今日が最後の日でも後悔はないか。伊藤詩織さんの“普通”に囚われない自分に正直な生き方
今の自分を形作っている、これまでの数々の選択。過去のもの、そして現在進行形のもの。それらは、自分に嘘がないものだろうか。年齢やお金、子ども、親など、自分の外側にある要素で自分の生き方を縛ってはいないだろうか。“ひとりのひと”として、自分に正直に生きるには。そのヒントを求めて、カメラのレンズを通し、世界中の多様な人々を見つめ続ける映像ジャーナリストの伊藤詩織さんに、彼女が大切にしていることを等身大の言葉で語ってもらった。
自分に正直な生き方って難しい
かの有名なシェイクスピアがいうように、人生は選択の連続。朝、起きる時ですら、「今、この布団から抜け出すか、否か」という選択から始まり、日々、絶え間なく選択に迫られ、その積み重ねが今の自分を作っている。だからこそ、一つひとつの選択が、その時の自分にとって嘘のないものであれば、きっと人生は他者からの評価は抜きにして、最良のものになるはず。
とはいえ、そう頭で理解していても、自分に正直に生きるって案外難しい。やりたいことがあってもキャリアや年齢、家族、人間関係、お金、あらゆることを総合的判断し、現状維持が一番と自分に言い聞かせてみたり、モヤモヤしているのに長いモノに巻かれてみたり、“力を持つ存在”に迎合してしまったり。
“こうあるべき”という社会的な規範や“、女性なら〜”、“男性なら〜”というジェンダーステレオタイプに縛られることなく、“ひとりのひと”として、自分に正直に生きるには。そのヒントを求めて、カメラのレンズを通し、世界中の多様な人々を見つめ続ける映像ジャーナリストの伊藤詩織さんに、彼女が大切にしていることを等身大の言葉で語ってもらった。
自分に合った別の場所、別の選択が必ずどこかにあると思えたから
まわりを温かく包み込む太陽のようなひと。そんな印象を抱かずにはいられない、映像ジャーナリストの伊藤詩織さん。日本の「#MeToo」を切り開き、著書『Black Box』では、性暴力被害者を取り巻く現状について、世の中に問いを投げかけ、次いで執筆したエッセイ『裸で泳ぐ』では、声をあげてからの“それから”の日々について、ありのままを綴った。
著書に並ぶ言葉一つ一つから伝わる真っ直ぐな生き方。その原動力は?と尋ねると開口一番、返ってきたのは「たぶん、もともと忍耐力がかなり“ない”ほうなんです」という意外なひと言が。
「忍耐力がないからこそ、自分がしたくないことがものすごくストレスになる。だから、早めにその回避をしているだけなのかなと。それに、これまで生きてきた中で、自分に嘘をついてしまったことが後々、後悔となって重荷になるっていうのを体感してきたからだと思います」
自分に正直な選択を。このスタンスを築く原体験は、子ども時代にあったという。
「公立の小学校に通っていたのですが、みんなで同じことをして、みんなで同じ答えを出す、という日本の学校教育のスタイルが私には全然合わなくて。でも、他を知らないから、当時はそれがスタンダードなんだ、と思っていました。
その考えがガラッと変わったきっかけが、中学生の時、病気で入院して院内学級に入ったこと。院内学級では、当然“みんな同じ”はない。寝たきりの子もいるし、パジャマのままの子もいる。悲しいけれど、次の日にはいない友達もいる。
そんな環境に身を置いたときに、生きているだけでいいんだって思えて、自分の中のいろんなものが外されたんです。限られたクラスや学校、地域というコミュニティだけじゃなくて、生きていくには違う場所もあるということを13、14歳のころに身を持って体験したのは大きかったですね」
世界各地を飛び回り、これまでに訪れた国は73か国にのぼる伊藤さん。日本を飛び出したのも、この体験が背中を押した。小中学校では、“みんなと違う”ことを口に出すと反発に遭ってしまったことへの違和感から、違う場所を求めて高校では交換留学のプログラムで渡米。
「カリフォルニアのキラキラ高校生みたいなのをテレビで見て憧れて。アメリカはオープンでいろんなことが言えて、パーティーをして、みんな楽しそう! なんて想像していました。でも、実際に行った場所は、保守的なカンザスという場所で、日本に対してのイメージもびっくりするようなものばかり。
ただでさえ、その当時は英語も全然話せなかったことに加え、ネットも今みたいに発達していなかったので、家に電話をするのもひと苦労。親の大反対を押し切っての渡米だったので、自分から帰るとは言えなかったし、本当に孤独でした。でも、そのおかげで情報の大切さを認識し、ジャーナリストを志すようになったんです。
ジャーナリストとしての働き方も、いわゆる日本の就活をして企業に務めるというルートは合わず、自分なりの道を選んだ。きっと“他にもチョイスがある”ということが常に頭の中にあったからこそ、他人軸ではなく、自分で決めることができたんだと思います。たとえそれが間違ったな、と後から思っても自分で決めたから納得感もあります」
今日が最後の日でも、「よくやった」と思える毎日を生きたい
自分のやりたいことを選び取るのは体力がいるし、何より勇気がいる。伊藤さんにはそれを後押ししてくれる言葉があるといって見せてくれたのが一冊の本。
Live every day as if it were your last, because one day it will be.
