「猫」 | 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第59回
「猫」
近年周りがベビーラッシュで、ほわほわのリアル赤子と毎月のように対面している。芸能の仕事をしていると公的に消費してもいい存在だと思われがちだが、0歳児は相手をうがった見方でジャッジしてこないので会っていると安心する。この子たちが生きる未来が限りなく明るいものであれと、災害や戦争のニュースを見るたびに心から願う。その一方で、育児放棄や家庭内暴力のニュースを見るたびに、私は自分よりも弱い命を愛おしく思えるのか、とても不安だった。大前提としてヒトか(犬や猫など)ヒト以外の生物かで状況は全く異なるが、どちらにせよたまにしか会わない他人の子だから「可愛い……!」と思えるのであって、毎日一緒にいたら違うのではないか。
紆余曲折、葛藤の末に保護団体から猫を引き取ったのは昨年、中秋の名月が近づく頃だった。生後3カ月、月齢の近い子たちと比べるとかなり華奢。でも弱そうな印象はなくて、むしろ堂々としていた。ケージから出されても慌てず、ほかの猫からニャアだのシャアだのと叫ばれても一切怯えず、淡々と前を通り過ぎる姿にスター性を感じた(もう親バカ)。人に触られることが嫌いになってしまうと後々大変だと聞いたので、迎えてからは毎日ちょっとずつ爪を切ってみたり、耳掃除をしたり、用がなくても抱っこしていた。多少の抵抗ですぐ観念するのでおとなしすぎて心配していたが、病院で診てもらっても異常はないので、そういう性格らしい。避妊手術で入院したときも看護師のお姉さんに擦り寄るという人懐こさを発揮していたらしく、点滴や注射も逃げず、鳴いても弱めの「みゃん」で終了。帰りはまさかの先生たち総出でのお見送り。同居人に似て(?)肝が据わっている。
今では名前を呼ぶと寄ってくるし、放っておいても後を付いてきて、絶対に私の姿が見える場所でくつろいでいる。私がお風呂に入っていると半透明のドアの向こうでシルエットがうろうろ。出かける準備をしていると察して玄関で待ち伏せし始める。後ろ髪を引かれながら「行ってきます」と言って別れ、帰宅すると猫が奥から寝ぼけた顔で迎えに来るので、こちらも自然と口から「ただいま」が出る。猫の寝る場所の変化で冬の始まりを感じ、春になると私のブレインスリープ ピローを独占するようになり、そうして今年の6月25日、うちの子が1歳になった。
この子が私の隣で安心して眠っている、という事実が、目の前に横たわっている。その姿に、私は大きな自信を与えてもらっている。我が家に来た友人が「怜奈のところに来れてよかったねえ」と何度も話しかけていたときは笑ってしまったが、猫が実際どう思ってるかは分からない。何も考えてないかもしれないけど、猫は問答無用で生きてるだけで偉いので、このまま快適に暮らしていただきたい。いや、本来は人間も生きてるだけで偉いのにうっかり忘れがちなので、猫と一緒にいることでそれを頻繁に思い出して励めたらいい。猛暑にエアコンを四六時中付けっぱなしにできたり、急に具合が悪くなったらすぐに病院へ連れていけるくらいの資産を持っておこう。かあちゃんがんばる。
本連載をまとめた初の書籍『山崎怜奈の言葉のおすそわけ』が絶賛発売中!
ご購入はこちらから。