たしかに繋がっている。それでもわかり合えない娘と父。失望と創造に揺れるふたりの先にあるものとは。映画『センチメンタル・バリュー』の見どころ
今作がおひとり様映画におすすめな理由
わかり合えなさを探求した先にある優しい余韻が琴線に触れる名篇。演技や映像、音楽に編集など一つひとつの要素が卓越しており、鑑賞後にはじっくりと反芻したくなるはず。その繊細な魅力をより深く味わうためにも、まずは一人で向き合うように鑑賞するのがおすすめ。
親子の絆こそがもっとも尊い。親子愛があればどんな困難にも打ち勝てる——。それは古今東西、あらゆる物語のなかで繰り返し主張されてきたことだが、私たちの多くは「家族」がそんなに単純でないことを知っている。深いつながりを感じていてもわかり合うことは難しく、ときに致命的に関係がこじれてしまう。むしろ数多の物語が「尊く、美しく、強固な家族の絆」を提示してきたからこそ、その理想との乖離に苛立ちや痛みを覚えてしまうのかもしれない。2月20日(金)に公開される『センチメンタル・バリュー』は、そうして生じたある親子の大きなひび割れを、いくつかの視点から静かに見つめ直していく作品だ。
監督は『わたしは最悪。』(21)で国際的な名声を獲得したヨアキム・トリアー。これまでも『母の残像』(15)や『テルマ』(17)といった作品で家族の相互理解の難しさを扱ってきた名匠が、本作では「映画監督とその娘」という設定から再び家族を描くことに挑んでいる。トリアーの祖父である映画監督エリック・ローチェンが戦時中に経験した出来事を物語に織り込むなど、これまでにないパーソナルな側面を持ちながらも普遍的な家族の難しさを紐解く本作は世界中で共感を呼び、ノルウェー製作の非英語映画でありながら第98回アカデミー賞に作品賞含む8部門で9ノミネートを果たすという快挙を達成。特にメインキャストである4人全員が俳優賞でノミネートされたことで注目を集めている。
オスロで活動する俳優のノーラ(レナーテ・レインスヴェ)と、夫と息子とともに穏やかな暮らしをしている妹のアグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)。母親を亡くしたばかりの彼女たちの前に、かつて家族を捨て長らく音信不通となっていた映画監督の父親グスタヴ(ステラン・スカルスガルド)が現れる。彼の目的は、15年ぶりの復帰作となる新作映画の主演をノーラに依頼すること。「お前のために書いた。かつて家族で暮らした家で撮る」と説得されるも、家族を裏切った父への怒りと失望を抱えるノーラはきっぱりと拒絶する。
ほどなくして、グスタヴは映画祭で出会った気鋭のアメリカ人俳優・レイチェル(エル・ファニング)に、映画の主演を委ねることを決断。プロジェクトは動き出し、グスタヴはノーラたちの実家で撮影に向けた準備を始める。そこは少年時代のグスタヴが母親を失った家でもあり、脚本には彼の母親に起きた出来事も反映されていた。思い出の詰まった家に戻ってきた父の存在は、ノーラの心に静かな波紋を広げていくのだった——。

<センチメンタル・バリュー>とは、日本語で「(金銭的・客観的ではなく)感情や記憶に根ざした価値」と訳され、思い入れのあるモノや非物質的な対象に付与される概念である。少女時代のノーラが、父の不在を「家」の視点から綴った作文をナレーションが読み上げて物語が幕を開けるように、本作の中心には一貫して「家」という空間が据えられる。トリアーはこれまでの作品で、移ろうオスロの街に登場人物の内面を投影してきたが、本作では家族の歴史を刻んできた家こそがその役割を果たすのだ。それはヒビや歪みを抱え、金銭的価値の尺度では決して優れているとは言えない家であるが、家族にとっては<センチメンタル・バリュー>を宿した場所。長年停止していた父娘の関係は、その空間を介して再始動することになる。
ノーラは母の葬式後、突如現れた父に苛立ちを滲ませる。悪びれる様子もなく、まるで良い話かのように映画の話を持ち掛けてきたのだから無理もない。グスタヴは当然受け入れられるという算段だったのか、娘の激しい拒絶に戸惑いを見せる。過去の行動に疑問を抱く娘と、これからの作品づくりで繋がろうとした父親。見ている方向がまるで逆の父娘の会話は噛み合わず、彼らをほとんど同じ画角に収めないカメラがその距離を浮き彫りにする。だがそんな理解し合えないふたりのベン図は、芸術という領域で奇妙に重なり合うのだ。

演劇や映像作品で俳優として活躍するノーラのキャリアは順風満帆のようで、そこには危うさや不安定さを孕んでいる。舞台が始まる前にはその重圧に情緒が乱れて自暴的な振る舞いをとるが、それでも舞台上で万雷の拍手を浴びる彼女の姿は何よりも輝かしい。またグスタヴは家族との関係に断絶を残しながらも、監督として高い評価を受ける作品を生み出してきた作家である。映画祭で回顧上映された彼の作品にレイチェルが深く感銘を受け、ふたりが映画について語り合う場面は非常に甘美だが、その映画は彼の娘にとっては痛みの記憶に他ならない。そうして本作は章立てのような構成で視点を変えながら、ノーラとグスタヴが携わる芸術の美しさと痛み、その両義性を浮き彫りにしていく。

典型的な家族ドラマであれば、芸術という共通項を持つ父娘が映画製作を通じて絆を取り戻す物語が描かれそうなものだが、本作は安易な和解に向かうのではなく、わかり合えなさを抱えたまま揺らぐふたりの関係を丁寧に掘り下げていく。作為的な大きな事件に頼らずとも、多角的な視点や時間的な飛躍を織り交ぜ、映画的な面白さを追求したトリアーの手腕には驚くばかりだ。
父と娘、すれ違い続ける関係はやがてどのような変容を見せるのか。その美しい帰結はぜひ劇場で見届けてもらいたい。芝居に映像、編集に音楽などあらゆる要素が高い水準で調和した本作は、鑑賞後にじっくりと反芻したくなること間違いなし。その繊細な魅力を存分に受け取るためにも、まずは一人で鑑賞することをおすすめしたい。
1988年、奈良県生まれのライター。主に映画の批評記事やインタビューを執筆しており、劇場プログラムやCINRA、月刊MOEなど様々な媒体に寄稿。旅行や音楽コラムも執筆するほか、トークイベントやJ-WAVE「PEOPLE’S ROASTERY」に出演するなど活動は多岐にわたる。
公開情報
2026年2月20日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
https://gaga.ne.jp/sentvalue_NOROSHI/about/
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