【小林美香さんインタビュー】変わりつつあるもの、変わりきれない部分。広告から見えてくるジェンダー観、ルッキズムの現在地
巷に溢れる広告。テレビや雑誌に加え、公共空間、ネット空間に所狭しと並ぶ姿はいつしか当たり前の光景として、受け手である私達の中に浸透しています。だけれども、一歩引いて冷静に見てみると、なんだかモヤっとしたり、表現の傾向が見えてきたり、広告という光景からいろいろなことを読み取ることができることに気がつきます。広告観察を続ける写真研究家・小林美香さんとともに、そこに潜む「らしさ」の呪縛を浮き彫りにし、健全な向き合い方を考えてみました。聞き手は、ライター・綿貫大介さんです。
“こうあるべき”から今一歩抜けきれない、広告表現の多様性
──小林さんはなぜ広告に興味を持たれたのでしょうか。
私は美術系の大学で講座を持ち、主に作品と呼ばれるものの分析、解説、評論を行ってきました。美術作品はたいてい、関心がある人が美術館やギャラリーに行って鑑賞するものですよね。
広告はそれとは対極的なものだと思っています。見たいと思ってなくても、目に入ってくる。ここ数年は特に、美容脱毛の広告の圧倒的な量と種類の多さが気になり、観察を続けていました。
──脱毛広告からはどのようなジェンダー表現が見て取れますか?
脱毛は身体に直接結びつくサービスですよね。抜いたり切ったりした体毛自体は単なる物質。別にそこにジェンダーはありません。でも、たとえば頭髪における髪型などは個人のアイデンティティに大きく関わってきますよね。毛もその人の一部でもあるという観点でみると、ジェンダーが関わってきます。
そして(主に女性の)脱毛という行為に関していえば、自分の意志以上に、周りからの強制力が強いように感じます。たとえば、電車の車内で脱毛広告がどういう場所にあるかというと、転職、進学塾、学校関係の広告の近くだったりする。「ここに行くのが正しい」という文脈の中に、美容も入ってきているんです。
自分の身体に対する愛着や自分を愛せるようになることが利用のモチベーションの一つだとは思うのですが、それ以上に脱毛は周りから見られても気にされないようにするとか、一般的な美の規範に従うためにするものになってきている。むしろ脱毛しなくてはダメだと思わせるような、一種ハラスメントに近いものを感じます。このように日本の広告は、規範の押し付け、支配的な価値観の刷り込みが非常に強いものになっていると思います。
──ほかに気になる広告はありましたか?
近年は、国連のSDGs(持続可能な開発目標)の採択や性的少数者をとりまく社会を反映して、ジェンダーや人種、体形をめぐって、画一的な美しさだけを推奨するのではなく、多様性をたたえる機運が高まってきました。
車内吊りの広告にも、下にSDGsについて書かれていたりする。しかし、それも内情はどうなのだろうと疑わしいものも多い気がしています。表向き多様性を謳っているけれど、ポーズだけに感じるものも多いんです。
たとえば、プラスサイズモデル(平均より大きな身体のモデル)のように体形を個性ととらえる「ボディポジティブ」の流れのなか、タレント渡辺直美さんを起用した広告も多くありました。明るくて個性的でとても魅力のある方なので、表向きにはよく見えますよね。
しかしこれらの広告のデザインやコピーを観察していくと、結局は容姿端麗な見た目の美しさに価値を与えるルッキズムのルールに世の中が基づいていることには変わりなく、ジェンダーや体形にまつわる価値観がオプションのように加えられただけであることがわかります。結局は美容産業がつくり出す表象は、ルッキズムに加担していることが見て取れます。
──今まで白人のスレンダーなモデルが美の象徴のように扱われてきたことを思えば、いろいろな体型の方が起用されることは多様性の観点からは良さそうに思います。しかし、企業自体がその変化を「流行り」のように扱っている可能性もあり、本質はあまり変わっていないということですね。だとすると、まだ注力して広告を観察する必要がありそうです。
そうですね。たしかに新たな可能性が可視化されている点のポジティブさは評価できることだと思います。ただその形式的な流れはもう見えてきたので、そろそろ次のメッセージを提案する広告が現れてもいい頃だと思っています。
自分がどう感じるか。“ただ受け入れる”、“ただ欲する”をやめてみる
──そもそも広告は一方的に押し付けられて気持ちがいいものではありません。その点についてはどのように感じますか?