——今日が最後の日だと思って、毎日を生きよう。いずれその日はやって来るのだから。
「確か、10歳くらいの時に初めて自分のお金で買った本なんです。動物が大好きだったから、選んだのがこの動物の写真集。ものすごくボロボロで最近買い直しました(笑)。
院内学級に通っていた時、自分と同じ年齢の子が明日はいるかわからない、という状況で、この言葉が本当に身に染みたんですよね。この言葉があったから、言語が通じなくたって、誰も知らなくたって、海外でどんな生き方ができるかやってみようと思えた。
それは今も同じで、本当に今日が最後の日だったら誰に会いたい、何が食べたいって自分に問うんです。時々、お腹いっぱいなのにラーメンが食べたいなって思うと、明日終わっちゃうかも!と思って食べて、後悔しちゃったりはするんですけど(笑)。
でも、今日、いつ終わっても「うん、大丈夫。よくやった!」って思えるような決断、選択をしようって思っていますね」
普通という枠にはまらない、わがままな生き方は美しい
世界中をみてきたからこそ、伊藤さんが大切だと感じていること。それは自分のアイデンティティを何かに縛り付けないことだという。
「特に、日本は家族や社会、自分の所属するコミュニティにアイデンティティが強く結びつき、それが当たり前のように語られがちですよね。もちろん、悪いことではないし、ベルリンとかヨーロッパにいると、オープンで自由で生きやすい反面、個人主義が強くて、ちょっと寂しくなっちゃうときも。
だけど、アイデンティティを何かに結びつけることが、人生の足枷になってはいけないと思います。どんな時も最終的には自分でいろいろな選択ができるということを忘れちゃいけない。自分の命があり、自分が動けば選択できるチャンスは誰にでも等しくありますよね。
私自身、それに縛られている友人を見てきたし、縛られて生きていくのも自分のチョイスだから、それ自体が悪いことではない。でも、やっぱり自分の人生だから。子どもがいようが、親がいようが、自分がよかったと思える選択をしたいですよね。日本だとあまりいい印象を持たれないですが、“わがままに生きる”ということがもっともっと美しくあってほしいなと思います」
日本では、協調や和を重んじるばかりに、わがままという言葉は、自己中心的など、ネガティブな意味合いに捉えられがち。“みんな”なんて本来存在しないのに、”普通”とされる、“みんなと同じ方向”から外れることへの風当たりの強さを、私達は誰しも、子どもの頃から大なり小なり経験している。
「会話のあちこちで、“普通”という言葉が乱用されているようにも感じます。それって、誰の普通なの?って思いませんか。だから私はできるだけ、他の人はわからないけれど“私は”こう思うって主語をきちんと使うようにしています。
そうじゃないと、どんどん“普通”っていう言葉が大きくなって、誰かのプレッシャーになってしまうから。主語を抜かして話す日本語はそれが怖い。誰の言葉なのか、誰にとって普通かってことを考える必要があると思います」
時には人を頼りながら。体を動かして自分を癒す
枠にはまらず、自分の中の情熱を駆動力に、動き続ける。その姿勢は、映像ジャーナリストとしての仕事にも表れている。伊藤さんがここ数年、取材を続けていた西アフリカのシオラレオネでの女性器切除=FGM(※1)の問題。約二年の取材交渉の末、60人の女の子とともに、外部と隔離されたFGMの儀式が行われる森に自身も参加。マラリアや腸チフスに見舞われながらも、体当たりでの取材をした。
また、伊藤さんが初めて監督を勤めた長編ドキュメンタリー『Black Box Diaries』が、153カ国の17435本もの映画の中から選ばれ第41回サンダンス映画祭(※2)にてプレミア上映することが決定。
取材時にそのことを報告してくれた伊藤さんの笑顔は本当に輝いていて、“自分を生きている”という喜びが全身から伝わってきた。そんなバイタリティ溢れる彼女を支えるのは、体を動かすこと。
※1 女性器切除(female genital mutilation=FGM):アフリカや中東、アジアの一部の国々で行われている、女性の性器の一部を切除する慣習。FGMを受けた女の子や女性は、出血が続き、感染症や不妊、死のリスクにさらされる。健康面及び精神面で長期的な影響を及ぼす甚大なる人権侵害にもかかわらず、現地では大人の女性になるための通過儀礼とされ、結婚の条件にもなっている地域もある。(参考:プランインターナショナルHP、ユニセフHP)
※2 サンダンス映画祭:1978年からユタ州のパークシティで開催され、これまで数多くの才能を発掘し続けてきた映画祭。インディペンデント映画を対象とし、数万人規模の客を招き約200本もの長・短編映画が上映される。第41回は2024年1月18日〜28日に開催される。
「直近の目標は、キックボクシングでアマチュアの試合にでること。きっとボコボコにされると思うのですが(笑)、とにかく楽しい! 強い女性たちがたくさんいて、本当にかっこいいんですよ。
かつて、インドに行くほどヨガが好きだったけど、ヨガとはまた違って、ボクシングは必死すぎて考える余裕がないから本当に無。ある意味、究極のヨガとも言えるかも!
あと、自分で動く余裕すらないときは、タイ古式マッサージで胸を開いてもらって呼吸を入れます。セルフケアって、流行っているし大事なんだけど、疲れていてセルフも無理ってときありますよね。だから、別にセルフじゃなくてもいいと思うんです。むしろ、他の人の力を借りてケアする。他人を頼るのも大切ですよね」
自分という軸を丁寧に扱い、ケアする。それが、巡り巡って他者、社会全体の生きやすさにつながっていく。伊藤さんの口から語られる言葉を繋ぎ合わせていった先に、そんな優しい世界が見えた気がした。