サントリーホール育ちの、4人。
文筆家・塩谷舞による「今日、サントリーホールで。」Vol.3
「何か豊かなものに触れて気持ちを切り替えたい。美術館で何かいい展示してないかな、映画館は……」。そんな日常の選択肢に加えて欲しいのが「コンサートホール」。クラシックといって構える必要はありません。純粋に音を楽しむのはもちろん、目を閉じてゆっくりと息を吸いながら、最近の自分のことを振り返ったり、あるいは遠くの場所や知人のことを思い出したり。ホールを出るころには心と体がふわっと軽くなる。文筆家・塩谷舞がサントリーホールで体験して綴る、「コンサートホールのある日常」。
photo : Hiroyuki Takenouchiクァルテットに、耳を澄ませて。
大は小を兼ねると言うけれど、音楽鑑賞においてはそうも言えないんじゃないかしら、といつも思う。大きなライブ会場で小さなパフォーマーを見つめるよりも、私は奏者の息遣いまで感じられる距離感で音に身を浸したい。つまり想像し得る中で最高の贅沢は、自宅のリビングに演奏家を招いた私的な演奏会……と、そんな貴族のようなことは夢のまた夢なのだけど、それに近い音楽体験を楽しめるのが、今回ご紹介する室内楽の演奏会。
1月某日、サントリーホールの小ホール「ブルーローズ」を訪れた。拍手と共に登場したのは、ヴァイオリニストの三澤響果さんと菊野凜太郎さん、ヴィオリストの山本一輝さん、そしてチェリストの築地杏里さん。2015年、桐朋学園在学中に結成されたクァルテット・インテグラという弦楽四重奏団だ。結成8年目とは言えまだ20代の若手で緊張しているようで……ということもなく、むしろ会場全体の空気をも柔らかく変えてしまう程のリラックスした笑顔。それもそのはず、ここサントリーホールは彼ら彼女らにとって、第二の母校とも言える場所なのだ。
サントリーホールは2010年から室内楽のアカデミーを開講し、若手の演奏家たちに多くの学びの場、そして演奏の機会を作ってきた。クァルテット・インテグラの4人もその修了生。サントリーホール館長で、日本を代表するチェリストでもある堤剛さんらの熱のこもった指導を4年間受け、その後国際コンクールでも輝かしい受賞を果たした。つまり今回は母校での凱旋公演、という訳なのだ。
4人が目を合わせ、次の瞬間には呼吸を合わせて、そして同時に弓を引く。まるで馬とぴったり息を合わせて軽快に駆けていく騎手のように──ハイドンの弦楽四重奏曲第74番『騎手』が奏でられる。あぁ、室内楽は、特定の指揮者がいないところが面白い。奏者一人ひとりが指揮者になりながら、互いの音を聴き、動きを感じて、音色が混ざり合っていく。私が文章を生業にしているからだろうか、そうした言語を超えた感性の共鳴を目の当たりにすると、なんて羨ましいのだろう!と焦がれてしまう。
次いで、生クリームの中に溶けていくようなラヴェルの弦楽四重奏。そしてヴィオラの悲しげな旋律から、混沌とした世界に落ちていくようなバルトーク……。素晴らしい演奏を終えた彼らに沢山の拍手を贈っていると、「ブラボー!」という声……ではなくプラカードを掲げているおじさま方を客席に発見。なるほど、感染対策で声が出せない代わりに準備して来たのね、熱心なファンの方々!と微笑ましく見ていたのだけれど、実はサントリーホール室内楽アカデミーのファカルティでもある一流演奏家の方々でした……。なんてあたたかい第二の母校!
クァルテット・インテグラの4人は日本での凱旋公演を終えたら、現在レジデント・アーティストとして在籍しているロサンゼルスのコルバーン・スクールに戻るそう。第三の母校を経て、若い彼ら彼女らの四重奏がこれからどう変化していくのかしら。追いかけたくなって、思わずSNSをフォローした。
【今日のコンサート】
クァルテット・インテグラ リサイタル
サントリーホール
1986年、「世界一美しい響き」をコンセプトにヘルベルト・フォン・カラヤンら世界的指揮者や演奏家の助言を取り入れ造られた、日本を代表するコンサート専用ホール。住所:東京都港区赤坂1-13-1 TEL:0570-55-0017(10:00~18:00※休館日を除く)、写真は今回のエッセイに登場した「ブルーローズ」の空間。