これはジェネレーションの問題もあると思います。「新聞、雑誌、ラジオ、テレビ」など四大マスメディアで育ってきた世代だと、テレビCMやCMソングに何かしら愛着を持たれていたり、安心感があるという方も案外多いんです。
そのころはまだ「平和」だったのかもしれないですが、今や広告業界は7兆円産業。その多くはウェブに軸足を移しているわけですが、こちらは比較的安価に広告を出せることもあり、その量は限りなく増え続けています。
しかもお金をかけてしっかりと作られる四大メディアの広告とは違い、ウェブ広告はあまり精査されていないような粗悪な内容のものも多い。現代の広告の量と質を考えると、広告が生き物に対してかけるストレスの負担は、ちょっと考えられないぐらいになっています。
特にエロマンガ広告と呼ばれるものはその代表例だと思います。エロティックなものを見る欲望を否定するつもりはないですが、別に見たいと思ってない時に視界に入ってくるって、それはハラスメントじゃないですか。
──この現状は日本独特の側面があるのでしょうか。
同じスマホを持って外国に行ったら、途端にそういう広告がなくなったという話はよく聞きますが、それくらい日本はおかしいのだと思います。日本国内にいると他国の状況を知らない分、ウェブは無料でみられるのだから、その代償として不快に感じる広告が出てきてもしょうがないと私たちは思ってしまっている部分もあると思います。
メディアや情報のインフラは広告に支えられているとまで思っている人もいるかもしれない。でも、そんなことはないと思います。不快なものを受け入れる必要なんて本来ないんです。嫌なものは嫌だと思う権利はあるんですから。
──脱毛広告のような公共空間の広告が人々に与える影響も大きいですが、接触回数でいえばオンラインの広告もなかなかのものですね。
今はもう家族で同じ空間にいたとしても、端末によって見ているものが違う。そうなると、受けているハラスメントは、人それぞれに違うわけです。 美意識を押し付けられている人、性別役割を押し付けられている人、若さの価値を押し付けられている人、性的なハラスメントを受けている人…本当にさまざまです。だから広告の問題を議論しようとしても、共通の理解を掴むことが難しくなっています。
──広告が何かしらのメッセージを押し付けてくる一方で、私たちがそれを欲望してしまっている側面もあると思っています。私たちが抱いてしまう欲望と、資本主義社会のイデオロギーを助長している広告はむしろ、共犯関係にあるのではないかとも感じています。
そうですね。この点に関してダブルスタンダードを抱えているのはたしかです。その上で、私は自分たちの欲望に対して「これは本当に欲しいものなのか」「消費する必要があるのか」ということをしっかりと自問する必要があると思っています。
私たちはこれまで、受動的でいることや我慢強く受け入れることを教育されてきました。一方で、私という主体は何かという内側の掘り下げをする経験は乏しい。考え方を変えていくのは大変なことだとは思いますが、それを訓練してやっていく必要はあると思います。
いいことも悪いことも。対話を重ねた先にある“いい広告”と生きやすい社会
──広告業界をみていて、いい変化を感じることはありますか?
私は広告業界の人間ではないので直接的な変化を感じられているわけではないですが、この本を書いたことでさまざまな企業からお声がけをいただくようになりました。そのほとんどが、20代、30代の女性からなんです。
その方々はきっと組織の中で、すでに多くの違和感を覚えている。もしかしたら理不尽な思いをしたこともあるかもしれない。そういう方々が、何かおかしいと気づきだしているんです。問題意識を持つことで、何か変えられるんじゃないか、変えていこうと思っている若い方々がたくさん出てきていることは希望だと思います。
──広告におけるジェンダー表象について、今小林さんが気になっているトピックがあれば教えてください。
本を書いて特に反響が多かったのは、男性の表象について書いた部分でした。男性の場合はいわゆる「男らしい」とされる姿(果敢な精神、強靭な肉体などが強調されているもの)がほとんどで、まだまだ画一的すぎる。ジェンダーの表現で話題になりやすいのは、萌えだったり、女性の描き方の問題への言及がこれまでは大半だったことを思うと、男性の表象に対しても声を上げる人が増えてきたのはいい傾向かもしれません。
──ジェンダー・セクシュアリティについての表象はまだまだわかりやすい「◯◯らしさ」を強調するようなイメージが脈々と使われている。だからこそ、その違和感を企業側に伝えていく必要がありそうですね。一方で家電や洗剤などのCMでは、男は仕事、女は家事というような性別役割を固定するような広告は減ってきている気がします。
「家事をする男」「働く女」 を可視化することはポジティブな変化だと思います。ただ、たとえば洗剤のCMにイケメン男性を起用するのは推し文化、特に異性愛的な関係性に根ざした眼差しとも結びついている可能性もあると思っています。
──気になるポイントは人によって違うからこそ、完璧な広告なんて存在しないのかも知れないですね。では賢い消費者でいるために、私たちは広告とどう向き合うべきでしょうか。
みなさんで広告について話すような機会をつくるといいのではないでしょうか。大学の授業や企業のワークショップでは、まずどのような広告に触れているのかを聞き、その表現に対して思うことをみんなに共有してもらいます。
微妙な違和感を表明し、自分のものの見方・感じ方を言語化する場所をつくることが大事なんです。ハラスメント耐性がつくことはスキルではないし、生き延びる術にもなりません。対話は自分から声をあげ、表現する方法の一つです。それにクラスメイトや職場の仲間が、こういうものを見てイラっとしているか、 モヤモヤしているかを知ることは、お互いを理解して受け止め、豊かな人間関係を築く手がかりになると思います。
相手がどういう表現が嫌かを理解できれば、円滑にコミュニケーションがとれますから。そして同時に、消費者と企業がコミュニケーションをとれる場も必要です。それによって広告表現が少しずついい方向に進んでいけば、もっと生きやすくなる人も増えてくるのではないでしょうか。
小林さんの著書:ジェンダー目線の広告観察
今回のインタビューの中でも登場した脱毛・美容広告、「テキる男」像などへの考察をはじめ、広告業界の根深いジェンダーギャップ、公共性の捉え方など、私たちを取り巻く広告を観察。無意識に刷り込まれる規範や価値観を解きほぐし、「らしさ」の呪縛に抵抗するヒントが詰まった1冊です。