植本一子が東京で初めて引っ越した街、世田谷区上町の思い出。
ふたたび訪れてみたら
そろそろやってくる新年度。新生活をはじめるという人も多くいるでしょう。いま活躍する人は、新生活をどんな場所でどんなふうに過ごしていたのか?今回は、写真家の植本一子さんに、東京で新生活をスタートするのにおすすめの街と、その街の思い出を綴ってもらいました。
東京へ来てちょうど20年が経ち、実家で暮らした時間を越えてしまった。最近見かけた物件情報サイトのCMの中で「人生で人は4回しか引っ越さない」というフレーズがあり、自分は何回引っ越したんだっけ、と数えてしまった。
住んで6年になる今の家に引っ越したのが4回目。血眼になって賃貸サイトを見ていた頃、パッと出てきた物件だった。相場よりも安い価格なのに最上階の角部屋という良物件、家族に有無を確認せずに契約したけれど、本当に出てこないのだ、ペット可のファミリー物件は。
子どもたちに環境が変わるストレスを与えたくないと思うと、住む町は大きく変えられない。住めば都という言葉がある通り、初めは何の思い入れもなかったこの土地にも馴染みきった。今の家も、古いバスルームをなんとかしたいとか、もうちょっと広い台所だったら、などと考えなくもないけれど、南向きの大きい窓からの日当たりは私にとって何より大事な条件で、少なくとも中学生の娘が卒業するまでここから引っ越すことはなさそうだ。
20年前、東京へ出てきて一年経った頃に引っ越したのが上町だった。当時付き合っていた人の家が三軒茶屋にあり、何となくそのあたりの物件情報を見ていたら出てきたもので、その時住んでいたマンションの家賃とそう変わらないことを理由に、親の許可を取る前に不動産屋に駆け込んだ。
すぐに内見をして、格段に広くなる室内と、何も遮るもののない7階からの景色に即決だった。初めて住んだ物件は、東京のことも、家を借りるということも、右も左もわからない私と母でなんとかしたものだったから、部屋も、場所も、何もかも自分では納得できないまま新生活が始まってしまったように思う。一人暮らしに希望や憧れがあっただけに、最初の家は好きになれず、だからこそ自分で決めた上町の生活は嬉しかった。世田谷区世田谷という住所も、映画の設定みたいに思えた。
今でもそう遠い場所に住んでいるわけではなく、上町に用はなくとも、なんらかのタイミングで通りかかったりする。今回この原稿を書くこともあり、久々に出かけることにした。
予定のないよく晴れた日曜の朝、のんびりと自転車を漕ぎ出す。うちからの方角だと豪徳寺を通るのだけど、ここからすでに懐かしい。とはいえ最近もちょこちょこと寄る街だから、新生活を始めたあの頃を思い出すと、だ。
小田急線を使った日は、世田谷線に乗って帰るか、歩いて帰るか、気分で決めていた。歩いたって20分くらいなのだけど、豪徳寺の商店街を抜けた先にある世田谷八幡宮横の横が、夜はざわざわとして怖かった。神社の目の前にあるたこ焼き屋は今も健在。そして遠くに見えてくるオオゼキの看板。家の目と鼻の先に、こんなに充実したスーパーがあるのは幸福なことだった。
当時良く行っていたのは、「亜細亜食堂サイゴン」と肉まんの有名店「鹿港」。最近になって「バーボン」という老舗の洋食屋さんへ初めて行ったけれど、20歳の自分が知っていたとしても緊張して入れなかったかもしれない。今の自分だから繋がる場所やお店もたくさんあって、出会いはただのタイミングだと思う。
今日は友人が教えてくれたおすすめのパン屋さんへ。世田谷通りにある「サイクリングショップツバサ」の看板が懐かしい。向かっているのは上町と桜新町の間にある「ベッカライ・ブロートハイム」。途中、見覚えのある大きな建物を見つけ、通い詰めた中央図書館だと気づいた。ここまでは来ていたのに、このすぐ先にあるパン屋さんのことは全く知らなかった。これも「バーボン」と一緒で、20歳前後の私が、ハード系のパンの美味しさがわかったかといえば怪しい。今では硬いパンも大好きで、目移りする店内であれこれ選び、友人おすすめのあんぱんも買う。
帰り道、豪徳寺の商店街をゆっくりと進んでみた。噂に聞いていた新しくできたお花屋さん「ハッカニブンノイチ」には花だけでなくレコードも売っている。気に入った春の花を1本選んで、もう2本ほど合うものを見繕ってもらう。自分では選ばない組み合わせができるから、お店の人に花を選んでもらうのは楽しい。
今日は春みたいに暖かい日曜日で、商店街の人通りも多い。最後は「愛騒」へ。私と同い年の店主がやっている喫茶店で、オープンして一年経った。すっかり人気店で、今日も入れるかはわからない。「ベッカライ・ブロートハイム」を教えてくれたのも店主である友人で、お店で出しているパンが美味しかったから聞いたのだ。
思えば20年もこのあたりをうろうろしている。相変わらず気に入っているお店と、新しく好きになった場所も人も混在していて、思い出もひっくるめてそれらを大事に感じているから、私はこれからもこの街に通い続けるのだろうな、と思っている。