど構想があるから休んでいられないね」